一般に所謂JazzのWalking Bassの大源流はClassicとされますが、そういわれて私が思い浮かべられるのは、せいぜいベルリオーズ「ファウストの劫罰(légende dramatique "La damnation de Faust" ,1846年初演)」ぐらい…
Jimmy Blanton (1918-1942)。24歳の時に先天性結核で死亡。活躍していた時期は非常に短い。
1939年にツアー先で彼の演奏を耳にしたデューク・エリントンに見いだされ、2年間Duke Ellington楽団に在籍。あの時代にこのベースの演奏は、きっとそこらへんのミュージシャンがひっくり返る程の衝撃だったと想像する。
ジャズベースの役割というと「ボンボンボンボン」と4拍一生懸命に弾く、という世の中で彼は弓でメロディーを弾いたり、これまでベースでは聴けなかったようなホーンライクなソロを弾いた。彼の素晴らしい演奏は、デューク・エリントンとのデュオのレコーディング「Solo,Duets,and Trios Duke Ellington」で聴ける。初めてこのCDを聴いたとき、何回もレコーディングの日付を確認した。1940年にこのモダンな演奏は何???
「ファウストの劫罰(légende dramatique "La damnation de Faust" ,1846年初演)」は、フランスの革新的作曲家ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz、1803年~1869年)の代表作のひとつ。斬新な「幻想交響曲(Symphonie fantastique, 1830年)」をベートーヴェンの死の僅か3年後に発表した彼は、色彩的な管弦楽法を用いた交響的大作や「標題音楽」の開拓者としてワーグナー等に影響を与えた。
なるほど、リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813年~1883年)の楽劇「ヴァルキューレ(Die Walküre, 1856年作曲、1870年初演)」第三幕冒頭「ヴァルキューレの騎行(Der Ritt der Walkueren)」はこの辺りの影響下に…とはいえ、ここまで「騎行」なる言葉が連想させるパッカラ感が全然感じられないのもまた事実…
*騎行するファウストは自らが「騎行の主体」だから蹄の音が聞こえるが、人間の目に映らないある種の死神=式神たるヴァルキューレは「不可視の騎行の客体」だから、蹄の音を(人間の耳に)響かせない?
その一方、1960年代後半にGroup Sounds上陸と「ギター禁止令」の狭間に翻弄された日本の子供番組主題歌は、1960年代末から1970年代初頭後半にかけて(煩型が攻撃対象としなかった)リード・ギター音が独特のマカロニ・ウェスタン主題歌に飛びつき、同時にパッカラ感を仕入れるのです。
ただし、こうした意味合いにおけるパッカラ感は既に時代劇の影響で特撮TVドラマにおいて萌芽しており、マカロニ・ウェスタンブームが去った後も残留するのです。
ところで、この時代の日本の子供向けTV番組は、同時に(ウォーキングベースの発展形を基底にサックスやミュートペットなどの金管楽器のホーン音やレスリーピアノ+ロータリースピーカーなどで構成される)Acoustic Funkの受容にもとても熱心だったのです。
こうした流れの背景には、ほぼ確実に子供向けTV番組主題歌における以下の展開との連動がありました。
- 1960年代前半における映画主題歌としてのエレキギター音楽の上陸。今日聞き返すと(十分にこなれたBig Jazz部の展開に比べて)あまりにもバリエーションが限られてるせいで(というかほとんど1リフを繰り返してるだけなので)妙にサンプル音楽っぽく聞こえてしまう。
- そして1960年代後半における子供向けTV番組主題歌としての4beatジャズ調の広まり。
- 同時期のギター禁止令が猛威を振るった期間における、それを誤魔化してのGroup Sounds感導入。
以下のメカニズムを利用した。
(´-`).。oO(>RT キズナアイの騒動後もこうだった。NHKが懲りずに別の萌え絵AI使っても、全然炎上しなかった。おそらく、文句言ってた人達は「見慣れた」のと、「飽きた」んだと思うわ。全くもって自分勝手な人達だと思うけど。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2020年2月2日見慣れない物を見た時の不愉快な感情を、そのまま「嫌い」と言えば済むだけの事を、女性差別に絡めて正当化しようとするからこうなる。その後見慣れて来たし飽きて来たから、説明のしようがないのよ。元々「ただ嫌い」なだけの感情に無理矢理差別に結び付けてただけだったから。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2020年2月2日子どもがいつも新しいおもちゃに夢中なのと同じだなぁと感じる。遊び慣れてくたびれたおもちゃには興味ないの。駄々をこねてるだけなのを、理屈で正当化しようとしてるだけ。子どもと違って可愛くもないし、献血ボイコットとか実害も出て、厄介よね。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2020年2月2日そうして常に文句を言ってストレス発散できる新しいおもちゃを探して回る。おもちゃ代わりにされて飽きたら捨てられるもの達には、たまったもんじゃないわね。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2020年2月2日おそらく、リアルが充実してる人なら、自分には関係ない事柄にもいちいち目を光らせてクレームをつけて回る事はしないと思うから、彼らが幸せになる事が一番の解決策なんですよね。ただ、いつも不機嫌な人には幸せはなかなか寄って来ないから、難しいんだわ。。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2020年2月2日つまりあれか、コンビニがエロ漫画販売を再開しても何も言われないんだろうな
— たれぱにうむ (@tarepanium1) 2020年2月2日ご近所の誰かの悪口に花を咲かせる、主婦の皆さんの井戸端会議と同じですな😃❗️
— 魚谷雅昭 (@uotani1016) 2020年2月2日例えばGroup Sounds感を低音部のみに導入。そう、どうせ煩型連中はべ-ス音になんて耳を傾けていなかったのである!!
例えばGroup Sounds感を4beatジャズ系の楽器で再現。最小限の音素でのみ構成され、再びサンプリング音楽っぽい。…
この過程で「(イントロ, Aパート, Bパートなどにおける)16ビートへのクロックアップ」と「(サビにおける)8ビートへのクロックアップ」などが同時に図られたのです。だからその延長線上にこんな子供向け音楽が現れても何ら不思議はない。
*ただこのアレンジが確定版というものでもないらしい。この曲が世間の耳目を集める様になった契機は丸福茶の2003年CMといわれてるけど、その曲自体は全然こんなFUNKアレンジではなかったのである。
ところで実はこうした「黒人音楽を子供に普通に聞かせる」展開、白人が黒人公民権運動への憎悪を抱えていた同時代の米国では到底考えられないものだったのでした。
- 20世紀前半に全米を席巻したキャブ・キャロウェイ (Cab Calloway, 1907年~1994年)の楽曲をBetty Boopの短編に採用する際、Fleischer Studiosはそれを「少女を堕落させたり、死に至らしめるおぞましき亡霊(すなわち元来の黒人としての容姿を剥ぎ取った姿)の合唱」として描いた。まぁそれ自体については、当時最大のヒット作となったMinnie the Moocher(1931年)の歌詞が「上京して堕落し薬物中毒に死んでいったと推測される少女の悲劇(実際に彼女の身に何が起こったのかは巧みにぼやかされている)」を歌う内容だったので仕方のなかった側面も。
*「実際に彼女の身に何が起こったのかは巧みにぼやかされている」…これは当時大流行したUniversal Monstor Horrorも同じ。併せて考察すると閉塞的な伝統的倫理観に幽閉された少女達の心に芽生えた、ある種のタナトス(Thanatos=死への憧憬)の様なものが浮かび上がってくるのである。その一方でそうした「犠牲となる少女達」はある種の不可視化を強要され続けてきた… -
ウォルト・ディズニー亡き後低迷していたDisney Studioは、起死回生を賭してあえてこの禁断を破り、Jazzミュージカル映画「おしゃれキャット(The Aristocats, 1970年)」を封切って久しぶりの商業的成功を収めた。そこに登場する「黒人」もまた(猫の皮を被せられる事により)本来の容姿を剥ぎ取られていた上、ご丁寧にも「この作品で扱ったJazzは1940年代にフランスで流行したそれがベース(黒人とは一切関係ない)」なる言い訳まで添えられいたのだった。
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ただしもちろん、この展開自体を責めるなら、日本人も日本人で当時の国内リベラル層が「良心の規範」と信じて疑わなかった米国リベラル層を見習って「公共の場から黒人描写を一切抹殺する運動」を日本国内で展開した事(その一方で不勉強からJazzやFunkが黒人音楽である事を知らず放置する一方、エレキギター文化流入に対してのみ過剰反応)、さらには「妖怪人間ベム」における「妖怪」、「オバケのQ太郎」における「オバケ」が元来何を表象していたかについて当時無自覚だった事を内省せねばならなくなるのである。
まずはBlaxploitation Movieの歴史を知るべき? 当時におけるカンフー映画の流行とは何だったかとも密接にかかわってくる概念だったりする。
ちなみに横山光輝原作の「魔法使いサリー」のサリー(サニー)ちゃんは、原作においてはきっちり「人間を劣等種族として見下すのがコンセンサスの魔族」における変態(一緒に人間界にやってきた弟は割とそうでもない)として描かれていた上、赤塚不二夫原作の「秘密のアッコちゃん」同様「日本民族は自由恋愛などに興味も示さない」と主張する保守層との衝突を回避すべく、彼女らの恋を一切描かなかった。一方、手塚治虫や石ノ森章太郎は「これはファンタジーやSFだから日本民族的倫理観とは無関係」「外国の話だから(同左)」という辺りから攻略に着手。後続の女流漫画家達に手本を示す形となったのである。
- カリブ海オタクのイアン・フレミングが007映画を通じてジャマイカ音楽を積極的に本国へと紹介した英国ですら「優等生」Beastlesのジョン・レノンが、その不良スタンス故に「ダーティでラフな」黒人音楽要素を取り入れまくりのThe Rolling Stonesを羨んでいたし、実際、恐る恐るその方面に手を出したOb-La-Di, Ob-La-Daはあまりに優等生的な表面的模倣に過ぎずBeastlesの楽曲ワーストワンに挙げられる事も多い。
ビートルズのユニークなコード進行やエッジの効いたメロディライン、さらに自分たちで作詞・作曲する姿勢は、ザ・ローリング・ストーンズ、バーズ、ザ・ビーチ・ボーイズをはじめとするイギリスやアメリカの多くのバンドに影響を与えていた。ところがレノンだけは、優等生でいなければならないビートルズとは違い、不良のイメージでダーティな曲を作ることの許されるストーンズを羨んでいた。
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一方、日本においては海外から輸入したTVドラマの主題歌を全く別ジャンルの日本語版主題歌に差し替える伝統が存在した。それで「ドラドラ子猫とチャカチャカ娘(Josie and the Pussycats, 1970年)」の主題歌は当時の「黒猫のタンゴ(1969年)」の国際的流行を受けてタンゴ調に変更されて後のセーラームーン主題歌に影響を与え、「幽霊城のドボチョン一家(Groovie Goolies, 1970年)」に至っては(本国では考えられない)ジャズ調に差し替えられたのだった。
その一方で欧米白人ミュージシャンの間ではCall & Responseの積み重ねによる自由な感じの進行といった黒人音楽の諸要素を「煩型にそれと分からない形」でこっそり取り入れるのが流行していた。ある種の文化登用であり、その都度黒人音楽は誰にでも模倣可能となったそういうスタンダードな部分を切り捨て新しい試みにチャレンジしていく。まさしく「おしゃれキャット」で歌われた「本当は猫になりたいが、そうもいかないのでこっそり古臭くなった部分ばかり真似してる話にならない連中」の世界…
日本の子供向け番組主題歌の興味深い点は(それそのものを内面に含むアコースティック・ファンク影響下の曲だけでなく)マカロニウェスタン主題歌の影響を受けた曲にまで影響範囲が広がっていく辺り。その影響は(上掲のマカロニウェスタン主題歌の影響を受けた楽曲の全てに加え)一見無関係に見えるこんな曲にまで見て取れる。
ちなみに1970年代に入ってアコースティック・ファンクの要素を捨てた黒人音楽は、電子楽器(Cry Babyに代表されるWOWOWの様なエレキギターによるエフェクター、リズムボックス、アナログシンセ)の活用方法を模索…サンプリングやアナログレコードのスクラッチも最初に手を出したのは黒人でした。そういう時代だったのです。
そして1970年代後半に入るとアコースティック・ファンクの音色への回帰というか、フォークロック要素の導入とかそういう観点からナイル・ロジャース率いるChicが所謂Funky Cutting Guiterを大流行させるわけですが…
実はこういう演奏スタイル、それを生み出すのに必要だった要素が既に全て揃っていて、かつ電子楽器への移行が大幅に遅れた(さらには独自展開上の阻害要因と成り得るFork Rockの影響の薄かった)日本の子供番組主題歌の世界には既に存在していたのです。
こうして独自進化の段階に入った日本音楽のこのジャンルはスペインのフラメンコ文化やSpanish Guiterを想起させる世界に突入していくのです。詳細は不明ですが、イタリア音楽の大源流まで辿った形?
- その一方ではFunkの最新動向にもちゃんと追随していて、Slapping Bassの後藤嗣敏が数多くの歌謡曲に演奏を提供してきたし、1990年代に入ると、当時の国際的なHisteric Hip Hop流行の流れを受けて(Princeの影響を色濃く受けた)岡村靖幸が登場するのである。
ちなみに私の考える当時のHisteric Hip Hop代表曲がこれ。ある意味Funky Cutting GuiterやSlapping Bass速弾きの延長線上に現れたともいえそうだけど「これを演奏してるミュージシャンは何等かのルサンチマンをPlayを通じて叩きつけてくる」感こそが重要で、要素の詰め込み過ぎによってジャンル分類なんて不可能。そういうのはまとめてModern JazzあるいはHip Hop扱いによって不可視化?
その一方で1970年代後半に入ると(その時代までに完全に上掲の「ラテン・エスニック系」の流れから切り離されていた)パッカラ感に新たな生命が吹き込まれるのです。発端はドイツの黒人バンドが「俺達ユーラシア大陸の住人がFunkやSoul Musicを演るなら、そのRootはロシアになるだろう」とか言いだした辺り。
ちなみにThe Miracles「Love Machine(1975年)」の影響を色濃く受けつつ「(所詮はユーラシア旧大陸の住人たる)我々にはこんな御洒落で洗練された演奏は出来ないし、たとえ出来たとしても聴衆がついてこれない」なる諦観から「(大都会のモテモテ男の自慢話を、ロシア宮廷を制した絶倫男の生涯譚に差し替えて)Go Go Rasputin!!」と歌った経緯の模様…
- そしてこの曲の大ヒットを受けて「ロシアへの恐怖の向こうには、さらに黄禍が!!」なるコンセプトからドイツでは「ジンギスカン(Dschinghis Khan, 1979年~1985年)」が、日本では「YMO(Yellow Magic Orchestra, 1978年~1983年)」が結成される訳なんですが…
あれ? コサック騎馬隊やモンゴル騎馬隊のイメージは共有しながら、日本の楽曲ではパッカラ感が…しかも今度は荒野でなく大雪原を走り抜けていく?
*このムーブメント、一般には1980年代後半は迎えてないとされているので以下の曲は定義上ギリギリアウト。でも「(一方的可視化によって片側の心の中だけを情熱の嵐が吹き荒れる)片思いの歌(を思ってる側が淡々と歌うが、収まるに収まらないパッカラ感)」…単純に切り捨ててしまうのは惜しい…
- ちなみに同時期(YMOの欧州への最初の紹介者でもある)VisageのSteven Strangeも当時の流行に合わせてロシア・トリビュートなダンス曲をリリースしていますが、それに共感したと思われる坂本隆一の御洒落な曲にも、やはりパッカラ感が…ただしBallet Mécanique的な冷たいMachine Beatに姿を変えて。
こういう予備知識があると米津玄師「ゴーゴー幽霊船(2012年)」がYoutube上でカバーされていく段階を追っても色々楽しめる訳です。そもそも「ゴーゴー幽霊船」なる題名、もしかしたら上掲の「Go Go Rasputin!!」インスパイア? ただしこの歌の主人公は発条仕掛けのアンドロイドの様に、口から出る言葉も動作もぎこちなく(リフにおける2連符と3連符の位置を頻繁に動かす事で不安定さを表現)モテ要素皆無で、そのルサンチマンを直接爆発させるのです。
英語圏の英語版カバーはリフの不安定表現を、力任せにほとんど全部三連符で演奏し切るHysteric Fork Rockに改編。この淡々と続くFlat感、主人公への思いやりに満ちた「優等生」対応? というかむしろ祈りに近い感情の投影?
この英語版がさらに日本のYoutuberにコピーされると、突如として(速弾きを諦める一方で)Spanish Guiter Scaleに。しかもそれがエスニック過ぎもエモーショナル過ぎもせずごく自然なアレンジに聞こえる不思議。想像以上に根付いて継承されてる文化でした…
こうして「脅威」は歌の力で無力化される…(主人公の主観では)「バールの様なもの」でいきなり殴りかかってきたのは相手の方なのに。そしてもしかしたらこの投稿、その全体が「可視世界」と「不可視世界」の間に交わされ得る「理不尽な暴力」についての物語を構成してる? そう、まさにトッド・フィリップス監督映画「Joker(2019年)」で描いた様な…
まぁ音楽史上のパッカラ感はそのルサンチマンの蕩尽を果たすと自然解消してしまったし、米津玄師にとっての「ゴーゴー幽霊船」もまたあくまで出発点に過ぎず、到達点ではない訳です。それではどこに辿り着こうとしてるのでしょう? あるいは既に辿り着いたのでしょうか?
とりあえず音楽史の世界に交換法則(Commutative Law)(a*b)*c=a*(b*c)が成立しない事くらいは証明出来た様です。それでも乗積表(Product Table)さえ組めるなら(「右」に曲がった数と「左」に曲がった数を計算上調整する形で)同じ最終地点に辿り着ける筈なんですが…