諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】世界最古の「呪いのチーズ」?

世界最古のチーズが発見されたものの、それはブルセラ菌に汚染されていたという話…

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 過去のトレジャーハンターや墓泥棒が万が一口にしていたら…

北アフリカやヨーロッパ、中国の古代遺跡でもチーズ作りを行っていた形跡が見られるものの、固形のチーズがきちんとした形で発見されるのは稀で今回が最古のものと考えられているようだ。また帆布は液体よりも固形物を包むのに適している特徴があり、おそらくチーズの保存のために使用していたと推測されているという。

そしてもうひとつ、注目すべきはこのチーズが“キラー殺人細菌”と言われる、超危険なブルセラ症を引き起こす細菌に汚染されていた点である。一般的にブルセラ症は低温殺菌されていない、未加工製品の飲食が感染経路になることが多い。

感染した動物からの乳が殺菌されていない場合に人間の口に入ると、時に重篤な症状を引き起こす、厄介な病気にかかってしまうのである。この分析がさらに進めば、これまでに報告された中で最も古いブルセラ症の生体分子的証拠にもなると、グレコ博士は期待している。

波状熱やマルタ熱として知られるブルセラ症Brucellosis)はブルセラ属菌Brucella spp.)による人獣共通感染症である。世界的に注目されたのは、19世紀中頃クリミア戦争でマルタ熱が流行したことによるが、紀元前400年頃ヒポクラテス著「Of the Epidemics」にブルセラ症と思われる疾患がすでに記載されており、ヤギなどの家畜化に伴い古くから流行していたと考えられる。現在でも、特に食料や社会・経済面で家畜への依存度が強く、家畜ブルセラ病が発生している国や地域を中心に、多くの患者が発生している。

病原体

マルタ熱の原因菌として、1887年Sir David BruceによりB. melitensisが分離されて以降、種々のブルセラ属菌が発見された。ブルセラ属菌はグラム陰性、偏性好気性短小桿菌で、芽胞や鞭毛を持たず、細胞内寄生性である。ヒトへの感染が報告されている主なものは、その病原性の順にB. melitensis(自然宿主:ヤギ、ヒツジ)、B. suis(ブタ)、B. abortus(ウシ、水牛)、B. canis(イヌ)の4菌種である。家畜ブルセラ菌(以下、本文中ではB. ovis を除くB. melitensis 、B. suis 、B. abortus の3つを指す)とイヌブルセラ菌(B. canis )は感染症法による三種病原体であり、その取扱・所持や輸送が感染症法により厳しく制限されている。また、米国では、B. melitensisB. suisB. abortusバイオテロ及びアグリテロに用いられうる病原体に指定されている。その他、B. cetiクジラ、イルカ)、B. inopinata不明)も2、3例のみだが患者報告がある。患者報告がないものにはでは、めん羊のB. ovis や、げっ歯目のB. neotomae 、B. microti などがある。

疫学

中国、南アジア、中東、地中海地域およびアフリカ、中南米を中心として、世界中で毎年50万人を越える家畜ブルセラ菌感染患者が新規に発生している。これら流行地は、総じて動物に対するブルセラ症対策が不十分で、家畜で発生が多い地域である。

日本では、過去に牛のB. abortus感染が流行し問題になったが、家畜衛生対策として摘発・淘汰(抗体検査と殺処分)の徹底により、1970年を最後に国内家畜から菌が分離された例はない。ブタのB. suis感染も、1940年を最後に報告はなく、B. melitensis感染家畜は、国内家畜では一度も発生報告はない。そのため、現在、日本におけるヒトの家畜ブルセラ菌感染例はすべて輸入症例である。ブルセラ症流行地域からの訪日者や、日本在住の外国人が、流行地域である母国に一時帰国した際に感染してくるケースなど、大半が外国人の症例である。一方、B. canisについては、国内のイヌの約3%が感染歴を持つため、ヒトのB. canis感染はすべて国内感染と考えられている。

飢餓に苦しむ後進国では、救援食料が届いても「見慣れない食べ物」だから忌避されるなんて話がある様です。おそらく、こうやって何処に毒性が潜んでいるか分からないからなんですね。

  • 私は、どちらかというと日本のコロッケは(どちらかというとメンチカツに近い)西洋のcroquetteの派生というより、イスラム圏の「ひよこ豆のファラフェル」がアジアに伝わって中身が(インド料理のサモサの様に)ジャガイモに入れ替わり、イギリスやフランスの様な植民地宗主国の訪日を契機に伝わったのではと考えてます。まぁ現時点でエビデンスは0ですが…

    中東の「肥沃な三日月地帯」を中心に栽培された。歴史上、最古の記録としてヒヨコマメが登場するのは紀元前7500年頃、トルコのハジュラルにおいてである。紀元前4000年には地中海一帯に、紀元前2000年にはインドにまで伝播した。特に古代エジプトで栽培が盛んであった。古代ローマにおいてもあらゆる階級に食されるポピュラーな食物であったが、貧困層や農民の食べ物とみなされることもあった。インドではチャナーと呼ばれ、インドの食文化において古今重要な食物となっている。

  • こういう歴史を辿っていると、ほぼ必然的にレンズ豆やインゲン豆やジャガイモの毒性についての記述に行き当たります。まぁ彼らの側からしたら「相手に食えないと認識させる」のが最優先課題なので仕方がない?

興が乗ってきたので、以下続報…