今回の出発点は、なんとなく上掲作品との連続関係を感じた以下のAVの内容紹介のTweet。もしかして新たなジャンルが形成されつつある?
「好きな人とだけセックスをする」という事が一度も無かった七海ゆあが引退レズとして指名した女優は、現在休業中の星奈あい。好きな人の体液を飲み、その人から与えられる苦痛が愛情表現だと思っている七海に星奈は困惑する。AV女優としての背景を赤裸々に語る2人は、飲尿、ビンタ、首絞めで互いの気持ちを近づけようとするも撮影が中断…それでもなお向き合おうとする、親友が親友に贈る「幸せになる為の10の約束」。
配信開始2020年の最新作かぁ…
誇張抜きに旧劇エヴァの実写版みたいなAVをみてしまってガチ泣きしてしまった。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
本当に首絞めからの「気持ち悪い」ENDだった。嘘じゃなくて。ここ数年で見た映画よりいちばん心打たれたかもしれない。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
親友同士のレズモノなんだけど、主演の女の子がかなりドMなの。一方でゲストの友達は別にそうでもなくって。主演の子の望むままにビンタや首絞めを繰り返すんだけど、どんどんそこで意識の差が生まれてきて。友達の子は頑張るんだけど、主演の子が泣き怒りながら「本気でイカせたいって思って欲しい」
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
つまり友人が「自分のことが好きで攻めてるのか」「(変態な自分に)怒ってるから乱暴にしてるのか」わからないと。そこから両者マウント取り合って首の締めあい。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
「私のことムカつくからイカせたいの」「どうしてほしいの」「痛いのが好きだけど・・わからない」
「○○ちゃんがムカついてるのか好きでやってるのかわからないから止めたんだよ」「私も誠心誠意やってんじゃん」「言葉だけじゃ伝わらないけどわからないよ」
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
Mの子が立場逆転して首を絞め始める。相手の顔に青筋が立つ。ここで「してほしいこと」が逆転して「してあげること」になる。
きっと彼女には「してほしいこと」と「したら喜ばれること」の区別が付かない。だから相手の首を絞めてしまうが、たぶんその友達はSでもMでもなくニュートラルで、その愛情はただの暴力として素通りする。それぞれの気持ちは同じなのに、愛の形が違うからディスコミュが生まれわかりあえない
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
主演の子は本気で攻めてほしいんだけど「責役だから攻めてるんでしょ」「怒ってるから攻めてるんでしょ」という気持ちが拭えない。S・Mを成り立たす繊細な関係性と深い承認欲求とセックスという状態に至ってもなおわかり合えない人間の相互不理解性、そんなものがないまぜに一つになってる
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
「好きじゃないの」「好きだよ・・・そうやって言われて嬉しいの」「どういうこと」「好きだよって言ってって、言われて嬉しいの」「聞いただけだもん」「何を思ってそう聞いたの、私優しいから言ってくれると思ったんでしょ」「思ってない」「自分が言わなくても言ってくれると思ったんでしょ」
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
ここでMの子の物凄く複雑で面倒くさい内面が現れてる。相手に自分が嗜虐されることで愛を確かめたいけど、でも嗜虐そのものに愛があるのかわからなくなってしまう。だから言葉で示してよと何度も「好きじゃないの?」と確認する。相手の女の子は「好きだからやってるじゃん」と行動で答えまた齟齬になる
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
暴力で愛を表明しようとする女の子と、それに答えようと頑張る女の子のAVなんだけど、致命的に噛み合わない。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
言葉を求めるときに暴力で答え、暴力が必要なときに言葉で答えてしまう
でも何よりの問題点は、言葉も暴力も信じれなくなったMの子の心象にある。言葉も暴力も響かない、どうしようもない
友人が言った「自分が(好きと)言わなくても言ってくれると思ったんでしょ」はその核心をついている。愛情を求めているけど、彼女は愛情を注いでいない。非常にドメスティックで自己満足的な愛の表明。その非対称な愛の支出の欺瞞性に、友人は気づいたのではなかったか。まさに『惜しみなく愛は奪う』
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
ただただ貪欲に愛を奪い続けようとするMの子。それに答えようとして、でも同時に抗う彼女の親友。精神の攻防。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
有島武郎の「愛は奪う」とは愛とは実は自己愛だという哲学だった。愛するものが悲しめば自分も悲しむ、相手が喜べば自分も嬉しい。それはすなわち相手と自分を同一視してることで、
結局は激しく自らを愛してるに過ぎないと。つまり相手を自らに同化するするのが愛なのだ。ところでこのMの子は体液フェチなのだが「好きな人の体液が体のなかに入るのが好き」と語る。まさに”同化”を求める彼女らしい答えのように思えた。体液を通じて相手と自分を同化しようとする彼女。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
少し儀式的でカニバリズム的だ。だが友人の方は、恐らくそうではない。彼女は相手を「個人として」愛することができる。性癖に現れるここが二人の何よりの差異ではなかったか。自己愛が強く(一方で自己承認が弱く)、相手に自己の同化を求めてしまうMの女の子、そんな彼女をありのまま愛そうと
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
努めるがゆえに同化から離れ「わからない」存在になっていってしまう友人の女の子。愛が深ければ深いほどすれ違う二人。そんな物語ではなかったか。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
相手のことなど「わからない」のが当たり前である。それを問うのは不毛なことである。だが、わかりたいと思ってしまう痛切さこそ愛なのではなかろうか
「相手のことが好きだから相手がしてほしいことをしたいって思わない?」「愛情を持ってそういう暴力をするのがわからない」
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年2月29日
この会話に全てが詰まってる。セックスという場で現れる愛のディスコミュニケーション。人間と人間の関わり合い相互不理解性の全てがそこに縮図として現れたように思った。
— 人間ジェネリク (@DividedSelf_94) 2020年3月1日
ちなみに岩井俊二「リップヴァンウィンクルの花嫁(原作小説2012年、映画化2016年)」については、2016年段階で「シン・ゴジラ(2016年)」大流行を踏まえ、こういう紹介をしていたりします。
当時の基調としては「冥界の女王」エレシュキガル (Ereshkigal) に対応する里中真白(演Cocco)と、その地上における「名代」ナムタルに対応する安室行舛(演綾野剛)コンビの活躍を、日本に襲来したゴジラや、糸守町を壊滅させる彗星(新海誠監督映画「君の名は」)や、エベレスト山脈(実写版「神々の山陵」)に対比させたり、鴨志田一のラノベ「さくら荘のペットな彼女(2010年〜2014年, アニメ化2012年〜2013年)」における「天才」椎名ましろと「凡人」青山七海の関係を「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」里中真白に対峙した「凡人」皆川七海(演黒木華)の関係に投射したりしてました。
さて、この辺りがどうなってくるやら…