諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】韓国や台湾こそ「日本より自由社会」と主張する様になった日本リベラル層。

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コロナ・ウィルスの国際的流行で思い出すのが、検疫(quarantine)の語源が中世末期欧州を席巻した黒死病禍からいち早く脱した「中央集権的商業国家ヴェネツィアが設定した入港した外航船の隔離観察期間だった歴史…

個人による自由の謳歌」が始まったとされるルネサンス期のイタリア史の異物…

とはいえある意味欧州近世、すなわち主権国家の歴史はまさにここから産声を上げたともいえそうなのです。

 

 例えば韓国。

韓国に表現の自由がない様に見えるのは守旧派の価値観更新が遅れてるのと、そういった連中の党争至上主義が苛烈だからで「輸出で食っていくしかない」覚悟を決めてグローバルな価値観を受容した開明は割と捌けてる。ただ、彼ら自身の目線から「本体」の反応を伺ってると一緒になって途方に暮れるしかない局面もあり、むしろより深い絶望を味わう事になる側面すら。ちなみにこの次元の話、イデオロギーの左右とは無関係な模様…そして最近では日本人にとっても他人事でない話が続々と…

かくして日本のリベラル層は(海外のリベラル層の後を追う形で)もはや支離滅裂な役立たずの戯言しか口に出来なくなってしまった?

むしろ「物事の本質を見失わない本格化左翼」を自認するなら、これくらいは平然と言ってのけないとね。

以下続報…