諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】どうすれば「群盲撫象」状態は回避されるのか?

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進歩主義(Progressivism)」の起源は「科学実証主義(Scientific Positivism)」で、そのさらなる大源流をルネサンス期イタリアのアリストテレス主義Neo Aristotelianism)まで遡ります。古代ギリシャ時代の古典が(主にそれへの注釈と言う形で展開した)アラビア哲学経由で近世以降の欧州に伝わって派生したものの…

実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」。それがイタリア・ルネサンス期にパドヴァ大学ボローニャ大学の解剖学部で流行した新アリストテレス主義の骨子であったが、やがて天文学の世界における天動説と地動説の衝突を招いてしまう。当時パドヴァ大学教授だったガリレオ・ガリレイGalileo Galilei、1564年〜1642年)が異端審問に掛けられ、「合理主義哲学の祖ルネ・デカルトRené Descartes、1596年〜1650年)が「世界論Le Monde、1633年執筆)」発表を断念し(デカルト死後の1664年に公刊)、今日では「リヴァイアサン(Leviathan, 1651年)」の著者として知られる「法実定主義(Legal Positivism)の父トマス・ホッブズThomas Hobbes, 1588年〜1679年)が政治哲学分野への転身を余儀なくされていく時代…

そして最終的には科学哲学者ポパーの「反証可能性Falsifiability)」の世界へ。

 最近世界中でこのサイクルが上手く回らなくなってる気がしています。

 実はSNS時代に突入して論争参加者の裾野が爆発的に増加した結果でもあるんですね。最初に観測されたのは大量生産・大量消費スタイルの産業革命導入によって消費の主体が従来の伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層(要するに王族や貴族や教会幹部の様な不労所得生活者(rentier))から新興富裕層(資本家や経営者や自営業者や管理職)や労働者に推移して「消費は投票」の流れが明確になって以降とも。

 日本における展開については坂口安吾日本文化私観(1942年)」が興味深い事を述べていたりします。

うわ、久し振りに再読したら今の「自粛の時代」に本当にしっくりくる内容…