こういうケースもあるから「伝統にまつわる定義」はややこしい?
ウポポイでのアイヌ舞踏が事実上の孫策ダンスではないかという件、扱いが難しいのはバリ島のケチャという先例があるから
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
バリ島の伝統的な舞踏、サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。これに対して現在のケチャは『ラーマーヤナ』の物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられている。
こうしたケチャの「芸能化」がすすめられたのは、1920年代後半~1930年代にかけてバリ人と共にバリ芸術を発展開花させたドイツ人画家ヴァルター・シュピースの提案によるものであった。シュピースは1920年代後半からウブド村の領主チョコルド・グデ・ラコー・スカワティに招かれてウブドに在住した画家・音楽家であり、現地の芸術家と親交を結びながらケチャやバリ絵画などの「バリ芸術」を形作っていった。ある著名なバリ人舞踏家がサンヒャン・ドゥダリの男声合唱にバリス舞踊の動きを組み込ませたのを見たシュピースは、ガムランの代わりにこの男声合唱のみを使って『ラーマーヤナ』のストーリーを組み込んだ観賞用の舞踊を考案するよう、提案したのである。
バリ島の伝統舞踊サンヒャンバリ島の伝統舞踊サンヒャン・ドウタリは呪術的な意味があってむやみに人前で踊るようなものでなかったのをいったん解体して戯曲として再編したものが現在のケチャ
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
アイヌの伝統舞踊でも、祭祀や呪術と結びついていたりするわけで、それをショーとして公開するには解体再編もやむをえないのではないかという問題
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
昔、ネイティブアメリカンの族長の子弟が名士のパーティー(他は皆白人ばかり)で、自己紹介したら雨乞いのダンスを見せてと言われたので断ったが嫌な思いをしたというのを読んで、気楽にそんあこと言える連中って傘の準備してきたんだろうかと思った
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
これって、パーティーにカトリックの神父さんが来てたら、ここで聖体拝領してみて、と言ってるのと同じなんだけどな。https://t.co/8ZCu9CzV9P
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
ついに誤字に気付く
すみません、「孫策ダンス」ではなく「創作ダンス」(たしかに呉人は踊りがうまそうな気もしてしまうけど)https://t.co/VY7maDdICX
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
容姿端麗で、笑話を好み闊達な性格であったと言われる。なれど本性は己の人気を常に気に掛け、己より人望を得ている存在を己への脅威として、生存を許さず何としても葬り去る陰険狭量な人物であった。それ故に高名な隠士・高岱を殺害し、『捜神記』から『演義』に採録された于吉の件と併せて天下が彼を如何評していたかが判る。
郭嘉は「孫策は新たに江東を併呑したばかりですが、誅殺されたのはみな英雄豪傑であり、人の死力を得られる者たちでありました。しかし孫策は軽率で備えも無く、百万の軍兵があろうとも原野を独りで歩いているのと異なりません。もし刺客を潜ませていたならば、ただ一人を敵とするだけであります。こうしたことから私が観るに、必ずや匹夫の手で死ぬことでしょう」と評している。
陳寿は「孫策は傑出した英気を具え、その勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がないほどであり、優れた人物を登用して用い、志は中国全土を圧倒するほどだった。しかし、孫策は軽佻果躁(=軽弾みで思慮が足りぬ)だった(=お山の大将気質が抜けない、田舎の粗暴な山猿)ので、身を滅ぼしてしまった」と評している。
ここから話は脱線気味に。
一騎当千が浮かんだ人、多分多数。
— FREERADICAL C98・通販受付中 (@ryo_ishii05) 2020年7月13日
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
死せる孫策、
— dias_daro (@dias_daro) 2020年7月13日
生けるツイッタラーをググらす。
Typoとは、
この節孔の眼を持ってしても
見抜けなんだわ。
すみませんm(--)m
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
現在進行形でアイヌ民族が自身の文化を更新している最中だ、とも言えなくも無いですね。
— 錦旗キッズ (@nanoreba_kangun) 2020年7月13日
孫策ダンス(^^) pic.twitter.com/dLuqESk8N7
— ロングロー (@longlow1) 2020年7月13日
ズレるかもしれませんがBOOMの島唄という歌があまりにも観光ソングで沖縄の人に対して侮辱的だ、と言っていた音楽評論家がいたんだけど、現地の若者にウケにウケて、沖縄を代表する歌になっちゃって、現地の古い人も「xxさんの気持ちは分かるけど、もうあきらめたら」と言われたという
— Chihiro FUKAZAWA (@query1000) 2020年7月13日
スペイン狂詩曲とか、ハンガリアン舞曲とか、スラブ舞曲とか、チェコ舞曲とか……
— 豚とオニギリ (@zhu_he_fantuan) 2020年7月13日
学術的には「どうなの、これ?」とおもわれるものも、大衆がその作品と恋に落ちれば、もう批判は野暮になりがち。
時間経過とともに、それがデフォルトの世代が出てきますし……😷
— Masa Kid (@kida_777) 2020年7月13日
ちょっとでも音が外れたら編曲者が手を止めて睨む
— 原田 実 (@gishigaku) 2020年7月13日
ケチャの場合、非ヒンズー教のドイツ人がその「創作」の中心にいたというあたりが問題をややこしくしているような気がします。
— 豚とオニギリ (@zhu_he_fantuan) 2020年7月13日
日本でいえば、京都の貴船神社で密かにやっていた丑の刻参りをスペインあたりから来た芸術家が「エンタメ」に仕立て直した感じでしょうか?😷
歌舞伎とかも完全なる「博物館の展示物」に成り下がったら文化として死を迎える訳で、それで新歌舞伎運動やスーパー歌舞伎がある訳でして…ましてや大衆芸能なるもの、大衆から離れたらその時点で別物に変貌してしまう訳です。
本当に匙加減の難しい話…