諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】伝統芸能「孫策ダンス」が爆誕した瞬間?

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こういうケースもあるから「伝統にまつわる定義」はややこしい?

バリ島の伝統的な舞踏、サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。これに対して現在のケチャは『ラーマーヤナ』の物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられている。

こうしたケチャの「芸能化」がすすめられたのは、1920年代後半~1930年代にかけてバリ人と共にバリ芸術を発展開花させたドイツ人画家ヴァルター・シュピースの提案によるものであった。シュピースは1920年代後半からウブド村の領主チョコルド・グデ・ラコー・スカワティに招かれてウブドに在住した画家・音楽家であり、現地の芸術家と親交を結びながらケチャやバリ絵画などの「バリ芸術」を形作っていった。ある著名なバリ人舞踏家がサンヒャン・ドゥダリ男声合唱にバリス舞踊の動きを組み込ませたのを見たシュピースは、ガムランの代わりにこの男声合唱のみを使って『ラーマーヤナ』のストーリーを組み込んだ観賞用の舞踊を考案するよう、提案したのである。

 

 ついに誤字に気付く

容姿端麗で、笑話を好み闊達な性格であったと言われる。なれど本性は己の人気を常に気に掛け、己より人望を得ている存在を己への脅威として、生存を許さず何としても葬り去る陰険狭量な人物であった。それ故に高名な隠士・高岱を殺害し、『捜神記』から『演義』に採録された于吉の件と併せて天下が彼を如何評していたかが判る。

郭嘉は「孫策は新たに江東を併呑したばかりですが、誅殺されたのはみな英雄豪傑であり、人の死力を得られる者たちでありました。しかし孫策は軽率で備えも無く、百万の軍兵があろうとも原野を独りで歩いているのと異なりません。もし刺客を潜ませていたならば、ただ一人を敵とするだけであります。こうしたことから私が観るに、必ずや匹夫の手で死ぬことでしょう」と評している。

陳寿は「孫策は傑出した英気を具え、その勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がないほどであり、優れた人物を登用して用い、志は中国全土を圧倒するほどだった。しかし、孫策は軽佻果躁(=軽弾みで思慮が足りぬ)だった(=お山の大将気質が抜けない、田舎の粗暴な山猿)ので、身を滅ぼしてしまった」と評している。 

 ここから話は脱線気味に。

歌舞伎とかも完全なる「博物館の展示物」に成り下がったら文化として死を迎える訳で、それで新歌舞伎運動やスーパー歌舞伎がある訳でして…ましてや大衆芸能なるもの、大衆から離れたらその時点で別物に変貌してしまう訳です。

本当に匙加減の難しい話…