メソポタミア文明の古代史では「天体観測結果に基づいて農業暦を管理する神殿宗教を中心に人がまとまる政教一致体制」について…さらに灌漑農業なる経済活動まで「(カール・ポランニーいうところの)社会に埋め込まれてる」状態とあっては、恐ろしくていじるにいじれなくなってしまいます。
政治と宗教が一体となっている統治形態を言う。前近代では一般的であったが近代国家では政教分離とすることが多い。
国家の初期段階では、政治と宗教が未分化であったことは、メソポタミアや中国の例を見るまでもなく、また日本の邪馬台国の例などから一般的であったと言える。それらを神権政治という概念に当てはめることもできる。
しかし国家の形態が一定の段階に発達すると、世俗の王権と宗教的権威は分離され、むしろ対立が始まる。ヨーロッパのキリスト教世界においては俗権と政権の対立は叙任権闘争に見られるように一貫して歴史の対立軸として展開した。
近代市民社会における政教分離の原則の成立はその帰結であった。ところが7世紀に始まる西アジアのイスラーム教の世界では、最初から政教一致が基本性格として認められる。このキリスト教世界と際だって異なる理念はしばしばわれわれの理解を超えている。いわゆるイスラーム原理主義の台頭は、西欧的な政教分離が無条件に正しいという私たちの思考の前提を揺るがしている。
それにつけても…
どうしてここまで徹底して「システムはそのままで、中の人だけどんどん入れ替わっていく」という状態が一般化してしまったのでしょう。これも「辺境で部族的紐帯を鍛えたバトウ(田舎者)集団が、上京して文弱化したハダル(都人)集団を圧倒して成り代わるも、やがて自らも都会の水に馴染んで文弱化していくサイクル」として文明を捉えたイブン・ハドゥルーンのアサビーヤ論のバリエーションに過ぎないのでしょうか?