多分これ1980年代に「ナチ曽根降ろし」で左翼陣営が一丸となれた「成功体験」に由来してるんじゃないかと思われ。そう、なまじ相手が倒せず長期戦となった事が「勝利の鍵」となったのです。
思考停止はその時以来?
七年以上に及ぶ安倍政権時代を通じて、ジャーナリストは一貫して受け手に「こいつらは何と闘っているんだ」という不信感を植え付け続けてきたと思うんだよね。比較的マトモな江川紹子でさえアベが絡むとおかしくなるので、あれは日本のジャーナリズムの病根みたいなものなんでしょう。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
ジャーナリズムが日本の最大権力者である総理大臣を批判するのは別に問題じゃないんですよ。問題なのは総理大臣を批判すること自体がジャーナリズムの目的化してしまって、総理を批判するジャーナリストが例外なくおかしくなるところなんだよな。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
ジャーナリズムの権力批判自体は民主主義の健全な機能なんだけど、どうも日本のジャーナリズムは「反権力」という権力者の全否定がデフォになってしまっていて、権力者の為政の客観的分析に基づく是々非々の論評という機能をついに持ち得なかったのだと思う。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
なんつか、権力者がちょっとでもヤヴァそうな可能性があるなら、とりあえずあることないこと大騒ぎして叩けばいいみたいな雑な認識で権力批判するのがデフォになっているので、ジャーナリズムにマトモな政治解説を期待できないことがもうわかっちゃったのよな。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
というか、政治的ポジションの如何によらず、ジャーナリズムって権力者を叩くのが仕事だとか雑なことを考えていそうなのが野蛮なんだよな。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
雑で安直なやり口って、基本的に野蛮さとイコールなんですよ。オレ、何が憎いと言って雑で安直な仕事をする奴ほど憎いものはこの世に存在しないんですよ。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
雑で安直なのは、他はどうあれ文化的な姿勢でだけはない。文化的でないものが文化みたいな顔をしているのは一番許し難い欺瞞だから憎いんですよ。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
いつの頃からか、それとも最初からなのか、日本のジャーナリストたちはジャーナリズムというものを、実体的な権力を握っている権力者に対して、ペンの力で闘って勝つ物語を提供することだと勘違いしてしまって、その「ペンの力」の大部分が嘘や煽動に堕してしまっているんだよな。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
彼らは自分たちについて、大衆に情報を提供する黒子ではなく、権力と闘う主役としての英雄だと勘違いしてしまった。皆さん、大衆が欲しているのは主役である自分たちが権力と闘って勝つ物語だと勘違いしている。そんな田舎芝居は誰も観たくないんだけどな。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
明治維新後、勝海舟は「江戸幕藩体制はそれなりに安定した実績あるシステムだったから、外圧さえなければあと三百年や四百年は続いていただろう」 と述懐しています。おそらくこのシステムもそんな感じで当分続く事になるのでしょう。
イソコの映画の茶番劇って要するにそういうことでしょう。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) 2020年8月28日
まぁ石坂啓「安穏族(1984年)」実写化と思えばこんな感じかと。
首相を批判的に論じるマスメディアが、己の独り善がりな正義に酔いしれ、辻斬りの如くペンの切れ味を楽しんでいるかのように思いました。
— ハマノ大魔人 (@katsudon2904) 2020年8月28日
メディアの中に「権力者とは」に考えが及ばない所が終わってます。
— SOLIDSUMMER (@SolidSummer2017) 2020年8月28日
「権力者」は政権だけで無くそこら中にいるということがすっぽり抜け落ちている。
これがジャーナリズムが腐ってる原因では無いかと思っています。