諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

真・ロドス島戦記② 巨大ロボット物の大源流としてのミケーネ文明?

ここで水野良率いるグループSNE(1987年~)が構築した「ロードス島戦記」はロードス島の史実と全く関係ないという話を紹介しました。

実のところ日本人は文明開花直後から、明治18年(1885年)のベストセラー「世界旅行萬國名所図繪」など経由で「ロードス島」なるエーゲ海に浮かぶ島の名前自体は既に知っていたのです。で、当時の当字「羅得島」がそのまま漢字圏に定着…

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 まさかのフルチン状態…どうやら「情報不足による再創造ignorace-driven reinvention)」パターンの典型的一例といえそうなのです。

そして1970年代に入ると日本人の想像力はさらなる飛躍を果たすのです。

永井豪「マジンガーZ(1972年~1973年)」における「バードス島の巨人伝説」

永井豪原作アニメ「マジンガーZ(1972年~1973年)」の一エピソード[機械獣大作戦]はドクターヘルのこの言葉から始まる

バードス島の伝説とは古代エーゲ海につたわる巨人戦士の物語である(中略)紀元をはるかにこえる昔ギリシャ人の先祖ミケーネ人は胸から火をふく巨人を使ってつぎつぎにドーリア人の軍船を撃沈しバードス島を守ったという

だが、実際の「巨人伝説」とはどのようなものだったのだろうか。

まず、「バードス島」そのものはマジンガーZでの創作の島である。であるから当然「バードス島の伝説」とは存在しない。また、テレビ版では当初バードス島を「ロードス島」と称しており、伝説も「ロードス島に伝わる伝説」として紹介されている。だが、この「ロードス島」も現実の「ロドス島」とは違うようで、劇中ではこの「ロドス島」をモデルに「ロードス島」が設定されたものであろう。

現在筆者が確認した限りでは、「ロドス島」に上記の「巨人伝説」は見つからなかった。ただし、それを思わせる「青銅の巨像コロッソス」というものがある。

もう一つは、「ロドス島」ではなく同じくエーゲ海クレタ島と伝わる「青銅巨人タロス」の伝承だ。ギリシャ神話の一つである「アルゴナウタイ」に語られる。ちなみに「アルゴナウタイ」を取り扱った叙事詩アルゴナウティカ」は紀元前3世紀頃にロドス島のアポロニオスが創作したといわれる。

イオルコスの王アイソンは国を弟のペリアスに奪われ、ケンタウロス族のケイロンに息子のイアソンを預ける。ケイロンの元で成長したイアソンは叔父から王位を取り返すべくイオルコスに帰還するが、叔父のペリアス王はコルキスから黄金の羊の皮を持ってきて神に捧げれば王国をイアソスに返すことを約束した。イアソンはアルゴー号で50人の勇者とともに、様々な苦難を乗り越えてコルキスに着く。そこではコルキスの王女メディアの協力もあって、遂に黄金の羊の皮を手に入れる。帰路にもイアソン一行は数々の魔物と戦いながら船をすすめる。その途中立ち寄ったクレタ島。島の番人である青銅の巨人タロスが、アルゴー号に岩を投げつけて沈めようとする。全身が青銅のため、弓矢や剣をものともしないタロスにアルゴー号の勇者たちは苦戦するが、魔女メディアの眼光により身動きが出来なくなったタロスに対してメディアはタロスの唯一の弱点である踝の栓を抜いて、神血をすっかり抜いてたやすく倒してしまったという。

青銅巨人タロスは、伝承によればゼウスが手をつけたエウロベが放浪し辿り着いたクレタの地を守らせるためにゼウスがヘファイストに命じて作らせてミノア王に与えたとも、ミノタウロスで有名なミノア迷宮を作ったダイダロスの創ったものとも、青銅族の最後の生き残りとも謂われている。

クレタ島を一日3回見回り余所者を近づけさせないように見張って、島に近づいた船に岩を投げて威嚇したり沈めたり、また、全身を灼熱化させて侵入者を焼き殺したとも伝えられる。

全身が青銅で出来ており、体の中を神血といわれる線が通っており踵にその栓があるということである。

ハリーハウゼンの特撮で著名な冒険映画「アルゴ探検隊の大冒険(Jason and the Argonauts, 1963年)より「クレタ島の聖堂の巨人」の覚醒場面と死亡場面。

一方、近代日本にも伝わった「ロドス島の巨像(Colossus of Rhodes, 紀元前3世紀頃)」の元エピソードはこんな感じ。

アレクサンドロスの死後、後継者問題からその配下の将軍らによる戦乱が起こり、プトレマイオス1世セレウコスアンティゴノスらが帝国を分割した。 このいわゆるディアドコイ戦争の間ロドス島は主に交易関係を通じてエジプトに拠るプトレマイオスと密接な関係にあったが、ロドスの海運力がプトレマイオスに利用されることを嫌ったアンティゴノスは、息子デメトリオスに軍を率いさせてロドスを攻撃させた(ロドス包囲戦、紀元前305年 - 紀元前304年)。これに対してロドス側はよく守ってデメトリオスの攻撃を凌ぎきり、翌年攻囲戦の長期化を望まないアンティゴノスプトレマイオス双方が妥協して和平協定が成立した。この時デメトリオスの軍が遺していった武器を売却して得た収益をもとに、今日アポロの巨像としてその名を残している太陽神ヘーリオスの彫像が造られた。

古代の記述に拠れば、ロドスの巨像は以下のようなものだった。まず、ロドスの港の入り口付近に、高さ15メートル50フィート)の大理石製の台座を設置した。その台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆った。外装はデメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を鋳潰したものが使われた。建造には盛り土の傾斜路を利用し、組み立てが進むにつれて、傾斜路の高さを調節して対応していたと考えられている。彫像自体の高さは34メートル110フィート)、台座を含めると約50メートルに達した。巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年であった。

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  • ニューヨークにある自由の女神はロドス島の巨像をイメージして造られた像で、足から頭の上までの高さが34m111フィート)でロドス島の巨像と同じ。 台座の高さは47mで、地上からトーチ先端まで93mでロドス島の巨像よりかなり高い。重量225t
  • 奈良の大仏東大寺盧舎那仏)は本体の高さが15m(立位換算だと30m前後)。3mの台座に座っているので全高は18mになり、ロドス島の巨像の半分以下の高さ。重量250t。          
  •  奈良の大仏とよく比較される鎌倉・高徳院阿弥陀如来坐像は、奈良の大仏より一回り小さくて本体の高さは11m(立位換算だと22m前後)、台座の高さは2m。重量121t

グレート時代のマジンガーZの身長・体重

バードス島

第59話までのDr.ヘルの地下帝国の本拠地。エーゲ海上に有る孤島で、古代ミケーネ帝国の遺跡が存在する。かつてヘルはここでミケーネの巨人ロボットを発見、そしてこの島を基地に改造した。内部には「司令室ブロッケン伯爵加入後は一新される)」「機械獣製造工場」「機械獣格納庫」「幹部や戦闘員の居室」などが存在する。島の沿岸はサルードやブードの発着所、そして頂上は機械獣の能力テスト場になっている。また第40話からは「グールの格納庫」が新たに設けられ、島の一部が開いてグールが発進する。
モデルはエーゲ海にある実在の島「ロードス島」で、企画段階は元より、設定画や初期の脚本でも「ロードス島」となっていたが、土壇場になってこの名称に変更された。しかし当時のスタッフの混乱状態からか、第1話では「バードス島」となっていたのに、第2話の兜十蔵博士の遺言などでは「ロードス島」となっていた。この台詞は以後の再放送や、映像ソフトでもそのままである。

 

で「どこからどう間違ったか?」という話ですが、現代ではこういう世界観を構築する枠組みとなった当時の歴史観そのものが刷新されているから、さぁ大変…

パラダイムシフト1:「イオニアの成り上がりアテナイ人の雄弁術を信じるな?

以下の内容について「あれ、これ自分の知ってる古代ギリシャ史と違う」と思う人、もしかしたら「イオニア人の成り上がりアテナイが世界に自分を認めさせる為に捏造の限りを尽くした「アテナイ史観」を盲目的に信じてるだけかもしれません。とはいえ皮肉にもその「守り抜くべき伝統など何もない不遜な雰囲気」こそがギリシャ文化の世界史的飛躍に結びついた側面も…

パラダイムシフト2:「ドーリア人によるミケーネ文明破壊」なんてなかった?

かつては、ドーリア人の南下によってミケーネ文明が破壊された、と説明されていたが、現在の教科書からはそのような記述は無くなっている。

  • 2003年まで使用されていた山川出版社の『詳説世界史旧課程)』までは、「ミケーネ文明も、ギリシア人のうちでおくれて南下したドーリアドーリス人のため、つぎつぎに破壊されてしまった紀元前1100年頃)。」と断定的に書かれていた。
  • 新課程の『詳説世界史B』では「ミケーネ文明の諸王国は前1200年ごろとつぜん破壊され、滅亡した。貢納王政の衰退や気候変動、外敵の侵入など複数の原因によるものらいいが、滅亡のはっきりとした事情は不明である。」という記述に変わった。そして、注として、「この外敵が、同じころ東地中海一帯をおそった系統不明の「海の民」であったという説もある。」とされた。つまり、ミケーネ文明の滅亡原因は「ドーリア人による破壊」ではなく、複合的な要因であり、一説に「海の民による破壊」説がある、ということになった。他の教科書、新課程用参考書もほぼ同じような記述となった。

ドーリア人が南下して先住ギリシア人を征服した、という説はトゥキディデスの『戦史』にさかのぼる。その冒頭で「(トロヤ陥落から八十年目には、スパルタ人などのドーリア人が同じく南下を開始し、ペロポネソス半島に侵入定着している第一巻12章)」と述べている。

  • 近代の言語学の深化で、ギリシア語の方言分布が明らかになり、先住ギリシア人であるアカイア人などは東方方言群であり、西方方言群のドーリア人やボイオティア人、テッサリア人などがあとから侵入してきて、先住ギリシア人は征服されるか、エーゲ海の島々、小アジア西岸に逃れた、と考えられるようになった。そして紀元前1200年頃のミケーネ文明の破壊がドーリア人など西方方言群のギリシア人南下の第二波によるものと推定されたのである。
  • しかし近年では、紀元前2000年紀末に西方方言群のギリシア人の南下があったことは事実であるが、彼らは先住ギリシア人の文化を征服したり破壊したのではなく、共存したと考えられるようになった。それは考古学上の知見によるとドーリア人の南下の以前と以後では生活様式の変化が認められない、と言うことがわかってきたからである。アッティカ地方を除くミケーネ文明の都市が破壊されたのは事実であるが、その前後の文化の変化が無いとすれば、この破壊は一過性のものであったと考えなければならず、その要因としては天災説や自然環境の変化説などが現れたが確証は得られなかった。そこでクローズアップされてきたのが「海の民」の侵入説である(伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』初版1976 講談社学術文庫版 2004 p.72-75)

しかし、ドーリア人の移住をその要因とする古典学説を支持する意見もある。例えば、青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』では「現時点でも暗黒時代の情報資料は増加しているものの、激震の原因は十分に解明されているわけではなく、それゆえドーリア人の民族移動という古典学説も完全に否定されたわけではない」とし、広範囲にドーリア人の移動の痕跡が認められると同時に、アテネのあるアッティカ地方ではミケーネの文化伝統(幾何学模様式)が継承されているからである、と指摘している(青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』2009 興亡の世界史 文庫版 2018 講談社学術文庫 p.309-310)

  • もちろんスパルタだけは別物だが、彼らはドーリア諸都市の内でも例外中の例外。自ら技術的発展の可能性を放棄し、なまじペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)に勝って富裕な同盟を継承したせいで貨幣経済が浸透して貧富格差が拡大して伝統的精度が崩壊し、以降はただひたすら衰退の道を歩み続ける羽目に。

パラダイムシフト3:「ギリシャ暗黒時代」を抜けて東地中海制海権を掌握したのは「海の民」末裔だった?

ミケーネ文明の崩壊

紀元前13世紀ミケーネ文明は繁栄していた。しかし、災厄の予兆を感じていたのかギリシャ本土の諸都市は城壁を整えており、アテナイミケーネでは深い井戸が掘られ、まさに篭城戦に備えているようであった。また、コリントス地峡では長大な城壁が整えられ、ミケーネ文明の諸都市はある脅威に備えていたと考えられる。

ミケーネ文明の諸都市、ミケーネピュロスティリンス紀元前1230年頃に破壊されており、この中では防衛のために戦ったと思われる兵士の白骨が発見された。この後、これらの諸都市は打ち捨てられており、ミケーネ人がいずれかに去ったことが考えられる。このことに対してペア・アーリンは陶器を調査した上でミケーネの人々はペロポネソス半島北部の山岳地帯アカイアに逃げ込んだとしており、アルゴリス南メッセリアラコニアを放棄してアカイアエウボイアボイオティアに移動したとしている。
また、クレタ島にもミケーネ人らが侵入したと考えられており、ケファレニア島西岸ロドス島コス島カリムノス島キプロス島に移動している。これらミケーネ人の移動により、ミケーネ文明は崩壊した。

  • ここでは「襲撃者が身内」すなわち(不景気による収入の目減りを補おうとしての)同じミケーネ系都市国家間の合従連衡の動きも視野に入れておくべきであろう。何しろボイオーティア古希: Βοιωτία / Boeotia, Beotia, Bœotia)のテーバイ(古希Θῆβαι)の様にミケーネ文明時代、現地諸勢力を糾合して同じミケーネ人たるミニュアース人Minyans)の都市オルコメノスを滅した事を自慢げに語る伝承まで残っている。

    経済環境の悪化から(都市間、および都市内)伝統ある元来のミケーネ人のコミュニティと新参者たるアイオリス人コミュニティの間に亀裂が走った可能性もある。最近は「アルゴナウタイの冒険やトロイア戦争はミケーネ時代の出来事で、しかもエーゲ海沿岸側ではなく黒海沿岸側で起こった可能性もある」なる指摘まで出ているが、これにミケーネ人カリア人アイオリス人ペラスゴイ人の様に(おそらく遺伝子的にも歩んできた歴史的にも近い関係にありながら)言語は共有してなかった集団間の齟齬も加わってくるのだからややこしい。むしろ逆に、そうした無用な衝突を回避しつつ交易を成功裏に終わらせるべく言語(およびそれに付帯する教養)共有の必要性が広範囲で本格的に痛感される様になり、その結果型抜きされたのが「ギリシャ語とギリシャ文化の共有に執着するギリシャ」だったと考えるのが「暗黒時代ギリシャに何があったか」についての最適解なのかもしれない。

  • 同一人種間の関係についてさえこれくらい疑惑が列記されるくらいだから、本当の異民族との関係がどうなったかなど推して知るべしであろう。その偏見は「ギリシャ語とギリシャ文化の共有に執着するギリシャ」に型抜きされて以降のバルバロス(βάρβαρος, 単数形)/バルバロイ(βάρβαροι, 複数形)に対する態度に継承されていく。彼らにとっての痛恨の悔悟は(アッシリア人がキンメリア人に、ローマ帝国軍人がゲルマン諸族についてそう感じたであろう様に)ペリシテ人の様な野蛮人にまでミケーネの最新軍事技術が伝わって「海の民」の強大化に貢献してしまった事だったとも。

実際皮肉にも(エジプトの碑文などに)「海の民」として列記されたメンバーこそがミケーネ文明の展開地域、およびキロス島を起点とする「紀元前1200年のカタストロフ」からの回復経路に現れ、ある種の東地中海覇者集団を構成していくのです。そもそもラメセス3世の神殿碑文ではペルシェトペリシテ人)と並んでエクウェシュアカイア人)の名前が挙げられています。おそらくミケーネ人は(エジプトやヒッタイトにとっては寝耳に水だった)この事件における一方的被害者ではなかったばかりか、何らかの形で襲撃者側に巻き込まれてすらいたのです。ラメセス3世の神殿碑文はさらに「海の民」メンバーとして(ミノア/ミケーネ時代のクレタ島からアナトリア半島に移住したグループで「イリアス」にアカイア人側として登場しながら、歴史上は一貫してヒッタイト/シロヒッタイト側に留まり続ける)リュキアからのルッカLukka, Luqqa)の名前が挙げられているのにも相応の理由があるのでしょう。

  • 紀元前1230年頃、それまでミケーネ文明の中心地だったミケーネピュロスティリンスなどが続けて失陥すると、この災厄を生き延びたミケーネ人はこぞってペロポネソス半島北部の山岳地帯アカイアキプロス島アナトリア半島カリア地方やアナトリア半島沿岸部のロドス島などに退避した。かかる空隙を埋める形で南下してきたのがドーリアで、イオニア人アイオリス人も巻き込みつつ(実質上、ミケーネ人の足跡を追う形でエンボイア島経由でカリア地方やロドス島に渡って現地に植民地を建設していったが、別にこの展開自体に武力衝突を前提とする箇所は何処にもない。

    アハイア県の名称の由来であるアカイア人は『イリアス』においてはギリシア軍を指す言葉であった。紀元前13世紀頃ヒッタイト人の文書には、アカイア人がアヒヤワとして述べられている。また『イリアス』の「船舶一覧」において、アカイア人アルゴスからティリンスまでの人々とされていたが、一説によると、ドーリア人がペロポネソス半島に進入した際、アカイア人はこの地に追いやられたのだという。また、アカイア人の起源の地は、テッサリア地方南部にあるアカイア・フティオティスと呼ばれた地域であるという。

  • ギリシャ人が「暗黒時代」から脱却する契機となったエンポリウム交易拠点)はエジプトのナウクラティス希Ναύκρατις)と(「紀元前1200年のカタストロフ」まで「王朝中興期にカナンの反社集団アピルの手を借りた」アムル人交易国家アララハがあった )シリア北部のアル・ミナ(Al Mina, ギリシャ人とキプロス人が共有)であり、共用語としてのギリシャ語はこうした実地の場で用いられながら次第に洗練されていったのである。

    ところで当時のエジプトはリヴィア人王朝時代であり、リヴィア(エジプトとフェニキア人植民地カルタゴの間のアフリカ北岸)の主要都市キレネーとシリアのカナン地方アッカド地方南部バビロンクレタ島経由で結ぶ経路は異民族王朝ヒクソス流入経路としても知られている。

    さらにアフリカ北岸のキレネークレタ島を結ぶ経路を北上すると「穀倉地帯シチリア島サルディーニャ、さらにはイタリア半島中央部(現在フィレンツェがある辺り)のエトルリア人都市連合に到達。ミケーネ文明はこの範囲にも相応の影響を与えたと考えられているが、同時にラメセス3世の神殿碑文に列記される「海の民」メンバーはシェルデンサルディニア)、シェクレシュシチリア)、トゥレシュエトルリア人)を含む。

    ギリシャ人は現地への影響力をさらに盤石なものにすべくイタリア半島南岸シチリア島に積極的植民を行った(羅Magna Graecia)。ここに初出するラテン語Graecia(英語読み「ギリシャ)の語源は古代ローマに存在した都市グラキアGraecia)とも、そのさらなる語源となったと目される現在のオロポスOropos, エウボイア島からの最短距離の供給路上に位置するボイオチアとアッティカ間の辺境の海岸地方名)周辺にあったと推定される「ギリシアで最も古い都市グライアGraea/Γραῖα, 「古い」「古代」の意で何人かの学者は、ギリシャ神話に登場するギリシャ人の祖グライコス(Graecus/Γραικός)との関係を指摘)ともいわれている。

    そう、実はギリシア神話に登場する3姉妹の怪物グライアイ古希: Γραῖαι, Graiai, 羅: GraiaeもしくはGraeae。この名前は複数形で、単数形はグライア)と同語源で原義は「老婆達」を指す一般語に過ぎなかったのである。

    こうした展開の延長線上に花開いた「東方化様式運動」の盟主として台頭してきたのが交易国家コリントゥスだった。その「航海の女神」を兼ねるアフロディテ信仰は、エトルリア都市連合ばかりか「未来の地中海覇者」ローマ人にまで影響を与えていく。

    これらドーリア人商圏を構成する諸都市は、ペルシャ戦争(紀元前500年~紀元前449年)を最大限の伸張の機会として最大限利用しデロス同盟の盟主の立場に上り詰めた「イオニア人の成り上がりアテナイペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)に破れて衰退するまで守勢を強いられ、以降もギリシャ文明圏全体の没落の煽りを受けて振るわない日々がしばらく続いたが、ヘレニズム時代(紀元前323年~紀元前30年)に入りディアドッコイ(アレクサンドロス大王の後継者)の一環としてプトレマイオス朝エジプトセレウコス朝シリアを下して東地中海交易の制海権を掌握する様になると再び黄金期を迎えた。それを祝したのが著名な「ロドス島の巨像(Colossus of Rhodes, 紀元前3世紀頃)」となる訳である。

何と歴史観をそれなりに正したら「(ある意味「紀元前1200年のカタストロフ」の遠因の一つとなった、容赦無く金儲けに勤しみながら殺人も辞さない番人を閉架の宝物殿に立てるミケーネ人の偏執症的猜疑心を揶揄した)クレタ島の青銅の巨人」イメージから出発して「(プトレオマイオス朝エジプトとドーリア人商圏のタッグ成立を祝うロドス島の巨人」イメージに辿り着く発想の枠組みが浮かび上がってきました。これはこれで別の形で「技術は使う人間によって悪魔とも神ともなるマジンガーZの主題に取り組む形となりそうです。

  • とりあえず「ミケーネ人=ギリシャ人=青銅の人」の歴史的イメージの源泉は「ギリシャ暗黒時代」を跨いでヒクソス異民族王朝時代(紀元前17世紀~16世紀)に強力な合成弓導入により戦場から消え(当時の鎧の多くはリンネルや皮革を何枚も重ね、さらに金属で補強した程度)、アッシリア帝国時代(紀元前744年~紀元前609年)の鉄で補強した鎧兜の発達により戦場に帰り咲いた「(騎兵の突撃も止める必勝の)重装歩兵による密集陣形(ファランクス, 古希φάλαγξ, phalanx)」とされる。もしかしたら「弱点を突かれたらあっけなく死亡」なんて設定までその反映とも。この辺りはそれについて語る口調に内包される技術/経済論的世界観とぴったり重なってくる。ミケーネ人はそれを私兵として養える範囲で実現するしかなく、ギリシャは「ポリス市民の従軍義務」なる伝統的倫理観に基づいて必要数を動員し(ただしこの方法論、貨幣経済が浸透して貧富格差が拡大すると崩壊する)、マケドニア常備軍に配属される「金で雇う傭兵=国家公務員」という形で実現するのである。

  • それでは歴史観の変遷が崩壊させた「ドーリア人の来襲をミケーネ人が防ぐ」なる構図を如何に再建するか。陳腐ながら迎え撃つ側が「(しばしばギクシャクした関係に陥るが、嵌れば嵌ったなりに処理テンポが加速する)隠遁ミケーネ人と、今来ドーリアと、(威勢自体はあって、メカの操作やメンテナンスも得意だけど、戦闘に発展しそうなトラブルは全てその場を逃げ出す事で回避してきた)先住民のトリオ」に要約可能なのは有り難い。おそらく「隠遁ミケーネ人」はGothめいた悲観主義者で「どうせこんなもの何の役にも立たない」と諦めた秘密兵器を数多く隠し持ってる博士タイプ。そして「先住民」は「七人の侍(1954年)」の菊千代(三船敏郎)とか、セルバンテスドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(Don Quijote de la Mancha, 前編1605年, 後編1615年)」のサンチョ・パンサの様に冷静に全体の成り行きを俯瞰しつつ、現実がどんなに過酷でも適応自体は可能な自分の強さ/弱さとどうしても折り合いがつかないある種のロマン主義を抱える従者タイプ。このパターンでは「今来ドーリア」が読者が感情を投影するPllayer Characterとして案内人を務める事になるが、最近のトレンドはむしろこの機能を「先住民」タイプに割り振って「今来ドーリア」タイプを菊千代にとっての勘兵衛、サンチョ・パンサにとってのドン・キホーテとして描き切る路線かもしれない。で、この割り振りでさらに(主人公の心の揺れ幅に対応し、誰を選んでも正解とならない)それぞれ立場も到達目標も異なる複数のクセのある人物に分散させ「隠遁ミケーネ人=研究範囲以外は認知症気味の天才学者アルキメデス」「先住民=たまたま立ち寄ったシチリア島の中心都市シラクサで、現地人として生き様とするローマの貴婦人クラウディアと邂逅して危険が迫っても立ち去るに立ち去れなくなったスパルタ人旅行者ダミッポス」と置くと岩明均ヘウレーカ(HEUREKA, 2001年~2002年) になる。

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  • 時間区分としては「①メソポタミアにおけるアル・ミナ交易と、エジプトにおけるナウクラティス交易を足掛かりにしての暗黒時代からの脱却と東方化様式への到達」「②東地中海覇権を巡るアテナイとコリントゥスの対決(背後で暗躍する「アケメネス朝ペルシャの使者」がいい味出す筈)」「③アケメネス朝ペルシャの凋落とマケドニアの台頭、アレキサンダー大王の東征、ディアドッコイ戦争がもたらした混沌の最中にプトレオマイオス朝エジプトが救世主として現れ、両者の提携を阻止せんとするセレウコス朝シリアとの決戦を余儀なくされていく(上下編)展開」の三部構成になるだろう。もちろんAvant-Titleは「(遠征による宝物略奪と戦争奴隷獲得で経済を回してきた新王朝エジプトとヒッタイトが揃って成長限界に達して雌雄を決する以外選択肢がなくなった)カデシュの戦い(紀元前1286年頃)」で、これに続くOP-Rollは前衛化や抽象化で詳細を曖昧にぼやかされた「紀元前1200年のカタストロフ」。エジプト新王朝の反撃、ウガリット炎上、既に自滅状態のヒッタイト領内を素通りする「海の民」辺りをモンタージュしながら、次第に「ミケーネ文明を自壊させた末期的状況」に焦点が当たっていく。そしてEd-Rollでは「プトレオマイオス朝の宗教改革」のエピソードとか、アレキサンドリア図書館に関する情報辺りが流れ、最後に「ヘレニズム文化、それはオリエント文化とギリシャ文化が完全に合一する筈の無限遠点?」みたいな謎めいたTelopで終幕。

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    当然、後世の人間はもう次の時代として「ローマ支配の受容を強要される屈服の時代」が迫ってる事を知ってる訳だが…
    そこは「悲劇は登場人物たちが最初からそのような運命を背負っていることを我々が映画の始まる以前から知っている、という点にある。だが話は戦争のなりゆきについてだったろうか?我々にとってそうではないし、結局、すずやその家族にとってもそうではない。この映画が戦争についての映画ではなく単に戦中に設定されているにすぎないのとちょうど同じで、すずの生活のほうがそれを規定している環境よりも優先する重要な位置にあるのだ。」という次第。

創作の下稿として準備する「歴史的フレームワーク(作中において容赦ない絶対基準として機能する時間展開に沿った主要な歴史的事象の空間配置)」としてはこんな感じ? で、問題はこの構造を「スーパー・ロボット物」のフォーマットに押し込めるかどうかなのですが…

第一部メソポタミアにおけるアル・ミナ交易と、エジプトにおけるナウクラティス交易を足掛かりにしての暗黒時代からの脱却と東方化様式への到達

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  • Avant-Titleの「カデシュの戦い」は当然、数千台単位の量産ロボ軍団同士の衝突として表現される。伏線も兼ねて途中途中で「(量産効果を無視したほぼ一点ものの)特製ロボ」のそれなりの(それ故の)強さも誇示される。

  • OP-Rollでは量産ロボの操縦を覚えた「海の民」、宝物殿の略奪を防ぐ為に特製ロボを投入するも「数の優位」に擦り潰されていくミケーネ領主(既に破綻しているヒッタイト領内では、色々な意味でそういう抵抗が起こらない)が写される。

  • 量産ロボを駆使して「暗黒時代からの脱却」を妨げる海賊団や山賊団と、同じく量産ロボを駆使して彼らと戦い続ける今来ドーリアとその支持者達。伝説の特製ロボを探しながら転戦するうち、ロドス島に辿り着き、先住民とその仲間達に邂逅。その案内でさらに隠遁ミケーネ人と邂逅(この辺りが所謂「第一話」的展開?)。

  • 今来ドーリア先住民が陰謀渦巻くキプロス島に渡り、量産ロボを駆使して問題解決。シリア北部のアル・ミナに交易拠点を開く事に成功。全てに絶望していた隠遁ミケーネ人の関心を引き始める。

  • 今来ドーリア先住民エジプトキレネークレタ島を舞台に展開するリヴィア人ファラオの座の相続合戦に巻き込まれる。量産ロボだけでは事態が処理し切れず「秘密裏に運用する」条件で隠遁ミケーネ人から特製ロボを借り受けて問題解決。新ファラオの信任を得てナイル川下流域のナウクラティスに交易拠点を開く事に成功するも、芸術家タイプながら野心家のコリントゥスの関心を引く展開を迎えてしまう(ブコメ展開とかBL/百合展開が期待される? シェークスピア四枚羽流に今来ドーリア人と先住民のそれぞれに対応する相手が現れるとゴージャス?)。

  • 今来ドーリア先住民は「芸術はわからん」などと呟きながら(一方、隠遁ミケーネ人は「なるほどそうきたか」と勝手に納得)、紆余曲折あってコリントゥスが主導する東方化様式運動をドーリア人商圏を構成する諸都市に販促する地方行脚の旅に出て量産ロボ特製ロボが大活躍(第一部統括の為、この辺りで中ボスと対決するクライマックスが欲しいけどイメージが難しい)。旅先で東方化様式運動成功の些細な証拠を得て「オレ達、もしかしたら革命起こしちゃった?」とか呟いて笑い合う。

  • 第一部Ed-Rollではギリシャ民族がアル・ミナナウクラティスへの交易場開設、及び東方化様式運動の成功によって完全に暗黒時代から脱却した証拠が列記される。そして最終カットで「アテナイの参戦」が予告される。

なるほど、こんな感じで展開するのか。とりあえず以下続報。