諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】21世紀の「版画画廊(by Escher)」?

あれ、どうしてここにこれ?」という印象が、まさにそのまんま。

https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG7EWq3gkaBV51Iq32TvAcGrFGJLYXPsvUcTXV7P3YYThZwu87gLpK7_7hD_Dhrd1QqtsdQSmKDmWmwtlusZNxtHWhJKDg0TX-gH9EwbbfESI_dBxxv8SEqwl_fvRSm_KAmhOPlvbjxAe-g_GQ_t4p8xLxBKFqAICy5-TgWNEgn_U56KYU7Hd3vhxYwgH14Iwbk_1kha7lPeMHVsj3ThlTRY-lqu2PzGCLeFpCQp7MCorv_cB2VivYA-Bvn5lRjHRz9wncaIY0nUaBvAQGTfIVuk=/20180712221904.jpg?errorImage=false

  • 0に無限に1を加え続けると理論上は無限遠(Infinity)に到達する筈だが、決して体感は出来ない(実際には近く事すら出来ないので)。逆に無限遠(Infinity)から1を引き続けると理論上は0に到達する筈だが、決して体感は出来ない(実際には無限遠から離れる事すら出来ない)。
  • ならば0から無限に1を引き続けると理論上到達する-無限遠(-Infinity)とは一体何なのか。ただの無限遠(Infinity)と何が違うのか?

人間はこういう矛盾に突き当たると、しばしば「語り得ないものについては沈黙せよ」なるヴィントゲンシュタインのドグマに回帰するものなのです。

要するに「三点リーダ()」の世界? 例えばXn(n=0→Inf)(0,1,2,3,…,Inf)とか。

ついでにこんな知識を得ました。「∴はtherefore、∵はbecause」。

これぞ「セレンディピティSerendipity)」?

あれ、「セレンディピティSerendipity)」の発想は上掲の「語り得ないものについては沈黙せよ」なる発想を超えてる?