諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「議会不信」を巡る様々な立場。

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この投稿をしたばかりだからネタに出来る!!

9月30日、ベルギーでようやく連立政権が成立した。選挙後に正式な政権が存在しない世界記録541日を破らなかったものの、昨年5月26日の選挙から約16カ月493日)の政権不在。そしてこの541日世界記録を持つのもまたベルギーだ。記録は2010‐11年に遡る。それまでの記録を持っていたイラクを破った。

あらまあどうして?

 大日本帝国憲法憲法プロイセン欽定憲法の影響を受けていると言われますが(当時の明治政府の「海外のええとこどり」振りを俯瞰すると逆に正解か不正解か分からなくなってくる)、実はそのプロイセン欽定憲法のさらなる大元はベルギー憲法だったとされています。共通する特徴は「議会に頼らない政府運用」。それが目指される事になった事情自体は国ごとによって異なります。

  • プロイセン議会は自らの保身にしか興味がないブルジョワ階層が牛耳っており、その事が行政運用に様々な弊害をもたらしていた。

  • 大日本帝国の場合、まさしく憲法発布と同期して議会が開設されたのであり、その政治能力など宛に出来る状況ではなかった。実際開設されて数年は単なる政治的素人の寄せ集めに過ぎず目も当てられない状況だったが、当時の「今変われなければ、日本も植民地にされた諸国同様、列強に滅ぼされる」危機感の共有は本物で、日清戦争(1894年~1895年)の頃までにはそれなりに「使える」感じには仕上がっていたという。その一方で、この頃に始まる国民レベルでの議会不信傾向が大日本帝国末期の軍国主義化の遠因の一つとなった現実も認めざるを得ない。
    ちなみにこれは第一次世界大戦(1914年~1918年)に向けて盲目的に突き進んだドイツ帝国末期にも見られた症状。版籍奉還1969年廃藩置県藩債処分1871年秩禄処分1876年)を連続して成功させて江戸幕藩体制の旧弊から脱却し、天皇陛下立憲君主を目指した日本人には想像だに出来ない地獄の景色がそこには広がっていたのだった。

    まぁ「アルプスの少女ハイジ 」のクララが熱狂的に「皇帝陛下万歳!!」を叫んだ時代でもある。この一事を以てもどういう地獄だったかが偲ばれる。

そしてベルギーの問題点はフラマン人ワロン人の仲が悪過ぎて、今日なお議会がしばしば長期間に渡って機能不全に陥ったり、召集不能状態に陥り続けている事。そもそも1930年にオランダから独立して以降しばらくベルギーは(ナポレオン時代の反動で保守化した王政復古時代 にあっては例外的に)国際的にリベラルな雰囲気を漂わせ、海外から流入する政治的亡命者の天国と化しており、その中には国外追放されたマルクスレーニンも混ざっていた訳ですが、「改めてマルクス主義が伝播するとやはりフラマン系マルクス主義ワロン系マルクス主義に別れて殴り合ったというのですから筋金入りです。

なので上掲のニュースに接した際に最初に思いついたのは「あ、こりゃ男性候補者逃げたな」だったのですが(そしてこれまでの経緯から、現時点においてはその憶測が棄却出来ない)次に思い出したのが2010年代の第三世代フェミニストのスローガンの一つにあった「戦争は男性が始める。女性はそれを終わらせる」なるフレーズ…

はてさてこれからどうなる? とりあえず以下続報…