諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】クレーマーへの妥協は既成事実を作るだけ?

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思い出したのが冤罪で潰された「テンプル騎士団の最後」…

これ一歩間違えば「ソドミー(肛門性交)がキモくないというなら自分もやってみろそれも出来ない人間がGayも同じ人間だなんて擁護するなんておかしいだろ?」って話になっちゃいます。そういう人に限って「ソドミー(肛門性交)を実際に試した。悪くはなかった」と主張する人が現れても「その程度のことでGayも同じ人間である証明になるなんて思い込んでるなら大間違いだ!!」と平然と主張。しかもそういう人に限って自認は「ナチスホロコーストを含むあらゆる差別犯罪を憎み、ありとあらゆる人種と人間の平等を目指すリベラリスト」だったりするから訳が分かりません。行き着く果ては「ユダヤ人が一刻も早く地上から一人残らず族滅すべき劣等人種である現実と、ナチスホロコーストがどうあっても許してはいけない絶対悪である事実は矛盾せず、そんな基本的事実も理解出来ないナチスの差別主愚者は一人残らず、その親族や交友関係も含め一刻も早く族滅すべきである」なる主張。要するに彼らが理想視する「差別も格差もなく、誰もが笑って暮らせる平等社会」は、彼らが自己承認欲を満たす為に絶対悪のレッテルを貼って弾劾し続けていく(彼ら自身が自らの存在意義の定義をその行為に結び続けているので絶え間なく量産され続けていく劣等存在に対する果てしない殲滅戦によってのみ達成されるのです。それってフランス革命やナチズムそのものでは? そういう形で彼らの無限遠(Infinity)は収束(Convergence)してる模様という話…

もしかしたら「ティンダロスの猟犬」問題同様、誰も顧みない「ロジスティック方程式のマイナス項(通常使われるモデルでは人口が均衡に向かうが、人口を無限と置くとどこまでも「殲滅圧」が高まり続けていくイメージ)」辺りがこの問題を説明するモデルに使えるかもしれません。詳しい話は、説明の準備が整った段階で。

  • ユダヤ人が一刻も早く地上から一人残らず族滅すべき劣等人種である現実と、ナチスホロコーストがどうあっても許してはいけない絶対悪である事実は全く矛盾してない。そんな基本的真実も理解出来ないナチスの差別主愚者は一人残らず、一刻も早くその親族や交友関係ごと族滅すべきである」なる主張…これ実際、バーニー・サンダースBernard "Bernie" Sanders、1941年~)が2015年民主党大統領候補の座をヒラリー・クリントンに譲った事に失望して彼への支持を取り消し、むしろ「現代社会の全面否定」という立場が近い極右と結んだ極左連中が展開した論法。イスラム革命防衛隊と親密な関係にあり「敵対勢力には容赦無く先制攻撃を加えるイスラエル」を病的に恐れる北朝鮮工作員が背後で暗躍してるという噂もあったが、それ自体どこかの勢力のプロパガンダだった可能性も指摘されていた。数こそ少なく露出もネットに限られたが(特に日本のメディアは完全なる箝口令を敷いた)がユダヤ人有力者の民主党離れとトランプ支持を加速させ、ヒラリー・クリントン落選の遠因の一つとなったとする説もある鬼子。まさしくフランス革命員会ナチズムの過激精神の継承者。

  • 匿名前提のネット上での出来事なので直接の関係を見出す事は不可能だが、ハロウィン・イベントでインディアンの格好をする白人の少年少女やクリスマスに「Merry Christmas」と挨拶する人々を集団で囲んでアカウントを削除するまで「貴様らの様なナチスの差別主愚者がこの自由で開放的たるべき社会を差別で窒息死させるのだ!! 一刻も早く自殺しろ!! 本当に人間としての良心があるなら家族を道連れにして一家心中しろ!! それも出来ない様な人間の屑が人間の振りをするな!!」などと罵詈雑言を繰り返すネット私刑を繰り返していた連中も同種のメンタリティの持ち主だった事は間違いない。ヒラリー・クリントン落選の報が流れた瞬間に一斉にネット上から姿を消したが、その後多くの人間が呟いた「邪悪は去った(Evil has gone)」なる言葉が今も忘れられない。

  • こうした悪夢の様な集団が生まれてしまった背景には「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street,2011年~2012年)」運動のあまりにも悲惨過ぎた現実があったという話も聞いた。日米のマスコミが完全箝口令を敷いていたが、実はこの運動、連日死者を出し続けたのである。

    原因は運動範囲が全米に渡る一方(最大で200箇所を超えた時期もあったという)バリケード参加者の管理が杜撰を極めた事、そして運動 時期が厳寒期に重なった事。それで思わぬ辺鄙な現場で紛れ込んだ犯罪者を巡るギャング間の銃撃戦による被害者、そして身を寄せて凍死する浮浪者が次々と現れるのが防げなかった。多くの参加者にとってそれは「(運動自体とは直接関係のない)ただの情報」に過ぎなかったが、それをいうならヒッピー運動を終わらせた一因となった「オルタモントの悲劇(1969年)」だって死傷者は一人に過ぎず、犯人もたまたま警備を任された暴走族と無関係者に過ぎなかった訳である。今から思えばこの事件や「シャロン・テート殺害事件(1969年)」や「ガイアナ人民寺院の悲劇(1978年)」を真摯に受け止め、運動の自然収束を許した新左翼活動家やヒッピー達には相応の良識と分別が備わっていたと言えるかもしれない。だが彼らはそこでブレーキを踏まなかったのである。

    オルタモントの悲劇

    実際、当時の国際的ネット社会は、この運動の運営側が「この程度の犠牲、社会正義実現の為なら取るに足らない」と開き直ってこの問題を放置した結果、どれほど急速に参加者の精神が荒廃していったか目の当たりにしている。「これまでの人生の中でバットマンを一度でもヒーローと認めた事のある人間は、その全員がもはや救い様のない先天的なナチス差別主義者である。我々が勝利した暁には、その全員がナチス再来の悪夢を不可逆的に回避し差別のない明るい未来を構築する為、親族共々絶滅収容所で族滅される最後を迎えるであろう」は中でも有名な妄言で(この発言を契機に当時のネット社会から完全に見放された)、当時独特の狂乱も含めクリストファー・ノーラン監督作品「The Dark Knight Rises(2012年)」に影響を与えた可能性が指摘されている。監督自身は(実に当時のフランス国民の5人に1人が犠牲になったともされる)血で血を洗うフランス革命期の内ゲバを描いたチャールズ・ ディケンズ二都物語(A Tale of Two Cities, 1859年)」と説明しているが、確かにそこに描かれた凄惨な景色にそれほどの違いがある訳でもない。

    日本人がこういう展開に比較的耐性があるのは、あるいは「山岳ベース事件(1971年~1972年)」「あさま山荘事件(1972年)」「オウム真理教の国家転覆計画(1987年~1995年)」などを経て、こうした暴走が行き着く先のイメージをある程度まで共有出来ているせいかもしれないと、しばしば思う。まぁ多少は「出羽守」もいるが、まだまだアメリカの様に致命的な数にまでは到達してないし(というか、そもそも「残虐極まりない屠殺の罪からアメリカを解放する為、食肉は全て輸入に切り替えよう」などと主張して畜産業会を激怒させる「本当に狂った活動家」を殆どネットでしか見掛けない印象)、そもそも「(山岳ベースの如き)現実の地獄から生還して人生観そのものが変わってしまった生還者」が主導権を握らない限り、ああまではならないという話も…さて、そういう部分はどう数理モデルに盛り込んでいけばいいのやら…

こうやって、なんとなく自分の文系人間の部分と数理の連続性が確認出来た時点で、以下続報…