諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「この戦いに老人側の最終勝利はない」?

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こういう時、思い出すのは三味線の話。

  • 三味線の原型は蛇皮線で、そのエスニックな音色が好まれて日本に広まった。
  • 儒学者の様な保守派が何世代にも渡って執拗に「こんなヘンテコなもの受容したら、日本人が日本人でなくなってしまう!!」と排撃キャンペーンを繰り広げたが、かえって反抗期の若者体制不服派を飛びつかせてしまい、逆効果となった。
  • いつの間にか三味線は日本の伝統的楽器の仲間入りを果たしていた。

そう「保守派の排撃」はむしろ遊郭高杉晋作が三味線片手に「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」と都々逸を読むのを粋と感じる風潮を加速させただけだったのです。「子供は常に大人が大嫌いなものが好き」という事を忘れちゃいけません。

 むしろ2010年代前半の米国人親世代みたいに「いかがわしいKPOP(2PMは脱ぐしヒョンナの踊りは卑猥だし本当にエロかった)」が排斥すればするほど流行するのに業を煮やし、自ら喜んで「江南Style」を踊り出す戦法で鎮静化させた先例に学ぶ方が恐ろしい? 実は既に日本でも「親がドラクエの話ばっかりするからデジモンを始めた(ポケモンは既に回り込まれてしまった)」と述懐する子供がいた様な…