諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「悪を裁く」という事。

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最近他の事に忙しいのであまり首を突っ込まない様に傍観してますが…

こんな話も出てきちゃいましたね。

 逆にいえば「(脛に傷があって)盾に使えない弱者」は誰からも救われる事がない?

実はロヒンギャ問題のややこしさは、彼らが植民地時代には体制側の手先だった辺り。単純化して「悪の組織が滅んで失業し、再就職先が見つからず元ショッカー隊員」と置くと、以下のタイプの人から相手にされない状況がより視覚化されますね。

権威主義といえば、私はある市井の人がこの新聞の体質に対する根本的な不信感を漏らしたのを聞いたことがあります。何年も前のことになりますが、軽い交通事故に遭いました。相手の人は自分の非を全面的に認め、拙宅にお見舞いに訪れてたいへん誠実で紳士的な態度で接してくれたので、私たちはいっとき、和気藹々で世間話に興じることになりました。聞けば彼は銀行員で、渉外係を担当したことがあったそうです。
 
ある時、勤務する支店に強盗が入り被害が出たので、新聞記者たちが詰めかけ、彼が対応しなくてはなりませんでした。強盗事件のいきさつについて注意深く、かつ詳しく話すことが任務で、それ以上のことは記者たちも求めていません。これは当然ですね。ところが彼は「朝日新聞はひどいですね」と言い出しました。何と朝日の記者は彼に向かって、「あなたがた金融機関は、資本主義の悪を代表していてけしからん」と横柄な態度で説教したというのです。まるで悪いのは銀行で、だから強盗に遭うのも当然だとでも言わんばかりの口ぶりです。私もその非常識にあきれました。この記者には、一支店が強盗の被害に遭っているのを取材する「任務」と、金融資本体制が一般的に社会矛盾をはらむという「認識」とを区別する感覚がまったくないらしい。いずれにせよ、この一事をもってしても、この新聞が「幻想の弱者」を後ろ盾にして、言いたい放題をやってきたことは明瞭です。

こういうタイプの人は、以下の様なエピソードについても「だが絶対王政時代の貧民の苦しみを思えば、この程度で済んだのは慈悲とすら言えるだろう」とか発言しちゃう訳です(実際フランスのインテリでそう発言した人がいる)。 

そういえば日本でも最近この話が出なくなりました。

 このブログの主題「認識可能範囲外を闊歩する絶対他者」問題と関係してくるので、とりあえずメモ。さて、どういう事情が背景に?