諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「色即是空空即是色」はニヒリズムではない?

f:id:ochimusha01:20201212094358p:plain

以下のの投稿をした立場からすれば、こういうディスクールこそ「(20世紀までの)反数理主義者が語りそうな事」の典型なる位置付けとなってしまいます。

仏教と数学

岡潔(1901年~1978年)は次のように述べている:

数学において自然数(One)とは何であるか,ということを数学は全く知らないのである。のみならず,ここはとうてい手におえないとして,初めから全然不問に付しているのである。数学が取り扱うのは,自然数の全体と同じ性質をもった一つの体系が存在すると仮定しても矛盾しないか,という問いから向かうのである。

幾何の点についても同様である。ところで,この(One)とか(Point)とかは,どうしてもわからないものかというと,宗教的方法を許容すれがわかるということである。仏教の一宗に光明主義というのがある。この光明主義の笹本戒浄上人 (1874年~1937年) が,もう 20 年くらいになるかと思うが,こういわれた。自然数(One)や幾何の(Point) は,無生法忍を得て初めてわかる。無生法認は法報二身心と自然の理法を悟るという,非常に高い悟りの位である。それだったら情抜きで(One)とか(Point)をいい表そうとしてもできないのである。

数学は近頃こういうことに気づき始めた。人は矛盾のない体系というだけでは,満足できるものでないと。なぜかというと,矛盾がないということを証明するためにはこの言葉の内容を規定しなければならない。ところがそうすると,かように限定された矛盾がないとうことは,素朴な概念としての矛盾がないということと一致しないことがあり得るからである。

華厳思想の根幹をなす事実として「一即一切/一切即一/事々無碍重々無尽」ということがある。田毎の月という言葉があるが,一つの月が沢山の田んぼそれぞれに映る。一方,一つの目に目前の広い世界が入り込む。一切の事物はみな理から現れて理と不二なるがゆえに,理の平等であるがごとく事もまた平等であり,甲の事と乙の事と相即無碍である。現象界の一切の事象が互いに融合していて障害となっているものは何もない,ということである。

華厳五教章に一から十までの数を取り出し相即相入の解明をしている箇所がある。「問ふ,既に一と言はば,何ぞ一の中に十有るを得んや。答ふ,大縁起陀羅尼の法は,若し一無くんば,即ち一切成ぜざるが故に。定めて知る,是の如し。此義は云何。言う所の一とは,自性の一に非ず。縁成の故に。是故に,一の中に十有るは,是れ縁成の一なり。若し爾らざれば,自性にして縁起なからん…」。そういえば平泉の中尊寺金色堂の前庭のポールには「不可思議妙法塵 一々諸塵出一切」という頌が書かれていた。あたりは静寂に包まれ一切が相即無碍であるかのようであった。

(One)を定義するには実は自然数のあらゆる性質を述べる必要がありはしないか。また(One)を定義した時点で実は数論の多くの性質はすでにその中に含まれているのではないか。

とてもPeanoの公理(1886年~1890年)だけから整数のもつ数々の不思議な性質、例えば Ramanujan (1887年~1920年) の発見した諸性質は説明できない。

話題は少し変わるが,数学の優れた一面は自らの限界を自ら証明していることである。こんなことが出来るのも数学以外にないであろう。ゲーデル (1906年~1978年) の不完全性定理によると「算術を含む帰納的で無矛盾な体系においては,決定不可能なすなわちそれ自身もその否定も証明できないような命題が、その体系内にかならず存在する」。簡単に言えば「ある程度複雑な体系においては,決して証明できないような命題が存在する」ということが証明されたのである。

この主張が発表されたとき人間の限界が証明されたと大きな話題となった。しかし一方これは人間は限りなく進歩できる可能性を示すのであるとも取れる。なぜならある体系では真も偽も証明出来ない命題は,それをこの体系の公理に付け加えることができ,新しい体系が得られるからである。

一方、皮肉にも以下の仏教哲学がコンピューター登場以降も相応に有効なのは、それが登場したのが(キリスト教史における大分裂時代に該当する)百家争論状態を乗り越える為に提案された(あらゆる党争に対して超越的態度を貫かねばならない立場が生んだ)ある種のメタ教学だったせいだったりするのです。

  • そう、そこでは般若心教の章句「色即是空空即是色」に象徴される変転無在の縁起の世界(龍樹の二諦説でいうところの世俗諦 (saṃvṛti-satya))が「とにかくありとあらゆる仏教上の諸概念に異論が存在する状況」そのものへと射影され、とりあえずかかる混乱状態から脱却して正観(正しい物の見方)に立脚した正行(正観から導出される最適解)のみを遂行せんと志したなら(「この世のありのままの姿」に少しでも近づくべく慎重な検討を経て厳選された正観のみに立脚する考え方の体系たる)三昧の世界(龍樹の二諦説でいうところの世俗諦 (saṃvṛti-satya)概念に限りなく近いが、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどはまとめて世俗諦に分類されるので、それそのものではない)に入るしかないとされる。

  • その上でそうした達観や境地さえも(人間の脳なる情報処理ハードウェア上にのみ存在する)仮象に過ぎず「世界そのもの=縁起の大系」の一部に留まるが、それはむしろ絶望でなく救済とする。ある意味ポパー反証可能性Falsifiability)概念を先取りしたメンテナンス概念で、しばしば「あらゆる時代を通じて正しい考え方も(それぞれのタイミングでのそれに立脚する)正しい行いもない」なるニヒリズムとも結び付けて語られるが、実際には(ブッダがこの世界に紹介した)仏法秩序そのものは、かかる表面的論争を超越して「梵我一如の境地を重視するウシャニパッド哲学におけるブラフマン概念」「法華経における久遠本仏」「遠藤周作「沈黙(1966年)において提言された「無限でただ寄り添うだけの」イエス・キリスト概念」「ディズニーランドにおけるシンデレラ城」の様な形で永続し続けていくイメージ。要するに「認識上の問題」と割り切った訳である。案外、宗教裁判に掛けられたガリレオが、判決を言い渡され裁判所から出る時に「それでも地球は回っている」と呟いたエピソードとも重なってくる。

    ちなみに中国古典における鼓腹撃壌概念は黄老法家思想に由来する大同思想を興成する全くの別概念で区別を要する。その割に(国際的に広く大衆の間で流布した)華厳経における「海印三昧」概念や浄土思想概念辺りは共有してるところがややこしかったりする。道教マニ教ばりの「ええとこどり」宗教なのである。

    『鼓腹撃壌』 書き下し文・わかりやすい現代語訳(口語訳)と文法解説

龍樹中論(3世紀成立)」の世界

  • 冒頭で「何であれ依存的に生じたものは、止むことも生じる事もなく、滅する事も永続する事もなく、来る事も去る事もなく、独自の性質がないので区別が不可能で、あらゆる概念構造から解放されている」と宣言し、これを(我々が生きている)縁起世界の特徴と定義付ける。現世をそう捉える考え方自体は(ヘレニズム文化の継承者としてのイスラム文化の精緻たるアラビア教学の衣鉢を継いだ)スコラ哲学などのキリスト教学にも見られるが「神のみがこの世に実存する唯一の実体であり、現世とは神の英知が流出する過程で(伝言ゲーム的に)誤謬が重ねられた産物としての虚妄に過ぎない」なる唯一神信仰に吸収されてしまう。ちなみに般若心教の章句「色即是空空即是色」概念の中央アジア系解釈の系譜にも同様な側面があって高麗中観派に継承され、朝鮮仏教の統合を目指した新羅華厳僧元暁を散々苦しめている。

  • 興味深いのがあちこちに散見される「正しい考え方や手続きに基づいて遂行されない呪術は決して成就しない」なる表現。おそらく龍樹なる人物、(部派仏教間の党争や、それと大乗仏教との関係を樹立する調停者の立場にあった事から明言は避けているものの)伝統的にバラモン僧が研鑽してきたウシャニパッド哲学を深く理解してそれに帰依していた人物で「正しい考え方や手続きに基づいて遂行される呪術は必ず成就する」確信を揺るがしていないのである。それがこの人物が密教の始祖にも推戴されている理由であり、かつまた「(人間の脳以外に代数構造体が駆動する)コンピューターなる情報処理ハードウェア」が現れた現代社会において再照明が当たる理由でもある。皮肉にも「コンピューターで代数構造体が駆動する条件の厳しさ(厳密に運用しようとすればするほど現代数学情報工学の知識が必要不可欠となる)」が明らかになるにつれ「歴史的に適当で雑なプログラムばかりインストールされてきたのに稼働し続けてきた人間の脳」は思わぬ形での挑戦者を迎え入れる羽目に陥ったのである。

元暁617年~686年)「金剛三昧経論」「大乗起信論疏記」「十門和諍論の世界

金剛三昧経について

金剛三昧経は「空の思想」「本覚思想」「唯識思想」「浄土思想」といった当時の東アジアにおいて最先端トレンドだった諸概念がコンパクトにバランス良くまとめられた使い勝手の良い経典である一方、サンスクリット原典が発見されておらず唐代における偽作説がつきまとってきた。

実際「三国遺事」に「新羅の使者が離宮で三十紙からなるバラバラの経典を得て新羅に持ち帰り、大安がこの散経を欽次綴縫して一巻八品の金剛三昧経とした。それは皆仏意に合うもので、元暁がこの経を講じ金剛三昧経を著した」とある。

そもそも新羅の仏教は隋唐の仏教が宗派的であったのと異なり、通仏教的で融通無碍な性格を有し会通融合をモットーとするもので宗派的対立を嫌う。この性格は新羅仏教の末期を除きほぼ一貫するものであった。中国の宗派仏教を受容した初期には特に顕著で、こうした新羅仏教の性格は特に花郎道や元暁の和諍思想にその例を認める事が出来る。

当時の日本仏教の状況はこういう感じ。

そもそも韓国人歴史家いうところの「朝鮮半島マケドニア新羅における仏教受容は王族が「和白(どの国でも最初に現れて中央集権化に抵抗する伝統的豪族連合)」への対抗馬として着手したもので、以降も次々と拡大する領土の精神統合の武器として研鑽され続けて行ったのです。そこで興味深いのが「中国への留学に向かう途上で修行なら故郷でも出来ると悟って引き返した」エピソード。「心の問題へのシフト」が、そういう形でも記録されているという…まずは出発点としてはこんな感じで以下続報…