はてなブログのアクセス解析によれば、最近以下の過去投稿が急浮上。
「語り得ることを語り尽くすことで語り得ぬことの輪郭を浮彫りにする事こそが、科学の本懐」なる考え方辺りが再評価されているのでしょうか。
この辺りにも絡んでくる?
量子力学には観測問題はないと繰り返し強調しています。一方で現在でも観測問題はあるという科学哲学系の方々もいますが、「その定義は?」と聞くと、全部標準的な量子力学で説明が既に付いており、実証科学として真に謎と言える「問題」を提示されたことがありません。もしあれば是非ご提示ください。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
前世紀に「観測問題」というと、波動関数の収縮を挙げられることが多かったわけですが、それはそもそも問題ですらなかったということは、繰り返しTWしております。https://t.co/z7ExBequlG
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
コペンハーゲン解釈では意識を持った人間である観測者が仮定されるのが不備だという主張もされることがありますが、それも問題にはなり得ません。自分以外の人間が本当に意識を持っているのか、それともAIなのかを区別する方法がないためです。つまり実証科学の俎上に載らず、単なる不良設定問題です。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
またもし仮にAIや測定器が意識をもって、波動関数の収縮を起こすとしても、外部観測者にとっての量子力学では、意識がないと仮定して計算した場合と同じ結果を与えます。量子力学は人間を優遇しているわけでもないのです。これについては下記もご参考にしてください。https://t.co/PuaUFys5yl
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
またコペンハーゲン解釈では、いつ観測が起きて波動関数が収縮するのか、またその収縮にかかる時間を計算できないという批判もされることがありますが、それも間違っています。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
まず「いつ」波動関数が収縮するのかは、まず観測者を指定する必要があります。それはフォンノイマン鎖の話になります。所謂ハイゼンベルグ切断の時刻以降では、マクロな多数の観測者たちや測定器の重ね合わせ状態が生じるだけで、それを観測する観測者ははいくらでも後に置くことができます。 pic.twitter.com/EonGIwFgqH
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
また初期時刻から波動関数が収縮する時刻までにかかる時間間隔の量子的な期待値や確率分布を計算することが、コペンハーゲン解釈で原理的に可能です。 pic.twitter.com/0NHhVB6er3
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
つまり波動関数の収縮を意識する第1観測者と対象系とシグナルのマクロな合成系を外部で観測できる第2の観測者を設定して、この合成系全体のシュレディンガー方程式を解析すれば、第1観測者の脳が波動関数の収縮を意識した時刻の確率分布を計算できるわけです。 pic.twitter.com/WycTpyzzSh
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
例えば、ここでの簡単化されたモデルでもそれは見て取れます。量子系としての第1観測者がいつシグナルを確認した(波動関数が収縮した)かが、この合成系の量子状態から計算できるわけです。 pic.twitter.com/6HnmNcfizF
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
十分に時間が経った後に、第2観測者が第1観測者にいつ波動関数が収縮したのかを聞くということを繰り返せば、収縮時刻の確率分布と期待値も原理的には実験でも計測できるわけです。 pic.twitter.com/S7IAwHc5xx
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
このようにコペンハーゲン解釈の標準的な量子力学には、観測問題は全く存在しないのです。もし実証科学として考えられる観測問題があるのならば、教えてもらえると嬉しく思います。科学哲学系の方々、いかがでしょうか?
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
追加:標準的なコペンハーゲン解釈の量子力学だと観測者がいなかったビッグバンの頃の量子性はどう説明するのかという質問がありましたが問題ありません。ビッグバンがあったという史実は宇宙背景輻射という量子的歴史書に書き込まれているだけで、その歴史書を現在の観測者が読み解いているだけです。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
観測者も地球も存在しなかった頃の時代の量子的現象が研究できるのも、量子情報としてなんらかの量子系に書き込まれて保存されていたためです。その歴史書としての量子系を今の我々が様々な測定装置で調べて解析をするのですから、その過程はコペンハーゲン解釈の量子力学できちんと記述できます。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月27日
「波動関数の連続的な時間発展を記述するシュレディンガー方程式が、観測時に瞬間的に起こる波動関数の収縮を記述できないのが、量子力学の観測問題」と未だ言う方がいたら、「それは古典力学的確率論でも起きて、別に不思議でもないですよね」とその方に教えてあげて下さい。https://t.co/THynjpQ608
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2021年1月19日
「系を観測をすると、その波動関数(または状態ベクトル)は収縮し、その変化はシュレディンガー方程式に従わない」と聞いて、前世紀の「観測問題」に目覚めてしまって、「波動関数とは?収縮とは?」と懊悩してしまっている物理学徒は、まず箱の中の古典的なサイコロの目の確率を考察してみて下さい。 pic.twitter.com/8cXonRhgoG
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2020年10月19日
各目の出る確率は1/6で、一様分布でしたが、箱をとってサイコロを観測して3の目が出ていれば、確率分布は3の目にだけ集中して他の目は零になります。これが「確率分布の収縮」であり、そして当たり前ですが、この確率変化はニュートン方程式に従いませんよね。 pic.twitter.com/9y9wy0SjSx
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2020年10月19日
波動関数や状態ベクトルは、物理量の確率分布の集合と数学的に等価な概念に過ぎません。ですから古典的なサイコロでも起きた「確率の収縮」が「波動関数の収縮」に対応するわけで、不思議なことでもありません。知識、情報の増加でしかない「収縮」はシュレディンガー方程式を満たすわけがないのです。 pic.twitter.com/usWHciwNWH
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2020年10月19日
ところで…
AIは自立した意識を獲得し得るのか。また人間もAIと延長線の存在に過ぎないのか。この問いの重要な部分は、確実に物理学が担うべきものだ。若い人達の今後の活躍に期待している部分でもある。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2018年4月19日
私の一連の投稿ではこの話、以下の様な展開を遂げたのです。
以下のアニメーション、そもそも元データに進行方向が内向きか外向きか、左回りか右回りかについての情報が含まれておらず、それについて観測者はどちらに回っている様にも見てとる事が出来る。この現象こそが確率計算による期待値の算出(シュレディンガーの猫は1/2の確率で生きている/死んでいる)と「観測者の主観上における確率の収束」の関係とも見て取れる。
「(条件付き確率における)ベイズの定理」はメモリレスと言われているが、こういう形での「不可逆的な(行き過ぎた)主観的枝刈り」も含む(客観的に見て実際には枝刈りが遂行されていない場合、数理の世界自体は元データに当たって再計算する事で容易く現実に復帰出来るが、人間の意識はそこまで器用でなく置き去りにされてしまう)。
この事には20世紀末、すなわち「人間の知能のシミュレーションを重視した」第二世代の人工知能言語Plologを触ってる時に気付きました。
- 観測者は、ただ「真っ昼間歩いていたら、何の事もない地面の起伏に躓いて転んだ」なる情報を提示されたら「発熱していて朦朧状態だった」といった異常を疑う。
- だが次いで「その時は皆既日食が訪れ、突然暗闇が訪れた瞬間だった」なる情報が提示されたら、そうした異常を疑う理由自体が消失する。これが私がこれまでの投稿でしばしば「代数演算の粗雑性」なる表現で表してきた「AはBである」「ところでΒはCでもある」「すなわちAはCでもある」なる三段論法の類が本質的に抱える欠陥である。
- しかしながら、かかる「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」の振る舞いを予め全て想定し尽くして計算しておく事は出来ない(その計算が可能なら、既にその対象は「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」ではない)。すなわちこれこそが「名状し難きもの(The Unnamable)は名状し得る場合(Namable Case)、既にそこには存在しない。ならば名状し難きものものとは一体何者か?」ジレンマの本質で、こうした計算に本気で取り組めば取り組むほど個別ケースを想定せざるを得なくなり、抽象的な一般解から遠のく(実際、第二世代人工知能知能はこの問題に直面して挫折した)。
そういえば、まさにこの種の問題に直面した事こそが、私が2018年末より数理再勉強に本気で取り組み始めた理由だったのです。その事実を思い出した辺りで以下続報…