2019年初頭に「数学の再勉強」を宣言し、しれ以来ずっと「高校数学と大学数学の狭間」みたいな領域の徘徊を続けてる訳ですが、その過程で思い出した事。
- 自分の思考様式の根底に意外と「(文化人類学者レヴィ=ストロースらが展開した数理人文学たる)フランス構造主義」のさらなる大源流たるソ連の昔話収集家ウラジミール・プロップの物語文法論が深く根ざしているという事。
- そしてそれは肯定的な意味合いも否定的な意味合いも含め(同じくレヴィ=ストロースが傾倒した)ゴビノー伯爵の人種エントロピー論と密接な関係にあるという事。
これは 若い頃から既に「背後に一貫した数理が貫いている考え方」を好んで摂取してきた結果とも。
黒田寛一の勧める読書はきわめてパラノ的なもので、系統的な読書をせよだとか、「ざっと読んだ」というのはようするに時間を潰しただけのことであるとか、拾い読み・斜め読み・飛ばし読みは物知りになるための読書法にすぎないとか「いかにも」なことばかり言っている→
— 🌸安田鋲太郎@4月から本気出す🌸 (@visco110) 2021年3月19日
浅田彰が「〈教養〉のジャングルの中へ」や「ツマミ食い読書法」で書いたような読書法、ようは拾い読み・斜め読み・飛ばし読み上等!という(のちにマリリン・アイヴィが日本のポストモダニストに共通して見られると指摘した)態度は、学生運動-パラノ的態度の否定というニュアンスが読み取れる。
— 🌸安田鋲太郎@4月から本気出す🌸 (@visco110) 2021年3月19日
僕も、きちんと通読することこそ「読書」だと思っている、そのくせ「なかなか時間がなくてねえ」などと言っているおじさんを見るとつい攻撃的なことを言いたくなる。時間がないなら一番読みたい章、あるいは小見出しだけでも読んだほうが、そうやって宿便みたいに唸ってるより何十倍もマシじゃね?と。
— 🌸安田鋲太郎@4月から本気出す🌸 (@visco110) 2021年3月19日
そういえば吾峠呼世晴「鬼滅の刃(2016年~2020年)」や田島列島「水は海に流れる(2018年~2020年)」の様な最近のヒット作中に断片的に現れる学問が、まさに1980年代にニューアカが執拗なまでに全面否定しようと試み続けた 「数理人文学=構造主義」だったりするのが気になります。
逆をいえば20世紀末にあれだけ流行したニューアカの痕跡は今や…