不思議と誰も「ラブ&ポップ(1996年)」について触れないのですね。既になかった事にされてる?
シン・エヴァ、第三の村の劣化ジブリ感に、庵野秀明って、本当に空っぽな人なんだなぁ、というのを再確認出来たのが良かった。庵野秀明=90年代は清々しいまでに空っぽだった。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
オタク的なディテール、エクリチュールの天才であるならば、何か意味のある事を描こうとはせずに、徹底して表層に留まり続けても良かったはずなのに、そんな彼が、幸か不幸か、オタクの成熟というテーマを語らざるを得ない立場に立たされてしまった理不尽、それも引っくるめての90年代とその終わり。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
個人的に、庵野秀明が空っぽな人間である事は分かっていたので、シン・エヴァには怒りは感じなかったけど、清々しいまでに、俺は女が出来て救われた、しか言ってないのには笑える。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
ジブリの農村賛美、みたいなのは彼等が本気だから批判する価値があるけど、シン・エヴァの場合、あからさまに単なる記号でしか無いから、マジで批判する気が起きない。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
90年代が徹底して空虚である事を、90年代の結晶である庵野秀明が身も蓋もなく露呈させる事には、歴史的な価値がある、というのは良く分かった、という意味では、新劇の意味はあるのかもしれないけど、圧倒的に空虚な代物を圧倒的なリソースで作り直す行為の歪さ、やっぱり感じてしまう。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
しかし絶望したシンジ君が村で生きる等身大の人々の生活に触れて回復する劣化版「おもひでぽろぽろ」みたいな展開で、エヴァファンは本当に満足なのかな。都会暮らしに疲れたOLじゃないんだぞ(笑)何が土の匂いだ。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
個人的にはリア充だけが幸せに生きる事ができる不公平で差別的な人間社会を肯定出来ないので、碇ゲンドウ氏が挫折した「人類補完計画」を引き続き遂行して行きたいと思います。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
庵野秀明が碇ゲンドウだ、という見方が多いけど、庵野秀明の空虚さを最も体現しているのは綾波レイでしょう。自分はオリジナルでは無くコピーである、という。
— 落花生BOY【「漂白」中】 (@bonkuratv) 2021年3月26日
さて、真の意味で「1990年代的空虚さ」の直視から出発して21世紀まで生き延びたのはどういうコンテンツだったのでしょう?