諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】思えば遠くへ来たもんだ?

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2018年末に「数理再勉強」を宣言してから三年目…最近になってようやくその成果が実感出来る様になったのです。

0次元を(乳幼児が生きているとされる、無意識と意識と超自我の境界線が存在しない)呪術的世界に擬えるなら、0.5次元は(ハイハイを始め、つかまり立ちを覚え、自分の足で歩き始める)経験主義的世界に該当します。哲学史の世界においては、人間が白紙状態(Tabula rasa)から経験の蓄積を始めると考える経験主義的立場と、経験知に対して先天的/生得的/先験的に(a priori)実存する認識が存在すると主張する観念論的立場が長年絶対的対立を続けてきましたが、虚数(Imaginal)概念が存在する数理の世界では、両者をこの様に連続的に統合的に扱う事が可能となるのですね。実際発達心理学によれば、人間の認知能力の成長は概ねこういう具合に進むとされています。

そう、まさにこういう「文系の人間を理系要素で煙に巻き」「理系の人間を文系要素で煙に巻く」怪しい文章が書ける様になる事を目指して始めた事だったのです。そもそも「文理系」に該当する駒沢大学社会学科心理学専攻の文学士が最終学歴の人間としては、ポテンシャルを最大限生かした戦い方に到達したといえるかもしれません。それでも最終的に(大学時代に習ってその後あまり参照する機会に恵まれなかった)発達心理学の知識が両者を統合する鍵として浮上してくるとは最後の最後まで分かりませんでした。人生まさに勉強の連続…

思えば遠くへ来たもんだ?