もちろん、この曲から…
(デビッド・リンチ監督映画NO影響が色濃いとされる)坂本龍一のこの曲への流れは、ある意味当時の日本におけるエレクトロPOP史においてはその裏面に過ぎなかった訳です。
『ニューワールド』には“終曲2015”と題した曲が入っています。“終曲”は坂本龍一さんがプロデュースしたPhewさんのデビュー・シングルのタイトルですね。
P:“終曲”は1981年に出たんですけど、あの時代というのは私個人は苦しんでいたんですよ。閉塞感があったというか……。80年代という新しい時代のはじまりがほんとうに大っ嫌いでした。パンクは終わってしまった。世の中は浮かれている。だけどメジャーなレコード会社とかはヘヴィメタ・ブームが再燃していて、ムリヤリつくったニューウェイヴを業界レベルでもりあげていく。ものすごく敗北感がありました。それで2、3年くらいはひきこもりみたいな生活だった。
2015年になってから、1980年には個人で感じていた閉塞感が世間にも広がっている感じがしました。1980年当時には、音楽という逃げ場があった。私にとって音楽は逃げる場所だったんです。でも今年に入って音楽をつくっていたら、音楽が避難場所ではなくなっていると気づきました。「これからどうなっていくんだろう」という気分が、80年代のはじめに感じていた個人的な閉塞感とすごく似ている。だけど当時とは決定的に変わってしまった――そういうことを表現したかったんです。
実は「(パンクが終わってしまった後)ムリヤリつくったニューウェイヴを業界レベルでもりあげていく」80年代の流れと言われて思い出すのは、当時の私の感覚としてはより濃厚なパンク色を備えつつ急激にエレクトロ・ポップ路線へと舵を切って行ったヴァージンVSというより…
ある意味「時代の徒花」に終わったPINK(1983年~1989年)だったりする次第。そう、こちらはロンドン・パンク・ムーブメントそのものというより(ロンドンパンク系ベンドがLIVEで「箸休め」的に演奏してきたレゲエ音楽に便乗したフェイク・レゲエ路線でデビューしたとIう意味合いにおいて)ある意味そのムーブメントに便乗して世に出たにも関わらず、中心メンバーが「(ロンドン・パンク・ムーブメントの素人礼賛主義に冷飯を食わされたせいで、それに反感しか憶えない)ベテランのスタジオ・ミュージシャン勢(割とジャズが共通語)」だったせいで独自路線を切り拓いたポリスの近傍というイメージなんですね。
特にこの曲とか、今から聞き返すとなんとなくDoorsっぽさがありますね。
不思議なまでに1990年代以降に爪痕を残さなかった系譜。とはいえ、今聞いても「古く」は感じない(いわゆる20世紀シティポップとは一線を画する)不思議な立脚点。
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる(1984年)」もある意味この範疇?
当時を実際に生きた人間としての個人的実感としては、後世「80年代エレクトロPOP」として振り返られる事になる「当時のニーズにピッタリとマッチした」独特の雰囲気(Atmosphere=アトムスフィア)のある種の極限が(FUNK色が強いとされる)久保田利伸の「TIMEシャワーに射たれて…(1986年)」「流星のサドル(1986年)」や(プログレ色が強いとされる)小室哲哉の「My Revolution(1986年)」「Get Wild(1987年)」辺りで完成した感があります(ただ「TIMEシャワーに射たれて」は時代が早過ぎてそれほどヒットしなかった。それくらい視聴者側のニーズの変遷が激しい時代だったのである)。
Official Videoだと「流星のサドル」辺り、遥かにエレクトロPOP色が強く、それに騙されて来た感も。
とにかく渡辺美里「My Revolution」を初めて聞いた時の「新しい時代が始まった」感は忘れられません。しかしそれは同時に「80年代エレクトロPOPのあの雰囲気」の終わりの始まりでもあったのです。
海外の人には、かかる「当時のニーズにピッタリとマッチした」日本のエレクトロPOPのセンターが以下あたりに見えている様です。しかし意外とシンセサイザーでなくホーン・セクションが頑張ってたりして(共通項はむしろリードギターとスラッピング・ベース)、オーケストラHit導入の有無同様、この辺りの可換性こそに「当時独特のニーズ」の特徴がある様なんですね。
かかる「日本の80年代エレクトロPOPを決定付ける(何か演歌にルーツがあるっぽい)リードギターと(むしろギターのスラッピング奏法が期限じゃないかと思われる)スラッピング・ベース」樹立はUltravox「New Europian(1980年)」のアン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」への「移植」辺りまで遡れたりします。アレンジが完全に差し替えられてるのに「同じ曲」に聞こえる不思議…
一方、キーボードの音色は遡ると、当時の大映TVドラマが盛んに流用したハリウッド青春搾取ミュージカル系とか英米ロック・アーティストのキーボード導入とかダンサブルなメロディーラインに辿り着く様です。少なくともニューロマの憂いを帯びた繊細な感じのそれではないという…
どこまでこの考え方が通用するかはともかく(人によってはJazz/Fusion色の強いDream Come Trueの登場や宇多田ヒカルの登場をこの分岐点に挙げる)、今から思えばその事自体よりむしろそこに辿り着くまでにそのメインストリームからロンドン・パンク色が一掃されていく(その反動として、むしろその部分だけを残したブルーハーツの様なバンドが浮上してくる)プロセスこそが重要だった気がしてなりません。おそらくこの辺りがPhewがインタビューで話した「80年代に入ってからの閉塞感」の正体だったのです。