諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「しばき隊は大成功だった?」

ゲーム紹介]ガイスター | JELLY JELLY CAFE

ボードゲーム・デザイナーのアレックス・ランドルフ氏が米軍情報局員出身で、学生運動が盛んだった時期の日本でも活動していた事、そして当時の経験が「ガイスター(Geister,初版1982年)」のゲーム・デザインに影響を与えた事はあまり知られてません。職業柄「どういう任務の過程で何を目にしてそれをどう活かしたのか」については生涯語らなかったそうですが「味方の不穏分子を敵に処理させても得点となる」殺伐としたゲーム性にある種の「革命のリアリティ」を感じずにはいられないのです。

2010年代Real Anarchistの巣窟もあるTumblrに潜り込んでましたが(真似してSEALDSもそこにサイト構築してたが「本物」には全く相手にされてなかった)、そこで学んだ彼らの冷徹な流儀に従えば「革命が忘れ去れれるのを防ぐ役目は十分果たした。さぁ次の手いこうか」といった感じかと。そう考える人々にとって(反抗せず働くだけ働いて綺麗に捨て駒として消えていった)SEALDSは(毛沢東にとっての紅衛兵同様に)十分成功体験だったのであり、これからも代わりを探し続ける事になるのでしょう。

問題は「精神が肉体を捨て駒として使う」場合。例えば自ら殺人の禁忌を犯す勇気までは持てなかったルソーは「誰かが自らの手を血に染めるべきだ」と散々プロパガンダを続けた末に外国へと逃げて自らはその生涯を平穏の内に全うした。その一方で迂闊にもその呼び掛けに応じてジャコバン派独裁の主導者として自民族の大量虐殺に手を染めたロベスピエールテルミドール反動1799年)によってその全責任を負わされ「ルソーの汚れた手」として今日なお忌み嫌われ続けている訳である。

まぁフランス革命については「革命のモグラシェイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès, 1748年~1836年)の方がよほど悪辣だった訳ですが。

  • 革命前夜に小冊子「三身分とは何か(1789年)」を発表してたちまちカリスマ的人気を獲得する。

  • 革命後は一院制議会を推進し(政敵である少数派を次々に死刑にする)恐怖政治を準備。

  • テルミドール反動1799年)後の政争でナポレオンを勝たせる。

今日のリベラルに欠けているのは「革命なんてそんなもの」という諦観なのかもしれません。むしろ実際に学生運動に積極的に参加してきた層の方が「(そういう負の側面も伴うから) 噛み切れないなら噛むな、噛まないなら吠えるな」を実践しているという…