そういえば2016年最初期の投稿では「鬼界カルデラの噴火と、それに伴う九州南部における縄文人全滅こそが日本文明発祥の起源」 としたのです。
先史時代以前にも複数回の超巨大噴火を起こしている。特に約7300年前の大規模カルデラ噴火は過去1万年の内で世界最大規模だったのであり、火砕流が九州南部にも到達し、九州南部の縄文人を絶滅させたと推測されている。
まずは以下の前提から出発します。
「閉じた系(システム)においてはエントロピーが必ず増大する」とする「エントロピー増大の法則」は、しばしば「整理整頓された状態(秩序段階)から散らかった状態(無秩序段階)への移行」としてイメージされてきました。
ここではあえて真逆に「散らかった状態(各地域文化が全く統合されてない段階)がエントロピー最小(すなわちあらゆる形で地域間交流が変化を引き起こす可能性が想定可能な状態)、全てが完全に整理整頓された状態(文化統合の結果、中央文化のみが残った段階)をエントロピー最大(すなわちもはや地域間交流が如何なる変化も引き起こさないある種の熱死状態)」とイメージし、その過程全体を「グローバリズムの進行」と考えます。その志向性は「地域間差異の偏在」を克服しようとする動きとして始まり、全ての差異の消し込みに成功するとその役割を終える(熱的死状態を迎える)訳です。
- ゴビノー伯爵(Joseph Arthur Comte de Gobineau,1816年~1882年))の人種エントロピー論や(ポーランドの特権階層シュラフタ(ポーランド語:szlachta/ルーシ語:шляхта)擁護に端を発する)ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年~1900年)の英雄主義やレヴィ=ストロースの文化人類学といった「社団(Association=アソシアシオン)は実存する」なる前提に立脚するフランス社会学の伝統に分類される諸概念は、この意味合いにおける「グローバリズムの完成=あらゆる変化の源たる多様で多態な差異が失われた熱的死状態」への志向をニヒリズムの一種と捉え、徹底抗戦を誓う。
ただしゴビノー伯爵の人種エントロピー論がかかる志向性の展開を歴史的必然と見做す悲観主義(マンハイムの分類における進歩主義)の立場に立つのに対し(すなわち、それ以上変化が起こらない熱的死状態の到来は不可避と考える)、ニーチェの英雄主義やレヴィ=ストロースの文化人類学は「差異の温存こそが人類を(それ以上変化が起こらない熱的死状態の到来がもたらす)滅亡から救う」と考える楽観主義(マンハイムの分類における伝統主義)の立場に立つ点が異なる。
- カール・マンハイム(Karl Mannheim,1893年〜1947年)「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」はまず「万物は(神の摂理を法源とする)自然法によって定められており、一切変えるべきではない」と考える中世的伝統主義が実存し、それに対して「数理的に抽出して改善を加える事が可能な次元では操作を遂行しよう」と提唱する楽観的進歩主義と「だが我々の数理抽出能力とその操作遂行能力はあくまで限られていて間違う事もあり、未知の変数を見逃してる可能性もあるから操作は慎重に進めるべき」と反論する悲観的保守主義が現れるが両者は表裏一体の関係にあり同一人物の中ですら共存可能とした。
一方英国政治学(英米系法学)の伝統は薔薇戦争時代と清教徒革命時代から得た現実的教訓から「究極の自由主義は専制の徹底(すなわち反対意見の黙殺)によってのみ達成される」なる悲観主義に到達し「国家=暴力的解決手段の独占によってその処理遂行能力を担保された超越的裁定機関」が客観的に地域間紛争を裁定し裁定結果を守らせる「法実証主義(Legal Positivism)」を採用。
これが近代国家の枠組みの原型となったが、この理論において国家は原則として「数理的に抽出して改善可能な次元」のみを扱うと考えられるので、一応はマンハイムの分類においては楽観的進歩主義の一種と捉えられる。
- 一方、中世から近世にかけて所領としては一定範囲を保ちつつ(純粋に国際情勢にのみ拠って外挿的に)王統だけが差し替え続けられた(ナポリやシチリア島を中心とする)南イタリアでは「国家は実存する」なる前提から出発して横軸に「(税収や兵役や賦役といった)国民負担」、縦軸に「(その見返りとしての)国家提供サービスに対する国民満足度」を取って国家経営の健全度を測定するイタリア経済学の伝統が発祥した。
これも一応は「国家は数理的に抽出して改善可能な次元のみを扱う」観点からマンハイムの分類において楽観的進歩主義の一種に含め得るが、ここで現れる「国家が国民に強いる負担」や「国民が国家に求めるもの」が「すべからく」数理的に抽出された改善操作を許すかどうかは随分と微妙な話題であり、実際「ここにムッソリーニのファシズムが付け込む余地があった」と「ユーロ・コミュニズムの父」グラムシ(Antonio Gramsci、1891年~1937年)は反省しているのである。
こうした一連の考え方に対しドイツ社会学の伝統は「マルクス主義元祖」カール・マルクス(Karl Marx, 1818年~1883年)「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie,1859年)」における「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされ量産された既製品に過ぎない」なる提言や精神科医フロイト(Sigmund Freud,1856年~1939年)の神経症研究を通じて明かされた「人間の行動は思うより無意識や超自我の影響下にある」とする人間的側面の発見から出発する(当時の言説には実際「マルクス=フロイト主義」なる表現が見受けられる)。
この観点においてドイツ社会学の伝統は「人間の自由意志が純粋な形で顕現するのはいかなる制約も受けてない場合だけである」と考える立場から逆算して「それを実際には統制下に置いて拘束する超越的構造」を炙り出すのである。
このあたりの事情についてドイツ人作家ギュンター・グラス(Günter Grass, 1927年~2015年)の代表作「ブリキの太鼓(Die Blechtrommel, 1985年)」に「ドイツ人は魂で直接探すのを好むが、感覚器官でない魂が一体何を検出するというのだろう?」なる(カントの観念論を告発する様な)鋭い懐疑を掲載している。ちなみにドイツのデュッセルドルフにおいてユダヤ人として生まれ、後にフランスに亡命してパリでカソリック教徒として亡くなった詩人ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年~1856年)は「ドイツ近代文学の歴史のために(Zur Geschichte der neueren schönen Literatur in Deutschland, 1833年)の中で「五感が感受する官能、およびそれへの反応としての全身の運動器官の使用履歴の総体」として人間を理解しようとするフランス人の官能主義(行動主義)的伝統と「客観的経験論でなく主観的直観が人間を善導する」イメージを重視するドイツ人の超絶主義(Transcendentalism=トランセンデンタリズム)的伝統を対比させていたりする。
全体的にゴチャゴチャしてるので整理を試みましょう。
- 文中で多用される「悲観的」「楽観的」なる形容詞は、それぞれの立場における観測原点に依存しており全体像を俯瞰する場合には切り捨てざるを得ない。
- フランス社会学の伝統が立脚する方法論的集合主義(Methodological Collectivism)とドイツ社会学の伝統が立脚する方法論的個人主義(Methodological Individualism)の対峙についてはとりあえずと単純化した次元として組み込み、フランス人の官能主義的伝統やドイツ人の超越主義的伝統もまたこの数直線上のしかるべき地点に配置されるものとする。
- 英国政治学(英米法学)が立脚する法実定主義については、とりあえず上掲の対象次元に(それぞれの対象の存続可能性に影響する)なる評価軸の追加で対応する。ここで論じたいのはエントロピー増減の方向についてだけなのでイタリア経済学の伝統の観点も含め全体を統制するのが自然競争状態であるのが正しいか、国家であるのが正しいかといった話題までは踏み込まない。
すると、ここで論じられているエントロピーが、数理的には以下の3種類に大別可能である事実が浮かび上がってくるのです。
- 加法群(Additive Group)的エントロピー…任意の二点間の平均を求め続ける事で最終的に加法単位元(Additive Identity)0=すなわち(熱的死状態に対応する)その系全体の平均値(分布の中心)に到達する流れ。
- 乗法群(Multiplicative Group)的エントロピー…とりあえず乗法単位元(Multiplicative Identity)1をエントロピー最小の状態と考え、実態がこれから離れるほどエントロピーが増大していくとみなす。さしあたって結果として実態が到底乗法単位元1の近似とは見做せなくなった時点で(その状態への復元が絶望的となった段階で)熱的死状態を迎えたと考える。
- 統計学(Statistics)的には、その分布が有意水準(Significance Level)を満たせない=帰無仮説(Null Hypothesis)を棄却(Rejection)出来ない=サンプル数過剰などによってその分布が個性を喪失し正規分布(Normal Distribution)といった大数の法則的一般分布に併呑される展開を熱的死状態を迎えたと考える流儀も存在する。
とりあえずネットをざっと検索した限りでは対応する概念を引っ掛蹴られなかったので一応は独自概念と規定しますが、この程度の発見、おそらくそのうち対応概念が見つかる事でしょう。
そして、今回のお題は古代エジプト王朝…
僕「エジプト第一王朝、紀元前3100年頃だって」
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
嫁「エグいですね」
僕「でも第一王朝以前の王朝も存在は確認されてて、それ以前は文字が発明されてないから便宜上第一って呼ばれてるだけで。紀元前7000年には牧畜を、6000年には農耕をしてた『王国』は複数あったんだって」
嫁「途方もないですね」
メソポタミア文明の場合はシュメール都市文明成立直前のウバイド期(紀元前5500年頃~紀元前3800年)の主要都市エリドゥから成立直後のウルク期(紀元前3500年~紀元前3100年)の主要都市ウルクへの時代推移があり、かつ当時について「メー(文明の恵み)移転事件」なる神話も残されているのでまだ分かりやすいのです。
僕「で、最終氷期が終わったのが紀元前8000年頃で、湿潤だったエジプト全土が急速に乾燥した結果あちこちに広がってた人々がナイル川流域に集まったのが国家の始まりらしい」
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
嫁「”乾燥してきたから”で集まって国家作れるなら、最初から地球が乾燥してたらすぐにでも国家作れたのでは」
紀元前中央アジアにおけるステップ気候帯登場が遊牧民国家登場を促した歴史的流れを想起させます。
僕「それよ。僕たちは人類の力を『文明』だと思ってるけど、その文明発祥前には既に山々も踏破して普通に生きて氷河期すら乗り越えてるわけよ。なんなら文字を発明するよりはやく遠洋航海までやってのけてる。つまり人間、文明発祥前から十分デタラメな動物なのではないか、と」
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
嫁「なるほど」
嫁「つまり何が言いたいので?」
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
僕「つまり、文字や文明、国家なんて『生きるために便利』と無数にしてきた発明の一つに過ぎず、人類の本質は『その気になりゃ身一つで食料・道具を現地調達しながらどこへでも行けてどこででも生きていける異常なバイタリティ』ではないのか、と(ごくり)」
僕「だから僕は思うわけよ。ホモサピエンス発祥から文明勃興まで9万年以上かかったのは、必要なかったからだと。人類は文明崩壊したって普通に生きていけるのだ。人類には社会が必要というのは錯覚でしかなく、つまり僕が社会性を有さないのはむしろ人類の本質に近く」
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
嫁「壮大な話の結論がそれ😇」
まぁ実際、世界史上異例に早い段階で土器製作に着手しつつ、その後発展が紀元後まで停滞した縄文文化について他の説明なんてない訳です。
規模がでかいのか小さいのかわからなくなってしまった。
— 違い丁字 (@rom1000dot) 2021年5月10日
世界や宇宙、歴史さえも、結局は個人の主観でしか認識出来ない以上、究極的には全ては”自分の話”という極めて規模の小さいものでしかないのである(詭弁)
— 榎宮祐 (@yuukamiya68) 2021年5月10日
そうなのかなぁ…