諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】人生週間少年ジャンプ?

f:id:ochimusha01:20210528213008p:plain

f:id:ochimusha01:20210528213046p:plain

f:id:ochimusha01:20210528213127p:plain

 当然、思い出したのはこの話…

頑張るには、“こうなるためには、これをやったらこうなるから、だからそこまで頑張ってみよう”といった、見通しをもつことが大切です。この見通しの力は“探索の深さ”とも呼ばれ、何ステップ先まで考えられるかに関係してきます。

しかし、認知機能が弱い人は、先のことを想像するのが苦手で、せいぜい“これをやったらこうなる”といった1~2ステップ先くらいしか見通せません。心理学者のハーマン・スピッツらの研究では、知的障害児では探索の深さは1ステップであることが指摘されています。

例えば、漢字を覚える宿題があるとします。見通しの力とは次のようなものです。

 漢字を覚える→ほめられる(1ステップ)→やる気が出る(2ステップ)→テストでいい点が取れる(3ステップ)→いい学校に行ける(4ステップ)→いい仕事につける(5ステップ)

これだけの見通しがもてれば、いま漢字を覚える必要性が理解でき、漢字を覚えようと頑張る気持ちに繋がります。ただ、まだ子どもであれば長い見通しは難しいので、見通せるのはよくて“いい学校に行ける”という4ステップ目くらいまでではないでしょうか。ですので、いい学校に行きたいという見通しがもて、その気持ちが生じれば頑張るわけです。

しかし知的障害など認知機能が弱いと1ステップしか先が見通せないこともあります。つまりこの例ですと“ほめられる”までしか見通しがもてていないのです。

漢字を覚える→ほめられる(1ステップ)

となると、ほめられるために漢字を覚えるといった動機づけのために頑張ることになります。しかし逆に、ほめられないと動機づけが生まれず頑張れないのです。

漢字を覚える→ほめられない(1ステップ)→終わり(漢字を覚えない)  

実際はこんなに単純ではありませんが、これに近いものがあります。頑張ってみようという動機づけにはある程度の見通し力が必要なのです。認知機能が弱いとこういった見通し力が弱く、そのために頑張れなくなるのです。大人になるにつれてほめられる機会はますます減ってきますし、またこの頃には挫折経験も蓄積していますので、ますます頑張れなくなってしまうのです。こうなりたいといった目標が立てられないから頑張れない、努力できないという訳です。

この見通し力の弱さは犯罪に繋がることもあります。例えば、お金がないけれど急にお金が必要になったと仮定します。そこに、目の前に大金をもった人が現れた。その時、そのお金を奪えばどうなるか。一時的にはお金が手に入るかもしれません。しかしその後、警察に逮捕されるかもしれない。そのことを見通すことができれば、お金を無理やり奪い取ることを躊躇するかもしれません。この場合、2ステップ以降を考えることができれば犯行に至りません。

お金が必要→目の前の人から奪い取る(1ステップ)→警察に逮捕されるかもしれない(2ステップ)→他の方法を考えよう。誰かに借りようかな(3ステップ)

しかし1ステップ目までしか考えられなければ、無理やり奪い取ってしまう、つまり強盗をしてしまうことに繋がるのです。その結果うまくいけば“またやろう”になりますし、うまくいかなかったら未遂に終わったり、逮捕されたりするのです。

お金が必要→目の前の人から奪い取る(1ステップ)→うまくいった、うまくいかなかった

世間の事件を見てみますと、犯罪者があまりに後先を考えずに行動している例が多いように感じます。彼らは、こういった先を見通す力の弱さがあるのではないか、とも推測されます。

これらの見通す力は、目標を立てる際に必要となります。

夏休み明けに実力テストがあるから上位50番以内に入るという目標を立てよう、秋には部活の大切な試合があるからそこで勝つという目標を立てよう、欲しいものがあるから秋までに10万円ためる目標を立てよう、といった感じです。これはあくまで等身大の堅実な目標です。見通しの力が弱くても、目標自体は立てられます。

かつて少年院の非行少年たちに、「5年後、どうなっていると思う?」といった質問をしていました。まだ10代の少年たちです。答えは、“仕事をきちんとして結婚して幸せな家庭を築いている”といったものが多かったのですが、彼らの中には性犯罪で少年院に入っている少年たちも少なからずいました。彼らの立場を考え合わせると、それらの見通しは現状とかけ離れているのでは、と感じることがしばしばありました。

また“芸能界で歌手になっている”と答える少年も意外といました。風貌からはとても想像できない少年も多かったので、自尊心を傷つけないように「歌手は相当厳しいのでは?」と問いかけてみると、少年たちは「ずっとなりたいと思っていたんで」と真摯に答えるのです。将来を見通す力の弱さ、等身大の自分をみる力の弱さを感じずにはいられないことが多くありました。

等身大の現実的な目標であれば、頑張れば実現することは可能です。それが自信となり、次の目標と頑張りに繋がっていきます。しかし現実離れした目標は、頑張っても実現は困難で、多くが途中で挫折します。そうすると、その度ごとに自信を失い、もう頑張れなくなってしまうのです。ここにも認知機能の中に含まれる先を見通す力の弱さが関係しているのです。

探索の深さ」といえば ディープラーニング

ニューラルネットワークの構成要素となるパーセプトロンが考案されたのは1957年であるが、計算機の性能の大幅な不足や、2層からなる単純パーセプトロンでは排他的論理和の認識ができないなどの欠点があったため、研究が大きく続けられることはなかった。

1980年代より、排他的論理和の問題を扱うことができる3層からなる多層パーセプトロンの学習を可能にするバックプロパゲーションが開発されたが、非効率的なメカニズムや、動詞の過去形など複雑な認識ができない(そもそも3層ニューラルネットで任意関数は全て近似可能であり、大脳新皮質がなぜ3層以上存在するのかが不明であった)などの要因により、1990年代後半には沈静化した。

インターネットが広く普及し、コンピュータの性能が向上した2006年ニューラルネットワークの代表的な研究者であるジェフリー・ヒントンらの研究チームが、制限ボルツマンマシンによるオートエンコーダ(自己符号化器)の深層化に成功し、再び注目を集めるようになった。この際、発表した論文から、これまでの多層ニューラルネットよりもさらに深いネットワーク構造を意味する、ディープネットワークの用語が定着した。元々はジェフリー・ヒントンらの開発したディープネットワークは層が直列された単純な構造をしていたが、現在のアルゴリズムは複数の分岐やループのある複雑なグラフ構造を持つ。そのため、基本技術をまとめて複雑なグラフ構造を簡単に実現できるようにしたライブラリも公開されている。

 「努力しても報われない」「そもそも努力する場が与えられなかったロスジェネ世代がある種の諦観に囚われた話にも通ずるものがありそうです。

若い世代には会社のなかで異動を重ねながらゼネラリストになるのではなく、いったん自分の専門(スペシャ)を決めたら、転職しながらそれを伸ばしていったほうがいいとアドバイスできました。

しかし、そもそもキャリアを持たない40代がこれからどうやって生きていけばよいのか。政府が支援するといいますが、日本国の抱える天文学的な借金を考えれば、気前良くお金を出すとはとうてい思えません。

日本は民主国家なので、経済的な困難にある人たちをどこまで支援するかは、最後は有権者の判断に委ねることになりますが、結局は「自己責任」とか、親が面倒を見るべきだという論調になるような気がします。

その結果、この世代は日本社会に対して強い怒りを抱くようになったのかもしれません。Yahoo!ニュースに大量のコメントを投稿しているのは40代とのデータがあります。さらには京アニ事件をはじめとする近年の重大犯罪はこの世代の男性が犯人であるケースが多く、それによってますます世間の視線は厳しくなっています。

古くには「アプリゲール犯罪」なんて概念もありました。

今はまだ到底まとめ切れないので、とりあえずメモがてら…