諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】ダンディズムの復権?

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ハードボイルド」というと、かの「虚淵玄の祖父大坪砂男の名言「ハードボイルド文学とは泥の大海に蓮乗の花を求める感傷主義(センチメンタリズム)である」を思い出します。ここでいう「センチメンタリズム(感傷主義)=ロマンティズム」の意味自体が1980年代以降、変容してきた訳ですが。

シャボン玉ホリデー(1961年~1972年)」放映当時のバラエティ・ショーでは「ロマンティック」という言葉が「おセンチSentimental=感傷的)」の同義語として使われてる。そして「センチメンタル」自体については既に終戦直後にはもう大坪砂男虚淵玄の祖父)が(しばしばタフな私立探偵が運命の女に翻弄される)米国ハードボイルド文学を「泥の大海に蓮乗の花を探すが如き感傷主義」と表現している。つまり起源はあくまで「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」の世界。実は1960年代前半に一斉を風靡したクレージーキャッツの流行歌には「涙で男を騙して破滅させる女」を戯画化したケースが多い。

 オンナコドモの前風景に「運命の女」概念が?

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  • あれ、ここで既にこの指摘の前風景が…

その一方で1970年代から1980年代にかけて展開した「負け犬文学」としてのサイバーパンク文学の世界においては「ニウロマンティック(現実を生き延びる上では阻害要因としかならない神経症的感傷主義)」と、それを乗り越える為の「現実的パンク(対極として現れる粗雑なチンピラ的行動主義)」の対峙が主題となったのです。

私は経緯的に「女性解放問題を人質に取って(時として家父長主義者に妥協してまで)政治的勝利を狙う第二世代フェミニズムへの反感から生まれた(分散幅の確保をこそ狙う)第三世代フェミニストに属するので、こういう考え方が大好きです。

そんな感じで以下続報…