「ハードボイルド」というと、かの「虚淵玄の祖父」大坪砂男の名言「ハードボイルド文学とは泥の大海に蓮乗の花を求める感傷主義(センチメンタリズム)である」を思い出します。ここでいう「センチメンタリズム(感傷主義)=ロマンティズム」の意味自体が1980年代以降、変容してきた訳ですが。
「シャボン玉ホリデー(1961年~1972年)」放映当時のバラエティ・ショーでは「ロマンティック」という言葉が「おセンチ(Sentimental=感傷的)」の同義語として使われてる。そして「センチメンタル」自体については既に終戦直後にはもう大坪砂男(虚淵玄の祖父)が(しばしばタフな私立探偵が運命の女に翻弄される)米国ハードボイルド文学を「泥の大海に蓮乗の花を探すが如き感傷主義」と表現している。つまり起源はあくまで「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」の世界。実は1960年代前半に一斉を風靡したクレージーキャッツの流行歌には「涙で男を騙して破滅させる女」を戯画化したケースが多い。
オンナコドモの前風景に「運命の女」概念が?
- あれ、ここで既にこの指摘の前風景が…
その一方で1970年代から1980年代にかけて展開した「負け犬文学」としてのサイバーパンク文学の世界においては「ニウロマンティック(現実を生き延びる上では阻害要因としかならない神経症的感傷主義)」と、それを乗り越える為の「現実的パンク(対極として現れる粗雑なチンピラ的行動主義)」の対峙が主題となったのです。
ナンシー関が「好きなことだけではやっていけない」のがダンディズムであり、そうでないのがオンナコドモだといった旨のことを昔書いていたが、「あなたらしさ」を強調する社会そのものがオンナコドモ化していると言えなくもないな
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月7日
「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない?」 https://t.co/m6fo4v1XuF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年6月7日
女子供でもオンナコドモでないのもいるし、大の男でもオンナコドモみたいなのはいっぱいいる、とも書いていたがそれは本当にそうだろう。家庭を仕切ってきちんと子育てをする主婦などはオンナコドモではないよな。これはこれでダンディなわけです
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月7日
やはりダンディズムの復権こそが歴史の名を借りたアドホックな好悪に対抗できるものではないか、などと思う次第
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月7日
という事は「良妻賢母」も一つのダンディズムであるっていうわけですね。
— 私 私子 (@cM5O4PADcYibCVx) 2021年6月7日
まさしくその通りです。
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月8日
ナンシー関は、今振り返ると主に芸能文化にツンデレだったように思えるんです。ただ、ツンばかり需要があったので、デレを本格的に出す前にお亡くなりになってしまいましたが
— Tar Sack (@tar_sack) 2021年6月7日
そしてツンデレという感情も、実は古い時代の産物で、現代になるほど素直に愛情を表現するのが推奨されているように思えます
あの御方が
— sasaki yusuke (@ranger0004) 2021年6月8日
そのようなことを
胸に刻んでおきます
例えばある土地の発展に貢献した有力者や、そのために現場の肉体労働に従事した名もなき人間の名誉を正当に評価する社会を作らなきゃダメだと思う次第です。今のリベラリズムにはこの視点が決定的に足りん。
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月9日
あなたは能力と努力次第でどこにでも、優しい人たちだけで構成される不快のない世界に行ける、なんて思想が肉を持って生きてる人間の役に立つわけねえだろ。
— 幸白鳥 (@usovich) 2021年6月9日
私は経緯的に「女性解放問題を人質に取って(時として家父長主義者に妥協してまで)政治的勝利を狙う」第二世代フェミニズムへの反感から生まれた(分散幅の確保をこそ狙う)第三世代フェミニストに属するので、こういう考え方が大好きです。
そんな感じで以下続報…