諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】デジタルデバイド概念におけるある種の分岐点?

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なるほど…

 そして、こんな話も。

そういえば吉田秋生のアクション漫画「BANANA FISH(1985年~1994年)」がまさにこのGUIが搭載される以前のパソコンを作中に登場させています。「天才少年」アッシュだけでなく、「日本の平凡な少年代表」アキラも普通に使いこなして大人をギャフンと言わせたものです。ある意味デジタルデバイド黎明期…

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さらに遡ると1970年代まではヒッピー世代中心に(当時コンピューターを代表する存在だった)巨大メインフレームを「権力の道具」として毛嫌いする傾向が見られたものです。

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ところがパソコンが登場すると「ヒッピー世代の導師ティモシー・リアリーらがその積極活用を考える様になり、むしろパソコンを「(海賊ラジオ放送の精神を継承する)権力と戦う道具」と評価する流れが生まれました。その落とし子がTV系サイバーパンク文学だったという訳です。

とはいえ当時の執筆陣でコンピューターをまともに使いこなしていたのは「テクノロジー小説の始祖マイケル・クライトンJ.P.ホーガンルディ・ラッカーといった、かかる運動のメインストリームから外れた人々で、このジャンルそのものが直接21世紀に継承されたとはとても言い難い状況だったりもするのでした。

しかし、とにかくWindows95が発売される以前に、既にそれだけの事が起こっていたのです。とりあえずメモがてら…