音楽の世界における文化盗用(Cultural Appropriation)概念と射影(Projection)概念の峻別は案外と難しいのです。
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— ヒカシュー (@HIKASHU) 2020年5月13日
1970年代白人音楽(Hard Rockやprog rock)における「文化盗用(Cultural Appropriation)」に始まった黒人音楽独特のCall & Response概念の流出がドイツや日本でこんな形で結実するなんて…
日本人は白人より伝統的に黒人音楽の動向に敏感なので、白人音楽にCall & Response技法を模倣される様になって黒人音楽がその使用をやめてしまうと、合わせてやめてしまったり、さらに発展させたりするのが興味深いところ(オカズ概念の成立過程?)。
韓国音楽に至っては日本におけるSka概念の混入も含んでさらに予想外の展開を見せてくれます。
「韓国の北島三郎」ソ・テジは1970年代末から1980年代初頭にかけてのみ存在したBritish Beat(London PankとNew Romanceの混交状態)を大源流とするJ-RockやJ-Punkの直接模倣は不可能と考えたのか、2000年代に日本の渋谷系音楽とメロコアの混交(あるいは源流に遡ってのBlitish Idle POPとメロコアの混交)を試みていますが、それ自体は日本音楽の発想をちゃんと逸脱していたりします。
「日本の渋谷系音楽とメロコアの混交」に近い試みは1980年代に例えばPinkが先鞭をつけてたりもするのですが、日本音楽だとどうしても伝統的にエスニック色やプログレ色が強くなってしまうのですね(というか素直な渋谷系音楽の射影にならない?)。そして日本においては渋谷系音楽とメロコアはほとんど対立概念(対象視聴者そのものが異なるばかりか、しばしばイデオロギー的に対立関係にある)…
これは「起源たる米国ではハイ・ファンタジーとサイバーパンク文学がイデオロギー的に対立関係にあったが、流出先の欧州や日本ではかかる峻別が損剤せず、その混交が起こった」事例と並列関係にあるといえるかもしれません。
数学における同型 (Isomorphic)の定義はより原密なので、二者の間に同型写像 (Isomorphism)が存在し同型と規定されたからといって両者が等しいとは限りません。
数学のある分野,特に圏論では,等しいことと同型とを区別するのが大切である。等しい(つまり二つの対象が等号で結べる)とは2つの対象が全く同じであることであり,一方について正しいすべてのことは他方についても正しい.一方同型は一方の対象の構造のある指定された部分について正しいすべてのことは他方についても正しいことを意味する。
同型は明らかで従わざるを得ないように見えることもあるが,なお等号では結べない(例えば父子関係や兄弟関係といった系譜学的構造が完璧に一致する二つの家族は同型(isomorphism =Greek iso-,"same," and -morph,"form" or "shape") だがそれを構成する人々が異なるので等しくはない)。
さて、どこまでが文化盗用(Cultural Appropriation)で、どこからが射影(Projection)なのか…