諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ルックバック修正問題】結局、日本人は何度でも繰り返してしまう?

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本当に残念でなりません。

こういう話も。

 この件、「京アニ事件」というより作者当人が受けた粘着に由来するという側面もちゃんと記憶に留めるべきだと私は思うのです。

この辺りについては、こういう意見も。

この話題について本当の問題点は未だ多くの人間が「(フロイトの時代まで遡る)人格心理学」から「(その弟子筋のアンナ・フロイトメラニー・クラインの論争に遡る)対象心理学」へのパラダイムシフトについてこれないままでいる点の様な気がしてきました。(ともすれば差別対処ともなり得る)特定の異常人格が実存する訳ではなく、実在するのは「認識の歪み」が引き起こす「行動の歪み」だけで、それ自体は斬新な創作活動をも含み得るものの、事件化に至る暴走も起こるという全体像の把握…改定前には確実に全体を統制していたその構造が改定後はすっかり矮小化されてしまったのが残念でなりません。

  • こうしたパラダイムシフトは、神経症の把握手段として始まった臨床心理学統合失調症的世界観をもその視野に収める為の歴史的必然として発生したが、1980年代頃にはまだまだそれを拒むイデオロギー党争が盛んに行われていたりする。そういう私も当時大学生として「人格心理学にあらずば心理学にあらず」の時代にこっそり「メラニー・クライン秘密読書会」に参加していたりするのだった。時代的には「第二世代人工知能から第三世代人工知能」という流れとも深く関わってくる。そう、どちらも「それまで人類が無邪気に認めてきた人格性や知性が絶対的な形で実存するという信念」の崩壊が始まる前景…

  • そういう観点から「改訂の契機」となったとされる以下の投稿を読み返すと実に陰鬱な気分にさせられる。

    この精神科医の発言自体は作品内容をちゃんと相応に評価しながら、そのクオリティの高さ故にそこに描かれた離人症のリアリティが偏見助長につながるのではないかという懸念を述べている。どうせなら「離人症についてリアリティある描写をしながら偏見助長につながる可能性も排除し得た傑作」についても併記して欲しかった。例えばクローネンバーグ監督映画「スキャナーズScanners,1981年)」…クローネンバーク監督の描く実存不安の背景には「アメリカ文化に精神丸ごと併呑されかねない隣国のカナダ人やメキシコ人の抱く精神的危機感」が強く透けて見える。

    そして「(薬物依存者が生きる幻想的世界を独特のアニメーション化によって描いた)A Scanner Darkly (2006年)」 …実は薬物依存によって一度は役者生命を断たれかけたロバート・ダウニー・Jrが、その経験をも生かした怪演で復帰しシャーロック・ホームズトニー・スタークとして快進撃を開始する原点でもある。

  • あくまで個人的意見だが、こうして全体像を俯瞰すると斎藤環氏の指摘が「舌足らず」だった事より、その評価をも裏切る浅薄な改悪を遂行してしまったジャンプ編集陣に非を求めざるを得ないのである。要するにかつての日本で「黒人に対する差別的表現の是正を求める声」が、さらに後退した「表現の世界からの黒人排除」に結実してしまった様な流れが再現されてしまった。このダメージは当分続くかもしれない

これ実はSNSでいうと2010年代においてFacebookが「実社会における人間関係」の延長線に権威主義ソーシャル・ネットワークを構築しようとして失敗し「国際的SNS上における関心空間」の築造が始まった流れとも一致してくるのですね。

システムの安定にはマネタイズ要素も重要で、こうした黎明期の試みの多くが挫折して(Tumbrは犠牲となったのだ!!)2010年代後半よりYoutuberの様な新世代が現れ始める訳ですが、まだまだ最終的な落とし所が見えない暗闘が続いている状態です。

ふと思い出したのが岡崎体育のアプローチ。そう、ここでいう「ワニさん」や「チーターさん」こそ実は…そしてヒカキンの様な一流のYoutuberの実像はあっけないほどぴったりと「(黙々と机に向かい続ける静かな戦いを続ける)ルックバック」の世界観と重なってくるのです。

いずれにせよこの作品はこうした関連議論の全体像も含め後世に「かかる過渡期の産物の一つ」として語り継がれていく展開を迎えるのでしょう。

そんな感じで以下続報…