本当に残念でなりません。
『ルックバック』作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。⁰熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました。
— 少年ジャンプ+ (@shonenjump_plus) 2021年8月2日
少年ジャンプ+編集部https://t.co/Vag51clfJc
藤本タツキ「ルックバック」の修正問題。作品内に不適切な表現があり作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考えたそうだが、それならそれで何処がどう問題だったかを明示すべきであり事を荒立てたくないだけという姿勢が透けて見える。作家と作品を守るのが編集部の仕事であろう。 pic.twitter.com/YP4jcPUAyx
— 村田源二郎 (@muratagenjirou) 2021年8月2日
何から何を「守った」のか
— でれすけ (@MuscleFastStar) 2021年8月2日
守ろうとして何を「殺した」のか pic.twitter.com/VrUJO3lAch
犯行の理由が精神疾患の発言っぽいってのがアウトらしいです。表現の自由とはって感じですよね🤔
— GeNTZ (@NtzGe) 2021年8月2日
https://t.co/3RNasM68VS
— ひゃっほう(ポーカー ) (@cc_hyahhoo) 2021年8月2日
これがきっかけかな。
こういう話も。
斎藤環さんが「ルックバック」について言っていることは、何かしっくりこないと思っていたが、鈴折さんが要所を衝いておられる。>RT
— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2021年8月2日
誤解を恐れずシンプルに解説すると、例えば同じ統合失調症による大量殺人でも「宇宙から放火しろとの電波を受信したので実行した」となれば無罪になるし、「被害者から頭の中の小説を盗まれたので皆殺しにした」となれば有罪になるんだよ。「病気が原因か否か」と「責任能力の有無」とは関係がないわけ
— 鈴折 (@sin_Lv98) 2021年8月2日
両者とも同じく妄想症状が主因になってるけど、後者は「盗まれたという憎しみは己の自制心でコントロールできるよね?」と裁判官から評価される。医学的には信じられない話だけど、法的にはそうなってるんだよ
— 鈴折 (@sin_Lv98) 2021年8月2日
そういうのを説明したのが、今の判例で一般的になってる「責任能力を判断する7つの着眼点」なわけhttps://t.co/TFSxoq3Jq3
— 鈴折 (@sin_Lv98) 2021年8月2日
斎藤環さん、著名人で影響力大きいから、「ルックバック」が一部差し替えになったのは、斎藤さんの言の影響があったためではないかと推測する。斎藤さんがあれを言わなければ、差し替えにまでならなかったような気がする。
— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2021年8月2日
この件、「京アニ事件」というより作者当人が受けた粘着に由来するという側面もちゃんと記憶に留めるべきだと私は思うのです。
ルックバックの件、これは統合失調症患者が身近かどうかでだいぶ印象は変わると思うのですね。私は、初読の時に、あ、これは嫌な描写だな、と感じたし、今回の修正は評価してます。
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2021年8月2日
どこが嫌かというと、まず「絵から罵倒が聞こえた」という描写が統合失調症のステレオタイプ。そしてそれは、作品を読めば連想される京アニ事件の犯人の人物像とは全然違うこと。全く関係ないこの両者を物語の中で結びつけているところ。
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2021年8月2日
創作は抗議によって書き換えられるべきではないと言う立場にはくみしません。似た例で言えば『グイン・サーガ』は「癩伯爵」という表現が問題視され、作者も納得の上で「黒伯爵」と書き換えた改訂版を出したけれど、それは正しかったと思うし、作品の価値とは関わりがない。
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2021年8月2日
この辺りについては、こういう意見も。
正直いうと俺、あの場面で特定の精神疾患なんて連想しなかったんよ。むしろ一つの考えに囚われちゃったら誰でもああなる地続きの怖さというかそっちだった。それが精神疾患だと言われればそうなのだが。
— 森田崇 @怪盗ルパン伝アバンチュリエ『813〈上〉』紙書籍版&Kindle版発売中❗️ (@TAK_MORITA) 2021年8月2日
こう感じた俺からすると、あれで特定の精神疾患を思い浮かべた人こそ特定の精神疾患がああいうものだという偏見にドップリなのでは?と感じてしまう。作中のどこにも犯人の病名なんて書いてないのにそれを読み取っちゃったわけだし。 https://t.co/GaTNDAZzBY
— 森田崇 @怪盗ルパン伝アバンチュリエ『813〈上〉』紙書籍版&Kindle版発売中❗️ (@TAK_MORITA) 2021年8月2日
あれをあっさり客体化してしまうのは精神科医ならではの「病理」なのではないか、と思いますね。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年8月2日
そんな感じがしてしまいますね…。
— 森田崇 @怪盗ルパン伝アバンチュリエ『813〈上〉』紙書籍版&Kindle版発売中❗️ (@TAK_MORITA) 2021年8月2日
同じく精神疾患とは思いませんでしたね・・・単純に他人のせいにしまくって現実と向き合わなかった哀れな人間の成れの果てと見ていて、そういう人間沢山見てきましたからね・・・。
— コーディー(E)エンタメの自由派、アンチヨxist (@visualk731) 2021年8月2日
外部に攻撃性が向く形ではないですが、自分も思考が一つの方向に追い詰められてモヤモヤの螺旋から抜け出せなくなった事ありましたから。「ああ、一歩間違えれば。わかるわかる。怖」という感じで他人事では全然なく。
— 森田崇 @怪盗ルパン伝アバンチュリエ『813〈上〉』紙書籍版&Kindle版発売中❗️ (@TAK_MORITA) 2021年8月2日
…というか今がまさにモヤモヤの螺旋から抜け出せない状態になっちゃってますね…
確かにそう言われるとあえて病名とか受ける必要もなかったのかなって気がしますね
— 和田@百姫たんシナリオ公開中 (@wadaken1) 2021年8月2日
殺人は誰でもやろうと思えばやれることですし、、、なんか名作にケチがつけられたようで悔しいです
悪い前例に(また)なったと感じますね…。
— 森田崇 @怪盗ルパン伝アバンチュリエ『813〈上〉』紙書籍版&Kindle版発売中❗️ (@TAK_MORITA) 2021年8月2日
よく殺人鬼ものにサイコパスって登場すると思うのですが、実際のサイコパスの人は単に共感能力の低い人で、犯罪を起こす事は稀だっていますしね……
— 和田@百姫たんシナリオ公開中 (@wadaken1) 2021年8月2日
ポリコレって大体、
— 和田@百姫たんシナリオ公開中 (@wadaken1) 2021年8月2日
自分を律するためではなく、他人を殴るために使われますからね
実際なところ、倫理観のある人の方がレアケースなのでは? と思います
この話題について本当の問題点は未だ多くの人間が「(フロイトの時代まで遡る)人格心理学」から「(その弟子筋のアンナ・フロイトとメラニー・クラインの論争に遡る)対象心理学」へのパラダイムシフトについてこれないままでいる点の様な気がしてきました。(ともすれば差別対処ともなり得る)特定の異常人格が実存する訳ではなく、実在するのは「認識の歪み」が引き起こす「行動の歪み」だけで、それ自体は斬新な創作活動をも含み得るものの、事件化に至る暴走も起こるという全体像の把握…改定前には確実に全体を統制していたその構造が改定後はすっかり矮小化されてしまったのが残念でなりません。
- こうしたパラダイムシフトは、神経症の把握手段として始まった臨床心理学が統合失調症的世界観をもその視野に収める為の歴史的必然として発生したが、1980年代頃にはまだまだそれを拒むイデオロギー党争が盛んに行われていたりする。そういう私も当時大学生として「人格心理学にあらずば心理学にあらず」の時代にこっそり「メラニー・クライン秘密読書会」に参加していたりするのだった。時代的には「第二世代人工知能から第三世代人工知能へ」という流れとも深く関わってくる。そう、どちらも「それまで人類が無邪気に認めてきた人格性や知性が絶対的な形で実存するという信念」の崩壊が始まる前景…
- そういう観点から「改訂の契機」となったとされる以下の投稿を読み返すと実に陰鬱な気分にさせられる。
この精神科医の発言自体は作品内容をちゃんと相応に評価しながら、そのクオリティの高さ故にそこに描かれた離人症のリアリティが偏見助長につながるのではないかという懸念を述べている。どうせなら「離人症についてリアリティある描写をしながら偏見助長につながる可能性も排除し得た傑作」についても併記して欲しかった。例えばクローネンバーグ監督映画「スキャナーズ(Scanners,1981年)」…クローネンバーク監督の描く実存不安の背景には「アメリカ文化に精神丸ごと併呑されかねない隣国のカナダ人やメキシコ人の抱く精神的危機感」が強く透けて見える。
そして「(薬物依存者が生きる幻想的世界を独特のアニメーション化によって描いた)A Scanner Darkly (2006年)」 …実は薬物依存によって一度は役者生命を断たれかけたロバート・ダウニー・Jrが、その経験をも生かした怪演で復帰しシャーロック・ホームズやトニー・スタークとして快進撃を開始する原点でもある。
- あくまで個人的意見だが、こうして全体像を俯瞰すると斎藤環氏の指摘が「舌足らず」だった事より、その評価をも裏切る浅薄な改悪を遂行してしまったジャンプ編集陣に非を求めざるを得ないのである。要するにかつての日本で「黒人に対する差別的表現の是正を求める声」が、さらに後退した「表現の世界からの黒人排除」に結実してしまった様な流れが再現されてしまった。このダメージは当分続くかもしれない
修正されたルックバック、加害者が同じ領域にいる、地続きだという設定だったからこそ、もっと書き手の足元を自ら抉るような批評性を持てたはず(そこまで踏み込めてなかったが)なのに、加害者を完全に外部化することで逃げてしまっていて、まったくダメな感じがする。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2021年8月2日
あの事件についてネタ的に取り込んでしまっていた問題を意識して描き直すなら大々的な改変が必要になってくるので、それは難しい以上、ああするしかなかったのかとも思うが、それならそれで何か一言あっても良かったと思う。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2021年8月2日
最初の感想。https://t.co/VVegVu3Z5X
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2021年8月2日
結果的に、表現者による表現者を慰撫するための表現者の物語という枠組みがより一層はっきりしただけだった、みたいな印象だ。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2021年8月2日
これ実はSNSでいうと2010年代においてFacebookが「実社会における人間関係」の延長線に権威主義的ソーシャル・ネットワークを構築しようとして失敗し「国際的SNS上における関心空間」の築造が始まった流れとも一致してくるのですね。
システムの安定にはマネタイズ要素も重要で、こうした黎明期の試みの多くが挫折して(Tumbrは犠牲となったのだ!!)2010年代後半よりYoutuberの様な新世代が現れ始める訳ですが、まだまだ最終的な落とし所が見えない暗闘が続いている状態です。
ふと思い出したのが岡崎体育のアプローチ。そう、ここでいう「ワニさん」や「チーターさん」こそ実は…そしてヒカキンの様な一流のYoutuberの実像はあっけないほどぴったりと「(黙々と机に向かい続ける静かな戦いを続ける)ルックバック」の世界観と重なってくるのです。
いずれにせよこの作品はこうした関連議論の全体像も含め後世に「かかる過渡期の産物の一つ」として語り継がれていく展開を迎えるのでしょう。
>「ルックバック」も京アニ事件犠牲者の供養として書かれた漫画なのだろうが、容疑者の聴取は進んでおらず彼の側からの事実はまだ闇の中だ。死の理不尽の象徴として人間を出した以上、レクイエム以外の読み方は出来るし読んでしまう人も居る。長期に公表を続けるには早すぎた作品なんだな。
— ドンじょぶお (@urakkun26) 2021年8月2日
早産したオリジナル「ルックバック」を悼む人が大勢居るという事実で救われる人も居るだろうし、それで十分描かれた意義は果たしたやろ。
— ドンじょぶお (@urakkun26) 2021年8月2日
そんな感じで以下続報…