諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ジョゼ と虎と魚たち】最後に勝つのは、結局「修正主義」?

リベラル勢がアニメ版「ジョゼと虎と魚たち」における最大の改訂点、すなわち車椅子ヒロインを「生活保護にすがって生きる貧者」から「(それから上がる収益だけで暮らせる訳でもなさそうだけど、ともかく)多小は不動産も有する不労所得階層」について完全なる沈黙を守った不思議…もはや彼らが貧富格差改善への意欲を失なってしまった証とも?

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かかる改訂時体の背景には相応のマーケティング上の必然もあったと推察されます。

  • 実際、ミュージカル映画レ・ミゼラブル(2012年)」大ヒットに際しても「貧困ゆえに非業の死を遂げるファンティーに同情が集まらず、彼女を救えなかった償いとしてジャン・バルジャンが「本人に努力する余地さえ与えず」幸せにしようとするその娘コゼットはかえって非難の対象となり(ディズニー・ヒロインでも同様の立場にある「眠れる森の美女」のオーロラ姫の人気は最悪)、むしろ逆境にもめげず(愚かな形ながら)自分なりの愛を貫こうと「On My Own」を歌うエポニーヌ (Éponine、ディズニー映画でいうと「ヘラクレス」のメガラ枠。「まどマギ」でいうとさやか枠?)に同情が集まった。
  • そしてこの反応は既にミュージカル版「キングコング(2013年~2018年)」やミュージカル映画グレイテスト・ショーマン(2018年)」に反映済み(ヒロインは「卑しい芸人」ではあっても、貧者代表としては描かれない)。流石は国際演劇界の最先端で生きてるオーストラリア勢、対応が早い?

そして…

考えてみるとこれって「イタリア共産党初代党首グラムシが、獄中で「国民国家としての全体像の在り方を顧みず、あらゆる局面で無闇やたらと階級的憎悪のみを煽り続けた」革命運動がムッソリーニファシズム運動に敗れた現実を厳粛に受け止め、暴力による政権奪還の可能性を放棄したユーロコミュニズム思想を基礎付けた流れとよく似ています。

グラムシは別に「ファシズムにも認めざるを得ない側面はあった」と敗北宣言を出した訳ではなく「各国には社会成熟度によって(絶対主義フランスや帝政ロシアや中華王朝の様に)体制が硬直し過ぎて暴力革命しか選択肢がない場合もあれば、(多くの先進国の様に)暴力革命を標榜する事自体、百害あって一利なしの場合もある」なる現実直視路線に立ち帰っただけなのです。ところが日本の左派(左の左)って伝等的にかかるパラダイムシフトに「修正主義」のレッテルを貼って断固拒絶してきたんですね。

そうやってアップデートを拒絶してきた報いが今になって…