リベラル勢がアニメ版「ジョゼと虎と魚たち」における最大の改訂点、すなわち車椅子ヒロインを「生活保護にすがって生きる貧者」から「(それから上がる収益だけで暮らせる訳でもなさそうだけど、ともかく)多小は不動産も有する不労所得階層」について完全なる沈黙を守った不思議…もはや彼らが貧富格差改善への意欲を失なってしまった証とも?
かかる改訂時体の背景には相応のマーケティング上の必然もあったと推察されます。
- 実際、ミュージカル映画「レ・ミゼラブル(2012年)」大ヒットに際しても「貧困ゆえに非業の死を遂げる」ファンティーヌに同情が集まらず、彼女を救えなかった償いとしてジャン・バルジャンが「本人に努力する余地さえ与えず」幸せにしようとするその娘コゼットはかえって非難の対象となり(ディズニー・ヒロインでも同様の立場にある「眠れる森の美女」のオーロラ姫の人気は最悪)、むしろ逆境にもめげず(愚かな形ながら)自分なりの愛を貫こうと「On My Own」を歌うエポニーヌ (Éponine、ディズニー映画でいうと「ヘラクレス」のメガラ枠。「まどマギ」でいうとさやか枠?)に同情が集まった。
- そしてこの反応は既にミュージカル版「キングコング(2013年~2018年)」やミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン(2018年)」に反映済み(ヒロインは「卑しい芸人」ではあっても、貧者代表としては描かれない)。流石は国際演劇界の最先端で生きてるオーストラリア勢、対応が早い?
そして…
僕がかなり気合を入れて健常者と障害者の間における憎悪を煽らないようにしていたのはまぁ理由があって、「健常者が楽しそうにしているのが許せなかった」みたいな事件が起きたら精神がもたないからね。誰だってそうだろ。だから、憎悪を煽ってはならない。健常者も障害者も男も女もなんでもそう。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
大方の社会運動を見てもわかる通り、目につく多くは「強者を憎め、あいつらはおまえらの敵だ!」って憎悪扇動をやってるわけよ。そうやって自分のとこの兵隊増やしたり小銭をチャリチャリ払わせたりしてる。こういうの、全部クソだろ?
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
「健常者が悪い」って言ってりゃ短期的に人気は取れるわけよ。政権与党をとりあえず叩いてたリベラルと同じ構造で。でも、僕は「行政も健常者も俺たちを毎朝起こしには来てくれない、がんばろう」って本書いたよ。障害者と健常者の間の憎悪を煽らないように心がけてきた。憎悪扇動そろそろ終わりにしろ
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
まぁ、反差別運動をしてる学者に「宗教右翼」と罵られたり、誰にも分らない理由で「健常者の味方の差別主義者」にされたら「名誉健常者」と罵られたり本当にゲロ吐くほど色々あったけどね。それでも憎悪扇動なんてやるくらいならくたばった方がマシだろ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
社会的弱者に「これが正義だよ」って言いながら憎悪と対立打ち込んだら、それがどんな帰結をもたらすかなんて誰にだって想像つくだろ。そういうことは避けなきゃいかんだろ。健常者も障害者も男も女も、同じ社会で生きていくしかないんだから。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
僕は胸張って言えるよ、僕は身体張って作家生命賭けて、おおよそ人生の大体全部を張って「憎悪扇動をやめろ、健常者や障害者を憎ませ合うのをやめろ、男と女でも同じだ」って言い続けたよ。バニラエアの時なんか大炎上してもね。そうじゃないとダメに決まってんだろ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
あらゆる場所にいる憎悪扇動者たち。強者を憎ませる者も弱者を憎ませる者も結局同じだ。そろそろ「自分が何をやっているのか」理解しろ。憎悪ってのは最終的に形を成して人間を襲うんだ。小銭を拾ったり自分の欲望を満たすのに使っていいわけねえだろ。何百回言ったかわかんねえけどよ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
「荒れれば荒れるほど、モメればモメるほど、憎み合えば憎み合うほどnoteに金が落ちてくる」みたいなクソ、そろそろいい加減にしとけよ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年8月8日
考えてみるとこれって「イタリア共産党初代党首」グラムシが、獄中で「国民国家としての全体像の在り方を顧みず、あらゆる局面で無闇やたらと階級的憎悪のみを煽り続けた」革命運動がムッソリーニのファシズム運動に敗れた現実を厳粛に受け止め、暴力による政権奪還の可能性を放棄したユーロコミュニズム思想を基礎付けた流れとよく似ています。
グラムシは別に「ファシズムにも認めざるを得ない側面はあった」と敗北宣言を出した訳ではなく「各国には社会成熟度によって(絶対主義フランスや帝政ロシアや中華王朝の様に)体制が硬直し過ぎて暴力革命しか選択肢がない場合もあれば、(多くの先進国の様に)暴力革命を標榜する事自体、百害あって一利なしの場合もある」なる現実直視路線に立ち帰っただけなのです。ところが日本の左派(左の左)って伝等的にかかるパラダイムシフトに「修正主義」のレッテルを貼って断固拒絶してきたんですね。
そうやってアップデートを拒絶してきた報いが今になって…