このサイトの主題の一つは女性側から見たニンフェット期(Nymphet=女子の身体的成長速度が男子のそれを追い抜く小学校高学年時代から、逆に追い抜かれる中学生時代にかけての少女期)の諸元と、この問題に男子/男性はどう巻き込まれていくかを明らかにする事だったりしますが、それは荒川弘「鋼の錬金術師(2001年~2010年)」にもしっかり描かれていました。
そして…
パラリンピックの解説にガチガチの材料工学家や義手義足技術者を呼んで「あの選手の義手は〇〇社の最新型ですねぇ」「性能と同時に工学と美術の両側から最高のデザインを追求した逸品です」とかやって欲しい、っていったら不謹慎不謹慎言われたのでこの気持ちをそっとTwitterに放流しておきます。
— まんだむ (@manndamm) 2018年2月21日
「スタッフによる調整と選手本人のフィードバックを経て、選手たっての希望で小指の付け根の素材がピンクゴールドとなりました」
— まんだむ (@manndamm) 2018年2月21日
「なるほど、それはどういった効果が?」
「ピンキーリングです」
「ピンキーリング?!」
「なんで不謹慎なんですか?」と聞いたら、「人の不幸をエンターテイメントのように鑑賞しようとする精神が不謹慎」とのこと。え、みんなオリンピックをスポーツエンターテイメントとして観てないの?もしくはオリンピックは良いけど、パラリンピックはダメなの?もうわけ分かんないからラーメン食お。
— まんだむ (@manndamm) 2018年2月21日
わからないけど当事者の方のご意見が伺いたいです
— かがみん(根津 淳一) (@KagaminPower003) 2021年8月9日
まぁ当事者の方々のご意見も十人十色なんでしょうけど。
ご不快になられるような事なのでしょうか?
日本のリベラル層は黒人問題でも一度同じ間違いを繰り返していますね。
不幸ねえ……まあ、好きでなった訳じゃないのも事実だがさ。
— 創手カケラ シナリオと世界設定書いてます (@tukuritekakera) 2018年2月21日
いつぞや車イスを改造、カスタムして楽しんでる車イス生活の方もいたが彼もまた、叩かれてたね健常者から車イスを大事にしろとかなんとか……結局健常者と名乗る側の一方的な尺度よな。
彼らは不幸でないとダメと言ってるような奴等よな
前回の東京オリンピックの時にパラリンピックが公式に始まったわけだけど、その時にも「見世物にするのか」と反対する声があった。見世物として見てしまう自分の心と向き合えない人がこういうい反対をするのだと思うよ。
— ナカイサヤカ@ファイザー接種完了 (@sayakatake) 2018年2月22日
ハンディキャップではなく、個性。
— ただのおっさん@仕事あるって有難い👍 (@toshi_chan) 2018年2月22日
器具にはものすごいテクノロジーと、情熱が詰まってると思う。
それを最大限に活かし、活かされてパラリンピックが成り立っている。
すげーよ!
私は発達障害という障害持ちですが、障害があるから不幸なのではなく、障害に理解がない周囲が当人を不幸にするのだと思っています。
— アイスミキティー@EARTH (@luckydays10) 2018年2月22日
いや、そりゃそうでない方より生きるのは大変ですけど…
この点、ハガレンや攻殻機動隊における義手義足論は時代を突き抜けているんですね。それにつけてもカルバリン砲は…カルバリン砲は…
ていうか、これは意外と知られてないんですけど、障害がある本人にとっては障害がある状態が普通だったりするんですよね…特に私のような生まれつきの障害の人は、ある程度大きくなってから自分は普通でないと気づいたりします。パラに出てる人達は見た目でわかる障害だったり、
— アイスミキティー@EARTH (@luckydays10) 2018年2月22日
中途障害だったりするので、気づくのはもう少し早いと思いますが…自分の障害を受容してでも頑張る💪ってなってる人達だったりするので不幸とか言わないであげてほしいです。
— アイスミキティー@EARTH (@luckydays10) 2018年2月22日
障がいかあることは決して不幸なことではないと思います。
— 🎤ゆかっち𓆉(🎤詐欺っち𓆉) (@bluemoon890607) 2018年2月22日
生まれながらの事なのだから当人にとってはそれが普通なことですし、何一つ差別を受ける理由にはならないし、それを理由に偏見や差別、虐めをしていいわけではありません。
そもそも「視える」なる価値観の中心は単一の点なのですが「視えない」なる事象はグラディーション的連続性に従って分布する分散としてしか観測し得ません。この意味合いにおいてマイノリティとして生きる事はどうしても何らかの形で「常識の視野外を跋扈する絶対他者の立場を主観的に生きる(自らの立場の中心化=ただしどのマイノリティの立場を中心に据えても必ず視野外は現れる)」問題を伴うのですね。
パラアスリート(障害者)を不幸と決めつける精神が不謹慎ですよね。一度でも生でパラスポーツを観たことがあれば、そんな考えはなくなると思うんですが…… もっともっとパラスポーツのことを知ってもらいたいなあ。
— kirucine🏍SSTR2021(10/2)参加します (@kirucine) 2018年2月21日
RTで流れて来たのを拝見して興味深い提案だなと感じてます。素人にはぱっと見で技術・造形・競技のための様々な工夫の事は分からないので、その辺解説があると見る楽しみが増えるしいいなと。なお、そんな技術者・アスリートの粋を見て、共に楽しみ騒ぐ事のどこが不謹慎なのかは全く分かりませんでした
— 赤大将 (@red_warlord) 2018年2月21日
24時間テレビのほうがよっぽどなんですが…
— 魔法少女カケル (@mikakosi_1221) 2018年2月21日
つまり、障碍者は不幸であり続けろってことなんでしょうかねえ…?
— たんぽぽ (@poponox) 2018年2月21日
悲しいねえ辛いねえと
ひどいなあ
「不幸」と「不便」の切り分けが出来ないorしたくない方なのかもしれません。
— パピルス加藤/こころを病みそう(苦笑) (@papyrus_kato) 2018年2月21日
確かに両者は大変な仲良しで、同時にやって来る事が多いのですが、明確に違います。
手足の欠損や聾唖などは大変「不便」ですが、イコール「不幸」と決め付けるのは余りにも無頓着な言動かと思います。
そういう人は障がい者を見下しているんでしょうね。
— 織姫 (@orihime4_ero) 2018年2月21日
本人達は不幸だなんて思ってないと思います。
他人を勝手に哀れむなんて、哀れな人たちです。
ハンディキャップがあっても前向きにスポーツに取り組んだ結果がパラリンピックなのに、他人が不幸と決めつけてるのもおかしい気がしますね。
— 深次郎@All is well👍 (@fukajiroh_) 2018年2月21日
パラリンピックも楽しみにしてる色んな人や応援してる人に水を刺して欲しくないですね。実際オリンピックもパラリンピックも素敵な人の汗と涙の決勝(結晶)には変わりはないし、並の努力ではない
— 眞雪輝 (@17mayuki) 2018年2月22日
障害者=人の不幸、という時点で、その発言者の意図こそ不謹慎の極みですね。恥ずべき発言だと思います。こういう偏見を持つ人ほど自覚が無いという問題が露骨に表れています。
— りすくん♨ (@tanarin_h) 2018年2月22日
エンターテイメントとして鑑賞するのが不謹慎とかいう人には、ぜひリオパラリンピックの東京プレゼンの動画を見てほしいですね。
— 大里 宰久 (@tadahisaosato) 2018年2月22日
その理論で言うと、「眼鏡っ娘萌え」とか不謹慎際なりない事になってしまうwww
— いとーT[最近はペーパークラフト作家] (@itoht2) 2018年2月22日
最近、この辺りの話で「同値問題の迷路」にはまっています。詳しい話は以下続報…