まずはオノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん(Le Père Goriot,1835年)」ありき?
- 黒澤明映画的文脈からゴーリキー「どん底(1902年)」を加える立場もある。
- さらなる大源流に推理小説と起源が重なる「ヴィドック回想録 (Mémoires de Vidocq』1827年)」や「ニューゲート・カレンダー(18世紀~19世紀)」が位置付けられる。ロシアの文豪ドストエフスキーも新聞の三面記事から盛んに取材している。
- こうした(それまで読書階級の視野外にあった)底辺生活者達の実像の可視化欲求こそが「文学の近代科学化」を志向した19世紀欧州自然主義文学に主要モチベーションをもたらしたのだった。その影響は(サイバーパンク文学にまで影響を与えた)残虐オペラ「ヴォツェック(Wozzeck,1925年)」にまで及ぶ。
要するに「グランドホテル形式文学」の起源はそんな感じだったのです。
映画『グランド・ホテル(Grand Hotel,1932年)』によって効果的に使用されたためこの名が付いているが、その原型はバルザックの『ゴリオ爺さん』の下宿屋・ヴォケール館の食堂にすでに看取されている。
かかる様式を大規模設備物に発展させたのがアーサー・ヘイリー(Arthur Hailey, 1920年~2004年)、そこにさらに「カオス理論導入による大規模システム崩壊」なる概念を付加したのが「ウエストワールド(Westworld,1973年)」「ジェラシック・パーク(Jurassic Park,1990年)」のマイケル・クライトン(Michael Crichton、1942年~2008年)…
質問があったので、複雑系が廃れた理由についてもう少し書いてみます。なお自分は複雑系ブームのピークが過ぎた2000年に修士1年で、複雑系の薄暮を学生として見つつ、別分野(システム生物学)などに取り組んだ世代なのを明記しておきます。1/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
複雑系が廃れた理由は複数あると考えています。少なくとも、
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
(1) 風呂敷を広げすぎて有象無象が群がりバズワードとして消費された
(2) 重要な問題は多く提起したが、複雑系として解けた結果や or 体系化できた結果が少なかった
(3) 当時の他の分野のブームで相対的に縮小した
があると思ってます。2/n
他の分野のブームとは2000年ごろから台頭してきた例えば、機械学習、システム生物、ゲノム、ネットワーク科学 などです。3/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
(1) の理由がまず一番大きくて、カオスや自己組織化の流れをくみ、数理や物理を基礎に活動してい初期の研究者に対して、後半は色々な分野の人が「何でもかんでも複雑系」のノリで言葉(だけ)を使い始めてしまいました。4/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
自然科学から社会まですべてが複雑系みたいに大風呂敷をひろがたのがいけなかったのだと思います。結果として胡散臭い分野という雰囲気も残念ながら醸造されてしまったかと思います。5/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
一方、複雑系(と関連トピック)が立ち上がって10年ほど後に学生になった我々のような世代には、(2)の特に学問として体系化できていなかったという点も複雑系に取り組まなかった理由として重要です。6/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
複雑系に先行して発展し、後に複雑系の一部として(少なくとも一時的には)扱われたトピックとして、低次元カオス、自己組織化、分岐、同期、非平衡物理、非線形物理などがあります。これらは学生として学べる(先人の努力が情報として圧縮された)結果や教科書がある程度ありました。7/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
しかし複雑系として中心的に議論されていた高次元カオスや複雑適応系などはシミュレーションが主で理論がなく、参入するには先人が行ったシミュレーションを追体験するしかありませんでした。パラメータ空間も膨大で、興味を持った学生が独自に結果を再現をするのも簡単ではなかったと思います。8/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
さらにシミュレーションから重要な部分を切り出すところで言語化できない「カン」みたいなものは確実にあり、その研究を行ってきた実績と経験のある研究室以外で、ちゃんと研究を成立させるのが難しかったとも思います(このあたりは結構実験科学にも似ているかも)。9/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
学問とは、先人が10年かけて見出したものを、後から学ぶ学生や新規参入者は数ヶ月学ぶだけで最先端に追いつける、という情報圧縮性が重要だと思います。複雑系に関してはこれが成立しなかったと思います(なので次世代につながらなかった)。10/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
なお、情報圧縮性は学問として確立するのには重要ですが、情報圧縮性が無い(or なかった)研究自体が無意味かというとそういうことは無いと思います。複雑系の問題に全うな形で取り組んでいた研究自体は価値があるものです。11/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
複雑系の問題(1, 2)と並行して新たな分野(3)が台頭してきたので、複雑系研究室に所属していた人材はそちらに流れたと思います。また同期現象・自己組織化・非平衡物理など、一旦複雑系に取り込まれたがそれ自体で基礎を確立していたトピックは、複雑系と袂を分かち継続して発展を続けています。12/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
結局「複雑系」という言葉が大風呂敷として消費されたのが学問として一番残念なところなのですが、2000年あたりはこういう言葉作りが予算獲得のために流行っていた気がします。システム生物学も色々な分野の予算取りのキーワードとして消費されました。今だと「AI」とかもそんな感じでしょうか。13/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
結局、予算取りとして研究分野が利用され(流行っているように見えること)と、実際に分野が活気を帯びて世代を超えて研究が継続する、というのは大きく違うという当たり前のことなんだと思います。14/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
そのため学問的に重要であっても、(革新的な突破口がなく)技術的に難しくなりすぎて新しい研究をするのに何年もの勉強をする必要となる分野はどうしても衰退していきます。分子生物学勃興直前の定量生物学はまさにこのような状況で衰退したと思います。16/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
閉塞した分野の横で、技術的ブレイクスルーなどを背景に学生でも新参者でも今ならやれることがいっぱいある、という分野ができるとそちらが流行りますし、それがアカデミア全体での健全な新陳代謝だと思います。初期の分子生物学や機械学習、システム生物などもそうして萌芽し成長してきました17/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
なお、閉塞した分野が意味が無いかというとそんなことは無いです。新しい分野に若手が参入するにしても、なにかをするにはなんらか基礎が必要です。多くの場合、それらは閉塞したがその分研究の難易度は上がっている分野で鍛えられたものだったりします。18/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
また、衰退した分野は重要ではないから衰退したわけでは無いので、そこで醸造された問題を、10年、20年後に別分野などで発展した新たな技術や手法をもとに振り返ると、今の技術で解けるようになっている問題も現れたりします。19/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
個人的にはそろそろ、カオス・複雑系あたりで新しいリバイバルの流れが起きるんじゃないかな(起きてほしいな)、と思っていたりします。おしまい。20/n
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
2000年というと小林さんと2年しか違わない割にみえていた印象が違って意外ですが、おそらくそれが7~9あたりの問題でしょうね。あえて「複雑系」をやっていると言う必要がなくなった(堂々と生物の問題を扱うようになりそれが複雑系のひとつなのは自明)というのもあるように思います。
— TOGASHI Yuichi (@togashi_tv) 2021年8月2日
私の視点ですからね。。富樫さんの視点からみた複雑系も聞いてみたい。あと私合原研で高次元カオスとかやっている人がいなかったことや、あの複雑系の勉強会(名前忘れた)に結局参加できていなかったというのも視点が異なる原因かなと思います。少しだけ外野。
— Tetsuya J. Kobayashi, Qbio@IIS UTokyo (@QbioTetsuya) 2021年8月2日
そうですね、まとめるのが難しいですが……。合原研とは外から見ると近いように思われつつキャラはやや違っていたように感じます。金子研・池上研界隈にいて先輩が円城塔だったりしたので、むしろ私自身は「このひとたちと同じ方向に走っても絶対勝てない」と思って別のことをやり始めたところも。
— TOGASHI Yuichi (@togashi_tv) 2021年8月2日
『SFの書き方』、冲方丁の「バトルモノはキャラをとにかく建物の外に出すようにする」、新井素子の「キャラを一人ずつ呼んで面談してる」、円城塔の「大学の授業で学生たちに読点のない夏目漱石の文章に読点を入れさせる」あたりの話が良い
— かにパルサー (@E_foon) 2021年8月1日
博士号取得者で円城塔になれる人はパーマネントな研究者になれる人よりも遥かに稀なので、「小説家の道もある」みたいなことを安直に言ってはいけない。そういう道は普通は「ない」
— あ〜る菊池誠 (@kikumaco) 2021年8月2日
You need a talent for becoming a novelist!
— ɐɹnɯɐʞɐN¯ıɾnʎSㄣ⇂ގ6⇂ (@alicetiptree) 2021年8月3日
そんな感じで以下続報…