諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【風立ちぬ】海外では「不倫物」に分類された?

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宮崎駿監督映画「風立ちぬ」が話題になる都度思い出す事。

 ところがなんと堀辰雄菜穂子(1934年)」のヒロインは人妻だったのです。

それで国際SNS上の関心空間に滞留する匿名女子アカウント集団の間では、以下の様な解釈がコンセンサスとなっていたのでした。

  • 主人公と療養所で再開した時、菜穂子は既に人妻だったが、一緒に入院していた夫(おそらくより症状が進み、出歩く事も困難な状態に陥っていた)との関係に疲れ果てていたので(未来の自分を見ている様で辛かった)「押し掛け女房」になる選択をした。「誰も呼ばない秘密婚礼」しか執り行えなかったのはこの為。
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  • 主人公との生活を通じて彼女は「生きている実感」を取り戻したが、自分の症状も見捨てた夫の状態に近付くと「生きたい自分」と「死んでいく自分」と「自分のそれぞれの側面を見せたい相手が異なる葛藤」を解決する為、最後は夫の元に戻る事を選択する。

事実上、制作途上でのかかる選択の仮題解釈?

 様はここでシンゴジラの「私は好きにした、君らも好きにしろ」要素が入ってきた事を彼女らは見逃さなかったんですね。

しかしまぁ、こういう苦々しい展開こそが「多様化の容認」には不可欠なのです。さらに以下の様なエピソードも話をややこしくします。

そして…

その一方で日本でもこういう方向性を嗅ぎ取る向きも。

まぁ「悲しみのベラドンナ(1973年)」と東犬二「ダークエイジ2 穢される乙女たち(2005年?)」シリーズ「死刑執行人」をセットで回覧していた様な層なので「女の業」抽出の執念も尋常ではなかったのです。

さらに背景にはこんなコンセンサスの共有もあったりします。

高橋留美子らんま1/21987年〜1996年)」

世界中のフェミニストに衝撃を与えたのは。早乙女乱馬なる男が女体化した時は容赦なく平然と「女性としての武器」を無制限に使いまくる事だった。そして「こういうのでいいんだよ(男の側にとっても)」と声が上がり始める。

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竹宮ゆゆことらドラ!原作2006年〜2009年、アニメ2008年〜2009年)」

櫛枝実乃梨の台詞「私の幸せは…自分の手で掴み取る…何が自分にとって幸せかは…自分で決める!!」

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米澤穂信古典部シリーズ2000年〜)」をアニメ化した「氷菓2012年)」

作中で入須冬実先輩が千反田江留に伝授する手管「大事なのは相手が自分から動いてくれる様に仕向ける事だ。その為には相手に精神的満足感を与えなければならない。色々あるんだが、お前にも使えそうな手は期待だろ。相手に自分は期待されてると思わせるんだ。それが出来れば後は実に簡単に尽くしてくれる。ただし問題はあまり大きく見せない事だ。自分には些細な事だが相手にはそこそこ大事な事だくらいがいい。それともう一つ。出来れば人目につかないところで異性に頼むんだ。」

これこそまさに「国際的に日本の多大な貢献が認められながら、日本のフェミニストが見逃してきた」「男性に勝利する為に女性は一切の女性らしさを放棄せねばならぬと主張する旧世代フェミニストに対抗する形で育まれてきたフェミニズム第三世代イデオロギーの世界だったりする訳ですね。

そんな感じで以下続報…