諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】ドイツ文化とフランス文化。そして「何かもう勝ったったつもりでいる」オーストラリア文化?

この問題「何かもう勝ったったつもりでいる」オーストラリア人

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ジビエ料理だ!!

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 この辺りの筆頭格としては「ドイツにユダヤ教徒として生まれ、フランスでカソリック教徒として死んだハインリヒ・ハイネChristian Johann Heinrich Heine, 1797年~1856年)の名前が挙がります。カール・マルクスの友人でもある「フランス文化とドイツ文化の関係について最初に語った男」…ただこの種のアプローチ、ギュンター・グラスいうところの「ドイツ人は魂で探そうとするが、魂は(感覚)器官ではない(「何が見つかるというのか?」なる悲観論がフランス的官能主義と鋭く対峙させられる)」問題との直面を余儀なくされるのでした。

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要するに「小ドイツ主義」が「大ドイツ主義」に勝利していく過程で、後者に阿るヘーゲルの絶対精神概念が時代遅れになっていくプロセス…

そしてベンヤミンといったらパサージュ(Passage)論な訳ですが、何故かドイツ人は自文化そのものをこの観点から語りたがらないのでした。

フランス最大の悲劇は近世と近代の狭間に(絶対王政下での産業振興を全面否定した)フランス革命(1789年~1795年)とナポレオン戦争(1803年~1815年)を経験して国民の\frac{1}{5}が死亡し、産業革命の本格導入が半世紀以上遅れる経済的大被害を負ってライバル英国に永遠に追いつけない差をつけられてしまった事です。さらに経済的巻き返しに際して皇帝ナポレオン三世がその原資を、それまで伝統的に仮想敵扱いしてきた(ポルトガルやスペインの)セファルデイム系ユダヤや亡命先の諸外国で資産を蓄蔵してきたユグノー教徒に頼ったのも「(王侯貴族や上級聖職者といった)伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層」に決定的爪痕を残したのです。

 

こうした話に「何かもう勝ったったつもりでいる」オーストラリア人がどう絡んでくるかというと…

そんな感じで以下続報…