この問題「何かもう勝ったったつもりでいる」オーストラリア人
ジビエ料理だ!!
近現代のドイツ思想は、ある意味で必敗の思想ともいえる。必敗を通してしか自己たり得ないとでもいえよう。それは、ヘルダー以来、フランス近代の普遍的な思想への対抗として思想的自己を形成したからだ。これはヘーゲルらドイツ観念論もニーチェもハイデガーもユンガーもシュミットも変わりはない。
— 千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 (@Chisaka_Kyoji) 2021年8月27日
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ドイツには、もう一つ、思想的に亡命する思想がある。ドイツからフランス的な普遍性へ移動する思想だ。マルクスをはじめ、ベンヤミンやアドルノ等のフランクフルト学派等がそうであり、彼らは更なる普遍性を志向するが、その更なる場合に、ドイツの必敗性がどのように関与するかが重要な要素となる。
— 千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 (@Chisaka_Kyoji) 2021年8月27日
この辺りの筆頭格としては「ドイツにユダヤ教徒として生まれ、フランスでカソリック教徒として死んだ」ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年~1856年)の名前が挙がります。カール・マルクスの友人でもある「フランス文化とドイツ文化の関係について最初に語った男」…ただこの種のアプローチ、ギュンター・グラスいうところの「ドイツ人は魂で探そうとするが、魂は(感覚)器官ではない(「何が見つかるというのか?」なる悲観論がフランス的官能主義と鋭く対峙させられる)」問題との直面を余儀なくされるのでした。
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要するに「小ドイツ主義」が「大ドイツ主義」に勝利していく過程で、後者に阿るヘーゲルの絶対精神概念が時代遅れになっていくプロセス…
そしてベンヤミンといったらパサージュ(Passage)論な訳ですが、何故かドイツ人は自文化そのものをこの観点から語りたがらないのでした。
フランス思想の弱点はその普遍性にある。フランス思想は普遍性により近代のヘゲモニーを握るが、普遍性が帯びる問題として普遍性以外のものが理解出来ず、普遍性に劣るものと見る点にある。その意味で普遍性を内実とするフランス思想は現代においても本質的な意味で独善的で自分しか分からないのだ。
— 千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 (@Chisaka_Kyoji) 2021年8月27日
フランス最大の悲劇は近世と近代の狭間に(絶対王政下での産業振興を全面否定した)フランス革命(1789年~1795年)とナポレオン戦争(1803年~1815年)を経験して国民のが死亡し、産業革命の本格導入が半世紀以上遅れる経済的大被害を負ってライバル英国に永遠に追いつけない差をつけられてしまった事です。さらに経済的巻き返しに際して皇帝ナポレオン三世がその原資を、それまで伝統的に仮想敵扱いしてきた(ポルトガルやスペインの)セファルデイム系ユダヤ人や亡命先の諸外国で資産を蓄蔵してきたユグノー教徒に頼ったのも「(王侯貴族や上級聖職者といった)伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層」に決定的爪痕を残したのです。
こうした話に「何かもう勝ったったつもりでいる」オーストラリア人がどう絡んでくるかというと…
そんな感じで以下続報…