諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「誰かと一緒に冒険の旅を続ける」とは?

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そもそも「誰かと一緒に冒険の旅を続ける」とはどういう事なんでしょうか?

  • カール・マルクス経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie,1859年)」における「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる指摘、フロイト精神分析における「人の行動は自らの意思に拠るだけでなく無意識や超自我の統制を受けている」なる指摘と合わせドイツ社会学の発足を促したという(マルクス=フロイト主義=ドイツ的方法論的個人主義の出発点)。逆をいえば、マルクスについては、ラッサールと決別する以前のそうした業績しか思い返す事がなくなった(資本論1巻に漫談的面白さがあった事は覚えてる)。

  • ティモシー・リアリーに至っては、海外でネットMemeとして定着した「Turn on Tune in Drop out」なる標語以外、全部忘れ去られてしまった感がある。

    コンピューターの意識拡張の可能性に真っ先に気付いてドラッグから足を洗い、ウィリアム・ギブスンを唆してサイバーパンク文学を書かせた人だったりもする訳だけど、そういうエピソードも最近はあまり思い出さなくなった。

ある種「テセウスの船」問題のバリエーションと言えるかもしれません。

そして…

そう、まさにこういうやりとりの狭間に「テセウスの船」問題が…

そういう側面も。