何にでも始まりはあるものです。
1990年の夏、ファミ通が僕らに提唱した「開運スーパーダライアス体操」とは一体何だったのだろう pic.twitter.com/jdjawgBXw3
— Yoshino (@yoshinokentarou) 2021年9月22日
創刊初期のファミ通には「ファミヨガ」などカオスなコーナーが満載で、そういった企画はその辺からの伝統かと思われます。 pic.twitter.com/L91CIV4mBC
— ビリーさん (@billybat256) 2021年9月22日
最初期からファミ通はこの手の事をやっていたのですか!!(笑)
— Yoshino (@yoshinokentarou) 2021年9月23日
ファミコン通信はもともとパソコン雑誌LOGiN(ログイン)のワンコーナーに過ぎなかったが、それが後にゲーム総合誌として独立。当時の競合誌は月1回の発刊がふつうだったが、ファミ通は隔週金曜発売をウリにしていた。
創刊された1986年は、ファミリーコンピュータMagazine、ファミコン必勝本、マル勝ファミコン、ハイスコア、Beepなど、たくさんのゲーム雑誌が発刊されていた時代。そんな群雄割拠の時代に少し遅れる形で『べーしっ君』を表紙にして登場したのがファミコン通信だった。当時筆者はファミマガとマルカツの熱心な読者だったため、べーしっ君というキャラクターなど知るよしもなく、「すげえ表紙の雑誌が出たな……」と衝撃を受けたものだった。他誌と比較するとお笑い記事、いわゆるバカ記事の比率が多めなのが特徴でクロスレビューなどの名物コーナーとともに人気を博した。
通常は裏方に徹する編集者を誌面に露出させたり、記名で原稿を書かせたりするなど、独特のカラーがあり、深夜テレビのようなノリで溢れていたようなところもゲーム雑誌としては異色だったと言えるだろう。
なるほど…とりあえずメモがてら。