諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】データサイエンティストは電気羊の夢をみるか?

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そもそも「データサイエンス」なる用語が指す範囲が不明瞭だったりします。

データサイエンス(英: data science、略称: DS)またはデータ科学とは、データを用いて新たな科学的および社会に有益な知見を引き出そうとするアプローチのことであり、その中でデータを扱う手法である情報科学統計学アルゴリズムなどを横断的に扱う。

データサイエンスを、統計的、計算的、人間的視点から俯瞰することができよう。それぞれの視点がデータサイエンスを構成する本質的な側面であるが、これらの3つの視点の有機的結合こそがデータサイエンスという学問の神髄である(Blei and Smyth, 2017)。これまでのデータ解析における現場の知識の重要性に対する認識不足が、データサイエンスという学問に対する幅広い誤解の源泉であると考えられる(Hernan, Hsu and Healy, 2018)。

データサイエンスは、はっきりとした応用の文脈をもち、超領域性の様相を呈していて、また研究成果に対しては明確な社会的説明責任が求められ、さらに、研究成果の質的保証のためには従来の座学的基準以外に質のコントロールのための追加の基準が必要とされる。データサイエンスの有効な推進のためには組織の異種混合性も重要である。これらの要件を満たす科学はギボンズらが主張するモード2科学の一種として認識することが出来る。

データサイエンスで使用される手法は多岐にわたり、分野として数学、統計学、計算機科学、情報工学パターン認識機械学習データマイニング、データベース、可視化などと関係する。

歴史的にはオリヴァー・ヘヴィサイド(Oliver Heaviside, 1850年~1925年)やノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894年~1964年)やフォン・ノイマン(John von Neumann, 1903年~1957年)やクロード・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年~2001年)といった人達を先駆者として仰ぐ立場なんですが、こういう人達って中身はどちらかっていうと「電気技師」っぽいのですね。実際コンピューター技術やネットワーク技術のハードウェア面は今日なおこっちの路線が支えてる訳ですが、こちらもデータサイエンスにカウントしちゃっていいのでしょうか?

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

評価サンプルA

ウィーナー自身は、状況をコントロールする2つの変量A,Bがあり、一方(変量A)は制御可能で、他方(変量B)は制御不可能であるとし、変量Bの時系列データに基づいて変量Aの調整量を決め、それによって都合のよい状況をもたらすための方法がサイバネティックスである、とあっさりと定義している。その核心にあるのはフィードバック制御技術なのだろうが、通信、制御、統計力学を中心とする一連の問題が、機械だろうが生体組織であろうが本質的に統一されうるものである、という広い意味をこめて「サイバネティックス」と造語している。

たとえば、義足や人工関節に歪計や圧力計を備え付け、電気的方法やバイブレータなどで残存皮膚にそれ(感覚)を伝えることができるのではないかとか、超高速計算機が自動制御装置の中枢神経系になるのではないかとか、機械と生物の融合の可能性を示唆している。

なにしろ古い本なので、そこに書かれていることが当時どれだけ先進的なことだったのかが今ひとつわからないところも多い。たとえば、閉回路にインパルスを循環させることで短期記憶を作ることができる、と述べている箇所があるのだが、それが当時としては大発明(あるいは先進的な知見)だったのかわからない。今の工学では常識であるゆえにその画期性がよくわからない。

現代(1948年)は通信と制御の時代であり、電気工学はエネルギーを扱う電力工学と情報(とはっきり言明していないが)を扱う通信工学に分派しており、計算機(当時は真空管)は計算中に熱病にかかるが、個々の操作に要するエネルギーは非常に小さく、エネルギー消費量は装置性能の有効な目安にはならない、と述べている箇所なども今となってはこれも当たり前のことだが、当時としては鋭い知見だったのかもしれない。(天才の仕事は、あたりまえのこととして結実してしまいすぎてあとになってみるとそのすごさがよくわからなくなることもあるという説もあるが)。

感情の調子は苦痛(ネガティブ)から快楽(ポジティブ)にまで並べられており、恒久的好条件をあたえられると感情の調子(振れ幅?)が拡大し、都合が悪いときには感情の調子を減少させるが、この条件に合致しない種族は滅亡する、など根拠がよくわからないところもある。

ウィーナーは、生物組織の特徴は学習能力と増殖能力であるが、機械もそういった能力を備えることができる、と断言する。

もしかしたら、この「サイバネティックス」というシステム型の「思想」を萌芽・土台・さきがけとして、その後の、カオスとか自己組織化とかニューラルネットワーク人工知能といった技術が花開いていったのかもしれない。

評価サンプルB

サイバネティクスをできるだけ短く表現しようとすれば、ウィーナーが序章で早々に述べているように「制御と通信理論の全領域」とでもなるだろう。

実際、本書を読みすすめると分かるように、ウィーナーは制御と通信(情報)のアイディアを様々なものに適用しようとしている。代謝統計力学ブラウン運動、神経系、心理学、精神疾患、ゲーム、などなど。それぞれの話題は、やや一貫性なく述べられている感想を持ったが、そもそも本書は体系的な学問のテキストではないのでそれでも良いと思う。むしろ、ウィーナーの博識と熱意が感じられて面白かった。

通信工学と制御工学、生理学と機械工学を総合的に扱うことを目的とする学問分野。アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス 動物と機械における制御と通信』(1948)において提唱された。その序章で、ウィーナーはこの言葉をギリシャ語の「舵手(kybernētēs)」から着想したと述べているが、彼によればその理由は、船の操舵機こそがサイバネティックスの主題である「フィードバック機構」の最も古い形式だからであるという。ウィーナーのサイバネティックス理論は基本的に数学に基づくものだが、B・ラッセルのもとで哲学を学んだ彼の理論および思想は自然科学の領域には到底収まらない。実際ウィーナー自身の考えによれば、自然科学の諸分野のみならず、言語やコミュニケーションを研究対象とする人文科学や社会科学もまたサイバネティックスの下位部門に含まれる。ウィーナーの著作自体は多くの数式を含んだ難解なものだが、この新たな学問分野が(少なからぬ曲解を通じて)後世に与えた影響は極めて大きい。大衆文化におけるその受容は、1980年代の合衆国における一冊のSF小説、すなわちW・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984)をきっかけに始まった。ギブスンは、脳と機械が電子的に統合されたネットワークを自身の小説に登場させ、それを「サイバースペース(電脳空間)」と名づけた。「サイバネティックス」と「スペース(空間)」の合成語であるこの概念が登場して以来、『ニューロマンサー』を含むSFジャンルとしての「サイバーパンク」や、拡張身体としての「サイボーグ」といった言葉が生まれ、それに伴い「サイバネティックス」概念も広く人口に膾炙した。

そして最先端の議論がこれ。

機械翻訳結果「しかし、有名な数学者の子孫の多くは、純粋な/応用数学ではなく、データサイエンスやコンピューティング数学に変換しています。」

果たしてデータサイエンティストは電気羊の夢をみるのでしょうか? そしてそれはアンドロイドが夢見た電気羊と同型(Isomorphic)なのでしょうか?

さらにはQiitaでよく見かける「小学六年生段階で既に数年のプログラミング歴を要し、お古のラズベリーパイとICでタミヤ工作キットのモーターを制御し、回転行列やヤコビアン四元数の概念が血肉に入っていて、余暇にガウス積分を解いたりラプラス変換状態方程式の世界にまで踏み出してしまうロボット大好き中高生(鍵は親ガチャの方なので、女子も普通に混じっている)」をどうカウントすべきなのでしょうか?

その一方でこんな切り口も。

そんな感じで、以下続報…