こういう考え方もあるのか。
あらためて、押井守って「戦争が起こらないままに戦後を迎えた」んだなぁと感じるね。この場合の戦争ってのは太平洋戦争ではなく、6~70年代の学生闘争。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) 2021年10月31日
彼らは「戦争」をしてたつもりだが、現実は「事件」「事故」のままで終わった。#パトレイバー
敗者も勝者もないままに終わった「戦後」の、空虚な身の置所を求めたあがきの産物としての作品群。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) 2021年10月31日
それは富野由悠季や安彦良和にも通じるが、押井守の場合はさらに「幼かった」こともあって、より「幻想」感があるのかもなぁ。#パトレイバー
作成時期が90年代の初頭ということもあるが、現代で改めて見ると、作中で語られる「虚構」と「幻想」が、また違った色を帯びて見える。#パトレイバー
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) 2021年10月31日
そういう意味では、満員電車と軍用ヘリ、幼稚園児と戦闘用レイバー、軍事マニアと銃を背負った自衛隊員、ショーウィンドウに映る戦車の「虚構と幻想の街並み」の世界観と対を成すのは、存外「この世界の片隅に」なのかもな。#パトレイバー
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) 2021年10月31日
あっちは徹底的に小さな日常の継続VSガチンコの末期戦(本土空襲)……
— エリア83@讃州deおばけ屋応援民 (@area83ontweet) 2021年10月31日
遠くから眺める蜃気楼と、近すぎて見えない巨山みたいなモンですな。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) 2021年10月31日
1980年代日本の空虚さは、1930年代日本の空虚さに通じるという着想を得ました。
詳しい話は、以下続報…