最近の投稿の一つ。
この問題は「どうして日本においてだけ自力近代化が成功したか」と深く関わってくる。その主導層(明治維新元勲)は完璧には程遠いまでも「列強の侵略」に粉砕されも組み込まれもせずに済む道を何とか選取して独立を保ったし、彼らとそこまで分断されていなかった一般民衆層もまた相応の合理的判断に従って自らの指導者に従う道を選んだのである。そうして成立した大日本帝国は(独立後も諸勢力分断に苦しみ続けたイタリア王国やドイツ帝国と異なり)粛々と版籍奉還(1969年)、廃藩置県と藩債処分(1871年)、秩禄処分(1876年)を遂行して江戸幕藩体制をあっけなく解体し、フランス型郡県制に移行してしまう。白村江の戦い(663年)で敗戦し大陸から侵攻を受ける恐怖が高まると(既に問題が山積みとなっていた)伝統的氏姓制度をあっけなく放棄して律令国家に移行して以来の(1200年振り2回目の)手の平返し。そもそも日本の場合、戦国時代における一円領主化進行によって公家領や寺社領が押収され、貴族も寺社も事実上封建領主の立場を手放して俸禄や檀家からの御布施で生活する様になっていたので欧州でいう意味合いにおける革命遂行が不必要となっていた事も幸いしたのかもしれない。
これを執筆してた時、まさに欲しかったのが以下の言い回し。
明治維新、あれは双方が「最終的な目標地点」については暗黙の合意があったのがでかいと思ってる。
— ボマー (@bomber_bookworm) 2021年11月20日
・日本という塊を守る。分割させない。
・日本の軍事力を強化する。
・日本の産業を近代化させる。
あとは順番と、「そのための組織・体制」をどうするかという議論。
幕府の改変か、新体制かと。
末端や個人レベルでは「分かってなかった」のもいたけど(目先のカネのために日本の領土を切り売りしようとするとか)、幸いにして主流にならずに沈んでいく。
— ボマー (@bomber_bookworm) 2021年11月20日
目指す終着点はほとんど誰も異論がなく、手段と順番だけなので、多くの部分で妥協や取引が効いた。
薩長同盟とかその最たるもの。
ある意味、内戦というよりは実力行使の主導権争いですからね…
— クトゥーマ (@HZJdmFguo9SGjcm) 2021年11月20日
とりあえず、メモがてら…