Without even thinking about it. I used to be able to fly.Now I'm trying to look inside myself and find out how i did it.(私はかつて何も考えず飛んできた。今や自分の内面を見つめ、どうやってそれをやってのけてきたのか思い出そうとしてる)。
最近意図的にTwitterでの投稿を増やしていて、こんな反応を得ました。
…何というか、松木先生の話を聞いてると、未だに非モテがどうの、フェミがどうのとかやってる我々はTumblrの成果の「車輪の再発明」をしてるだけなのではみたいな無力感もなきにしも非ずというか…
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年11月21日
そう言えば、松木先生の他に古のTumblrの記憶を留める古老って他に誰かいらっしゃらないです?
実は「先生と言われる程の馬鹿でなし」と言い返したい気持ちもかなりあったりもしています。そもそも私自身の自認はあくまで謙遜抜きにOchimushaすなわち毎回自らの戦績を「今回も負け戦じゃった」と統括して次の戦場に転戦していく「七人の侍(1954年)」のみっともないデッドコピーに過ぎないのですから。それにつけても気になります。10年前の以下の景色を目撃した日本人は一体どれくらいいたのでしょうか?
まずは2000年代末当時のTumbrについての基本情報。
最近「Tumbrの昔」について語る古老みたいになり果ててますが、ついでに当時の状況をもう少し。2010年代前半のそこでは「何でも政治と結びつける」暴走リベラル(彼らの本拠地もまたTumbr上にあった)と対立する形で以下の3集団が緩やかな連合を組んでいたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
そう、暴走リベラルの拠点と「全ての変態を守ると誓った」第三世代フェミニスト集団の拠点は同じSNS上にあったのです。まるで「宇宙戦艦ヤマト(TV放映1974年,劇場版1977年)」におけるイスカンダル星とガミラス星の関係の様に。そしてこのややこしさこそが、以下に述べる4chan勢が暴走リベラル勢を狙って第三世代フェミニスト集団を誤爆し返り討ちに遭う悲劇の展開の遠因の一つとなったのでした。
①「(権威主義体制から離れられないウルトラ・フェミニストと対峙する)第三世代フェミニスト(Third-wave Feminist)」…実はどちらも大源流はバーバラ=ウォーカー「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets,1983年)」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典(大修館)』と、その批判のための覚え書き。実に興味深い書物だが、たわごとも多い。そのたわごとの検証。
そのうち「家母長制による家父長制の打倒」に執着し、勝利の為なら家父長制側と一時的に手を組む事も辞さない派閥ががウルトラ・フェミニスト、「家父長制も家母長制も権威主義体制には変わらず、どちらも打倒の対象」と考える派閥が第三世代フェミニストとなりました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
第三世代フェミニスト、日本の少女漫画からの引用をやたらと好むのですが、それは1970年代「花の24年組」のイデオロギーを主導した竹宮恵子が当時の学生運動に積極的に参加していく過程で「これは家父長制打倒の為の戦いではなく、息子世代が新たな家父長制の再生産を目指しているに過ぎず…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
…そこに女性の居場所はない」と判断して運動から離脱した経緯と深く関係がありそうです。その経緯から第三世代フェミニストが好む「私が幸せになる条件は私自身が決める!!」的決め台詞が多いのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
実際、竹宮恵子が創立した大泉サロンの主導した「花の24年組」の1980年代作品や当時のインタビューには(アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin, 1929年~2018年)を肯定する文脈で援用された)カール・グスタフ=ユング(Carl Gustav Jung、1875年~1961年)の取り込みに続いて、かかるバーバラ・ウォーカー理論への言及が散見されるのである(かくいう私も、それに刺激されて調べてバーバラ・ウォーカー理論なるものを知った一人だったりする)。
青池保子(昭和23年生)、萩尾望都(昭和24年生)、竹宮惠子(昭和25年生)、大島弓子(昭和22年生)、木原敏江(昭和23年生)、山岸凉子(昭和22年生)、樹村みのり(昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ(昭和24年生)、坂田靖子(昭和28年生)、佐藤史生(昭和27年生)、岸裕子(昭和24年生)
ポスト24年組
概説
1970年代初頭に、新しい感覚を持った女性漫画家たちが次々と現れ、SFやファンタジー的要素や、同性愛の概念を導入したり、画面構成の複雑化を図るなどの技法を用いるなど、当時の少女漫画界の常識を覆していった。彼女らの生年がおよそ昭和24年前後であり、また「大泉サロン」で交流した者も多く、相互に関係が深いことから、「24年組」の名で呼ばれるようになった。24年組の用語は、まず山田ミネコと周囲の漫画家側らが呼称し始め、迷宮同人誌『漫画新批評大系』で、その周囲の関係者に、初期は新しい潮流の少女漫画家一群を特定して、その評論に使用する用語として浸透していった。この用語の公刊の初出は、初期の少女マンガ家の入門書『鈴木光明の少女まんが入門』(1979年、白泉社)である。また24年組の漫画家はみな、主人公が少年である作品を手がけている。当初は読者が少女なのに少年が主人公などとはあり得ないと編集部からの反発もあったという。しかし実際には少女読者の人気を獲得していくこととなった。
さらには、竹宮惠子、萩尾望都は1970年代後半に、山田ミネコは1980年代に少年誌にも連載を行なった。その活動がとくに注目されていた時期は1970年代中頃から1980年代前半である。
- この辺りの問題の界隈(Neighborhood)、すなわち数理でいうところの近傍(英語では同じくNeighborhood)については、当時萩尾望都と交流のあった「ロリコン・ジャンルの始祖の一人」吾妻ひでおが「男性にとってのアニマが美少女である様に、女性にとってのアニムスが美少年である」と本質に近づく発言をしている事を紹介しておきたい。ただし女性にとってのアニムスには「(執事に代表される)ロマンスグレイの好紳士」の姿をとる事もあり、これはプラトン「饗宴」に登場するマンティネイア出身の賢婦人ディオティマに対応するが、この辺りについてまでエロティズム領域における対称性が国際的に担保されているかというと中々に難しい。
- どうして2010年代のニンフェット世代(Nymphet Generation,女児の発育速度が統計学的に男児のそれを追い抜く10歳前後の小学校高学年頃から、再び抜き返される中学生頃の時期)の少女達が当時あれほど「FLCL(2000年~2001年)」や「Panty & Stocking with Garterbelt(2010年)」に夢中にあったか読み解く鍵はまさにこの辺りにある筈なのである。この時期のTumbr上の男子アカウントは私も含め彼女達を正確に評価する手段を欠いており、その辺りを「自らもしっかり小娘時代を生きた事がある」第三世代フェミニストの「賢いお姉様達(Elder Ladies)」に依存せざるを得なかった。そしてその疾風怒濤感は当時の「Rolling Girl(2014年)」から最近のヒット作でいうとAdo「阿修羅ちゃん(2021年)」辺りに継承されていく。
- こういう時、途方にくれた私の脳裏には野坂昭如「黒の舟唄(1971年)」が浮かんだものである。そう、あの「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか…」の野坂昭如…
②「(Poor Blackと対峙する)Black Establishment(全体の1/4を占める中産階級以上の黒人層)」…白人リベラル階層は概ねはPoor Blackの苦境に同情するのを好む一方、中産階層以上に這い上がってきたBlack Establishmentが「人間として台頭な扱い」を要求して隣人になろうとすると断固拒絶するのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
ああ「台頭な関係」って一体何?「対等な関係」が正解です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
この辺り、いきなり黒人音楽が白人に受容される最初の契機となった「コットン・クラブ」についてアメリカ黒人はどう考えるべきかなるアポリア(Aporia,解決不能の難問)からの出発を覚悟しないといけない。
- ちなみにこの問題、Tumbr上では京都アニメーション作品「たまこまーけっと(Tamako Market、2013年)」で「南の国王の嫁を探す鳥占い師」チョイ・モチマッヅィが、雨乞いの踊りを踊ったり「黒い桃」を披露したりする場面と結びつけて語られたりしている。
以前、中国の若手お笑い芸人のライブハウスのドキュメンタリーを観たら、出演者の中に少数民族の女性がいて、
— 印度洋一郎 Yoichiro Indo (@ven12665) 2021年11月24日
「私がちょっと複雑な中国語を使うと、周りの人は『凄いねー中国語上手いねー』って言うんですよ」
とか「音楽を聞くと、私すぐ踊っちゃうんですよ○○人ですから」
と笑いを取っていた中国のお笑いには、かつてのアメリカのエスニックジョークのような、
— 印度洋一郎 Yoichiro Indo (@ven12665) 2021年11月24日
「○○人あるある」というジャンルがあるのかなぁ、と思った。 -
実は「たまこまーけっと」はとんでもない失敗もやらかしている。美白化粧品に興味を持ったチョイが「顔と手だけ白くなっても全体のバランスがおかしくなるだけ」と指摘される場面がそれで、これは割と美白化粧品に熱中するインド人に向けられた相当キツ目の皮肉だったのだが(日本ではインド人との結婚を主題とするエッセイの定番ネタ)、良い意味でも悪い意味でも国際SNS上の関心空間においては完全スルー。 逆をいえば、この種の問題はそれぐらい全てに寛容な雰囲気があってこそ検知され「それでは実際問題として、これどうする?」なる次段階に進むとも言える。少なくともヒステリックに「あらゆる差別を許さない!!」と叫んで弾圧を続ける暴走リベラルの真逆のアプローチに問題解決能力がないのは明らかであろう。
実際リベラル政権下では高級住宅街における黒人居住率がどんどん下がっていくと言われています。1950年代には逆に黒人の都心居住率が高まるにつれ(ハーレムの形成)白人リベラル層は郊外の一戸建て住宅に逃げ出したものですが、遂に追いつかれたのでそういう戦いになってしまったんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
こうして白人リベラル層が郊外マイホームに逃げ込んだ時代は米国における「家父長系ホームドラマ」の黄金期でもある。
なせか米国アニメファンは「トラどら」をこれらと結びつけたがる。
実際の日本文化に与えた影響はどうだったのだろうか。魔法少女物の原点とされる赤塚不二夫「ひみつのアッコちゃん(1962年〜1965年、アニメ化1969年〜1970年)」は米国映画「奥様は魔女(I Married a Witch、1942年)」の影響を、横山光輝「魔法使いサリー(1966年〜1967年、アニメ化1966年〜1968年)」は「奥さまは魔女(Bewitched、TVドラマ1964年〜1972年)」の影響を認めているが、どちらも系譜的には「反父権主義的ホームドラマ」の系譜に位置づけられるので父親の影が薄い。そもそも「主人公が魔女」なる設定そのものが母権主義的とも見て取れる。
彼らから言わせれば、未だ黒人の3/4はギャングまがいのPoor Blackであり、だから目にた途端に射殺しても正当防衛という訳です(BLM運動がらみで白人警官による黒人射殺事件ばかりがクローズアップされるが、実はマスコミが箝口令を敷いてるだけで…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
高級住宅街における白人リベラル層による黒人射殺事件も少なくなく、しかも正当防衛の判決が下るのが当然化している)。こういう経緯から白人リベラル階層は「自衛の為に」Poor Blackを扇動してBlack Establishmentを潰させようと画策します。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
×見にた途端に○見えにした途端に。
そうでなくともPoor Blackは「抜け駆けした」Black Establishment層に敵愾心を燃やしており、この辺りの黒人の分断状況を映画「ブラック・パンサー(2018年)」は上手く表現していました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
この映画を見てワカンダが(自分だけの成功で満足している事でPoor Blackを怒らせている)Black Establishment層の暗喩だと看過出来ないなら、貴方は「マルコムX自伝(1965年)」を読んだ事もなければ、2Pacを聞いた事もないのです(問答無用で翻訳調)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
日本の暴走リベラル層は明らかに誤解していますが、マルコムXや2パックが米国において人種の壁を超えて敬愛されるに至ったのは、単に「天然ファシズムが支配する」貧困層出身であるからではなく、そんな逆境から出発しながら必死に足掻いて奇跡的に「真の知性(intelligence)」し、その事がまさに「実家の太さ」に甘える「伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層」への鋭い批判として突き刺さるからなんですね。リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter、1916年~1970年)「アメリカの反知性主義(Anti-Intellectualism in American Life,1963年)」はまさに(これから訪れるであろうヒッピー運動と公民権運動を予見して)「実家の太さに甘える伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層」に自己批判を求める内容だったのですが、日本の暴走リベラル層はこれも「我々は反知性主義台頭に対して自らの既得権益を墨守すべきである」と真逆に読み間違えてしまいました。そうして彼らの側が頑なになればなるほど階層分断は加速していくのです。
そしてどの国の貧困層にもありがちな事ですが、Poor Blackが男尊女卑的で障害者にもLGBTQA層にも非寛容的である事が(彼らを扇動してBlack Establishment層にけしかける)白人暴走リベラル層の矛盾を一層際立たせ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
かつ(男尊女卑的なPoor Blackの勢力伸長を望まない)黒人女性の第三世代フェミニストへの接近を誘導するという次第。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
映画「ブラックパンサー」においてワカンダの王座を狙うヴィランのウォーモンガーが平気で女を盾にする(おそらく駐車場も障害者用に平気で止める)タイプなのは、こういう現実を示唆していたのですね。そういう意味合いにおいて「Poor BlackやPoor Blackの精神を継承した!」と豪語するしばき隊のデモが点字ブロックを塞ぐ様に展開したり、多目的トイレに「安倍政権(およびそれに寄生して不当な優遇を受ける同性愛者や身障者)に死を」と落書きして「健常者こそ抑圧されている!!」と豪語したのは「ちょっとした間違い」だったどころか運動の本質だった訳です。まさにこれこそが各国で中産階級以上が嫌う「貧困階層の天然ファシズム」な訳ですから、その事実から目をそらしてはいけません。
皮肉にも、かかる貧困層の支持を取り付ける為に天然ファシズムを盲目的に追認してLGBTQA層や障害者を大量虐殺するのが「無分別なええとこどり」を特徴とするナチズムの特徴であり、実際のファスズムは彼らの側に寄り添いながら「でも誰にだって自分なりの言い分はある。それについてよく考えてみよう」と啓蒙するのが実際に歴史上に実在したファシズムなんですね。まぁ最終的に「国家の政治的統合」を目指してるからこそのそのスタンスなので、聞き分けが悪い集団はやっぱり暴力で粛清してしまう訳ですが。それまで批判するにあたっては、ファシズム思想自体が、それほどまでに「国家の政治的統合」が急がれる状況でこそ国民に選好されるという現実もちゃんと踏まえておく必要があります。
ちなみにこの話(奴隷としてアメリカに連れてこられた後に人間認定された)米国黒人固有の問題で、大阪なおみのオリジンたるハイチ系黒人(ハイチ系白人と入れ替わってフロリダ州において急増)などからすれば「何それ、美味しいの?」と他人事だったりする辺りが米国黒人問題のややこしさだったりします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
かかる状況下において「タミル人もインド人も東南アジア人もアフリカ人も肌が黒いという一点だけでひとまとめにしてしか捉えられない」日本人の杜撰な黒人観が救済となったりするのが面白いのです。
日本の暴走リベラル層が「ちびくろサンボ」に登場する黒人がアフリカ人でなくタミル人だった事についてどう総括するのか見てみたいものです。その一方で、こうした日本人のおおらかさは「クリストファー通りの仮想文化」にインスパイアされて「非実在キャラ」としてのハード・ゲイ概念を生み出して世界中の支持を得たりする次第。
③「誰にとってだって絶対受容出来ない変態は存在する(特に「おっぱいぶるうんぶるうん」族と「Shake Hipグリグリ」族の対峙は深刻だった)。だがそれが存続する権利は必死で守る」LGBTQA層(Lesbian,Gay,Bisexual,Transgender,Qear,Asex)…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
皮肉にも2016年時点では全く守られてなかった「男の尻」はその後、全部「18禁規制対象」になってしまいました。こういうの案外、白人暴走リベラル層が(各国移民の進行富裕層を隣人に迎えたくない一心で)各国移民Poor層と結ぶ過程でそうなってきたという側面も。その一方で以下の投稿で扱ってきた「(自分が共感出来ない性癖でも多数のデータに触れれば勝手にエキスパート的審美観が育ってしまう)Callbackルーチン」概念こそが「誰もが他人の性癖全てに共感する様にはならないが、だからこそ全ての性癖が守られなければならない」とする第三世代フェミニズム理念の中核である事が次第に明らかになってきたのです。
コミュニティ存続の為に「異性を敵視する同性愛者」と「あらゆるセックスアピールに嫌悪感を感じる無性愛者」は追放せざるを得ず、その連中が復讐の為に暴走リベラル層に合流した事が最終的に規制強化によるTumbr壊滅の遠因となった。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
今回の「玉袋ゆたか」事件を見ても明らかな様に「異性を敵視する同性愛者」や「あらゆるセックスアピールに嫌悪感を感じる無性愛者」は暴走リベラル層による迫害が人為的に生む悲劇的怪物だったりする。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
これについては、こんなやりとりもありました。
海外だったと思うけど、昔、同性愛者を差別攻撃する人の精神鑑定をしたら当人が同性愛者だったというケースは複数あったと思うので、〇袋ゆたかな人のあれも「よくあるやつか」くらいの感じで見ています。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2021年11月23日
本当にそうですよ、、、結局、
— 梅村 徳昭 (@fc002470) 2021年11月23日
隠れ蓑か、同族嫌悪、
じゃなきゃ、
創作を仕事にしてる以外で、
あれだけの飛躍的想像は出来ないですよ。
その気が無ければ、
認識できなくて気がつかないですから、その気があるって事です(笑)
認めた方が楽になると思うんですけどね、苦しみたいんですかね;
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2021年11月23日
本当に、、、きょうびは、ほぼ誰もいじめないのでオープンにして楽になれば良いのに、、、
— 梅村 徳昭 (@fc002470) 2021年11月23日
*その人と似たような人にはイジメられますが、、、
苦しむ状態が好きなんだと思います。
ヒロイン症候群?か、超弩級のマゾヒズムの持ち主?!
残念ながら、Tumbr上での経験を援用するなら、ネット経由のアクセスで平野耕太「ドリフターズ(DRIFTERS,2009年~)」に登場する廃棄物の様になり果ててしまった「彼女達(女性アカウントが多かった)」を元に戻す方法はそう簡単には見つかりません。その一方で、この種の人々を代表するのは「オルタナ右翼男性」マイロ・ヤノプルスといういつものパターン…
ああ、何だかすっかり「私が生きていた世界は奴らに滅ぼされてしまった、だからこそまだ滅ぼされていないこの世界だけは守りたい」と戦い続ける「幻魔大戦」のベガの気分に。そんな感じで以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
とりあえず、上掲の一連の投稿についての追加解説は以上となります。
改めて思った事。ナチズムの本質は「詐欺師による無分別なええとこどり」なのであって、彼らにとってはイタリアン
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
・ファシズムでさえ素材の一つに過ぎなかったのです。で「憎悪と復讐心の共有連合」に落ちぶれてしまったリベラル層は、まさにこの罠に落ちてしまったのですね。
ファッショとしてほんとこれは思うことで、ファシズムという割と奇跡的な政治思想の結晶をナチに永遠に汚されてしまったムッソおじさんは本当に気の毒だと思う(ムッソおじさん自身もそもそもの人でなしだったことはここでは於く) https://t.co/TT9TR5ewqA
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年11月22日
レーニンの直接薫陶を受けた「ガチ左翼」のムッソリーニが生み出したファシズム理論自体には、元来当時最大のライバルだったグラムシも論破に苦労するだけの説得力が備わっているのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
ファシズムの思想的源流はマルクス社会主義人民独裁とアナルコサンディカリズムですからね…要は国家というものを完全否定する所まで追求した人達が0ベースで再構築した「国家主義」というのは凄まじい説得力があると個人的には思うてますhttps://t.co/bqbEy29GHY
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年11月22日
ボネヴァク教授のこの講義お勧め
ただ実際の現実上の展開は資本家と労働者、地主と小作人の対立を煽る左翼運動に対抗して資本家側と地主側が雇った(ランボーみたいに)第一次大戦帰還者を最初の支持層とした事による制約を受けたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
現実の世界はヴァイオレット・エヴァガーデンみたいに戦争帰還者に優しくなかったし「未回収のイタリア問題」自体は全イタリア人を憤慨させたのです。そう考えるとムッソリーニはある意味「イタリアのビスマルク」だったといえましょう。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
ただその登場が早過ぎた為に世界恐慌へのが十分でなく、国民に総力戦を覚悟させる理論武装にも欠けていたのです。かくして「イタリア軍は弱い」問題が浮上してくる事になるのでした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月22日
結論から言えば、ムッソリーニは同じファシストのフランコやサラザールの様に断固として中立を貫き通すべきだったのです
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2021年11月22日
未だにファシスト党の系譜が北イタリアの諸党の中に息づいていること、挙句の果てには彼の娘だか孫娘だかが政治家をやれていて、彼の墓地は半ば聖地化している事を考えれば…
×ランボーみたいに○ランボーみたいな。全体像を俯瞰すると「ポルトガルのファシスト」アントニオ・サラザール(António de Oliveira Salazar、1889年~1970年)には、利用可能なあらゆる手段を用いて「リスボン大震災(1755年)」からの復興を果たしたボンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(Sebastião José de Carvalho e Melo, primeiro Conde de Oeiras e Marquês de Pombal、1699年~1782年)の影響が色濃く見て取れるのです。
この辺りについても、そのうちちゃんと触れたくなってきました。ナチス・ドイツに併合される前夜のオーストリアにおいては、まさにファシズムこそがナチズムに対抗する最大勢力だった歴史的事実を我々は忘れてはならないのです。
そんな感じで以下続報…