諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【今は亡きTumbrの思い出】私の愛した「第三世代フェミニズム展開」について。

Without even thinking about it. I used to be able to fly.Now I'm trying to look inside myself and find out how i did it.(私はかつて何も考えず飛んできた。今や自分の内面を見つめ、どうやってそれをやってのけてきたのか思い出そうとしてる)。

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最近意図的にTwitterでの投稿を増やしていて、こんな反応を得ました。

実は「先生と言われる程の馬鹿でなし」と言い返したい気持ちもかなりあったりもしています。そもそも私自身の自認はあくまで謙遜抜きにOchimushaすなわち毎回自らの戦績を「今回も負け戦じゃった」と統括して次の戦場に転戦していく「七人の侍(1954年)」のみっともないデッドコピーに過ぎないのですから。それにつけても気になります。10年前の以下の景色を目撃した日本人は一体どれくらいいたのでしょうか?

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まずは2000年代末当時のTumbrについての基本情報。

そう、暴走リベラルの拠点と「全ての変態を守ると誓った」第三世代フェミニスト集団の拠点は同じSNS上にあったのです。まるで「宇宙戦艦ヤマト(TV放映1974年,劇場版1977年)」におけるイスカンダル星ガミラス星の関係の様に。そしてこのややこしさこそが、以下に述べる4chan暴走リベラル勢を狙って第三世代フェミニスト集団誤爆し返り討ちに遭う悲劇の展開の遠因の一つとなったのでした。

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バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典(大修館)』と、その批判のための覚え書き。実に興味深い書物だが、たわごとも多い。そのたわごとの検証。

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実際、竹宮恵子が創立した大泉サロンの主導した「花の24年組」の1980年代作品や当時のインタビューには(アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin, 1929年~2018年)を肯定する文脈で援用された)カール・グスタフユングCarl Gustav Jung、1875年~1961年)の取り込みに続いて、かかるバーバラ・ウォーカー理論への言及が散見されるのである(かくいう私も、それに刺激されて調べてバーバラ・ウォーカー理論なるものを知った一人だったりする)。

24年組

青池保子昭和23年生)、萩尾望都昭和24年生)、竹宮惠子昭和25年生)、大島弓子昭和22年生)、木原敏江昭和23年生)、山岸凉子昭和22年生)、樹村みのり昭和24年生)、ささやななえ昭和25年生)、山田ミネコ昭和24年生)、坂田靖子昭和28年生)、佐藤史生昭和27年生)、岸裕子昭和24年生

ポスト24年組

水樹和佳昭和28年生)、たらさわみち昭和29年生)、伊東愛昭和27年生)、花郁悠紀子昭和29年生

概説

1970年代初頭に、新しい感覚を持った女性漫画家たちが次々と現れ、SFやファンタジー的要素や、同性愛の概念を導入したり、画面構成の複雑化を図るなどの技法を用いるなど、当時の少女漫画界の常識を覆していった。彼女らの生年がおよそ昭和24年前後であり、また「大泉サロン」で交流した者も多く、相互に関係が深いことから、「24年組」の名で呼ばれるようになった。24年組の用語は、まず山田ミネコと周囲の漫画家側らが呼称し始め、迷宮同人誌『漫画新批評大系』で、その周囲の関係者に、初期は新しい潮流の少女漫画家一群を特定して、その評論に使用する用語として浸透していった。この用語の公刊の初出は、初期の少女マンガ家の入門書『鈴木光明の少女まんが入門』(1979年、白泉社)である。また24年組の漫画家はみな、主人公が少年である作品を手がけている。当初は読者が少女なのに少年が主人公などとはあり得ないと編集部からの反発もあったという。しかし実際には少女読者の人気を獲得していくこととなった。

さらには、竹宮惠子萩尾望都1970年代後半に、山田ミネコ1980年代に少年誌にも連載を行なった。その活動がとくに注目されていた時期は1970年代中頃から1980年代前半である。

24年組の多くは長期に亘って活動を続けており、萩尾山岸凉子2000年代に入ってからも漫画賞を受賞している。

  • この辺りの問題の界隈(Neighborhood)、すなわち数理でいうところの近傍(英語では同じくNeighborhood)については、当時萩尾望都と交流のあった「ロリコン・ジャンルの始祖の一人吾妻ひでおが「男性にとってのアニマが美少女である様に、女性にとってのアニムスが美少年である」と本質に近づく発言をしている事を紹介しておきたい。ただし女性にとってのアニムスには「(執事に代表される)ロマンスグレイの好紳士」の姿をとる事もあり、これはプラトン饗宴」に登場するマンティネイア出身の賢婦人ディオティマに対応するが、この辺りについてまでエロティズム領域における対称性が国際的に担保されているかというと中々に難しい。

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  • さらにいうとかかる話題、英国発達心理学分野におけるアンナ=フロイトメラニー=クラインの論争にまで辿り着く。

  • どうして2010年代ニンフェット世代(Nymphet Generation,女児の発育速度が統計学的に男児のそれを追い抜く10歳前後の小学校高学年頃から、再び抜き返される中学生頃の時期)の少女達が当時あれほど「FLCL(2000年~2001年)」や「Panty & Stocking with Garterbelt(2010年)」に夢中にあったか読み解く鍵はまさにこの辺りにある筈なのである。この時期のTumbr上の男子アカウントは私も含め彼女達を正確に評価する手段を欠いており、その辺りを「自らもしっかり小娘時代を生きた事がある」第三世代フェミニストの「賢いお姉様達(Elder Ladies)」に依存せざるを得なかった。そしてその疾風怒濤感は当時の「Rolling Girl(2014年)」から最近のヒット作でいうとAdo「阿修羅ちゃん(2021年)」辺りに継承されていく。
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    Rolling Girl 歌詞

  • こういう時、途方にくれた私の脳裏には野坂昭如黒の舟唄(1971年)」が浮かんだものである。そう、あの「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか…」の野坂昭如

この辺り、いきなり黒人音楽が白人に受容される最初の契機となった「コットン・クラブ」についてアメリカ黒人はどう考えるべきかなるアポリア(Aporia,解決不能の難問)からの出発を覚悟しないといけない。

そして「コットン・クラブ」といえばこの曲。 

  • ちなみにこの問題、Tumbr上では京都アニメーション作品「たまこまーけっと(Tamako Market、2013年)」で「南の国王の嫁を探す鳥占い師チョイ・モチマッヅィが、雨乞いの踊りを踊ったり「黒い桃」を披露したりする場面と結びつけて語られたりしている。

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  • 実は「たまこまーけっと」はとんでもない失敗もやらかしている。美白化粧品に興味を持ったチョイが「顔と手だけ白くなっても全体のバランスがおかしくなるだけ」と指摘される場面がそれで、これは割と美白化粧品に熱中するインド人に向けられた相当キツ目の皮肉だったのだが(日本ではインド人との結婚を主題とするエッセイの定番ネタ)、良い意味でも悪い意味でも国際SNS上の関心空間においては完全スルー。 逆をいえば、この種の問題はそれぐらい全てに寛容な雰囲気があってこそ検知され「それでは実際問題として、これどうする?」なる次段階に進むとも言える。少なくともヒステリックに「あらゆる差別を許さない!!」と叫んで弾圧を続ける暴走リベラルの真逆のアプローチに問題解決能力がないのは明らかであろう。

こうして白人リベラル層が郊外マイホームに逃げ込んだ時代は米国における「家父長系ホームドラマ」の黄金期でもある。

なせか米国アニメファンは「トラどら」をこれらと結びつけたがる。

実際の日本文化に与えた影響はどうだったのだろうか。魔法少女物の原点とされる赤塚不二夫ひみつのアッコちゃん(1962年〜1965年、アニメ化1969年〜1970年)」は米国映画「奥様は魔女(I Married a Witch、1942年)」の影響を、横山光輝魔法使いサリー(1966年〜1967年、アニメ化1966年〜1968年)」は「奥さまは魔女(Bewitched、TVドラマ1964年〜1972年)」の影響を認めているが、どちらも系譜的には「反父権主義的ホームドラマ」の系譜に位置づけられるので父親の影が薄い。そもそも「主人公が魔女」なる設定そのものが母権主義的とも見て取れる。

×見にた途端に○見えにした途端に。

日本の暴走リベラル層は明らかに誤解していますが、マルコムX2パックが米国において人種の壁を超えて敬愛されるに至ったのは、単に「天然ファシズムが支配する貧困層出身であるからではなく、そんな逆境から出発しながら必死に足掻いて奇跡的に「真の知性(intelligence)」し、その事がまさに「実家の太さ」に甘える「伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層」への鋭い批判として突き刺さるからなんですね。リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter、1916年~1970年)「アメリカの反知性主義(Anti-Intellectualism in American Life,1963年)」はまさに(これから訪れるであろうヒッピー運動と公民権運動を予見して)「実家の太さに甘える伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層」に自己批判を求める内容だったのですが、日本の暴走リベラル層はこれも「我々は反知性主義台頭に対して自らの既得権益墨守すべきである」と真逆に読み間違えてしまいました。そうして彼らの側が頑なになればなるほど階層分断は加速していくのです。

 

映画「ブラックパンサー」においてワカンダの王座を狙うヴィランウォーモンガーが平気で女を盾にする(おそらく駐車場も障害者用に平気で止める)タイプなのは、こういう現実を示唆していたのですね。そういう意味合いにおいて「Poor BlackやPoor Blackの精神を継承した!」と豪語するしばき隊のデモが点字ブロックを塞ぐ様に展開したり、多目的トイレに「安倍政権(およびそれに寄生して不当な優遇を受ける同性愛者や身障者)に死を」と落書きして「健常者こそ抑圧されている!!」と豪語したのは「ちょっとした間違い」だったどころか運動の本質だった訳です。まさにこれこそが各国で中産階級以上が嫌う「貧困階層の天然ファシズム」な訳ですから、その事実から目をそらしてはいけません。

皮肉にも、かかる貧困層の支持を取り付ける為に天然ファシズムを盲目的に追認してLGBTQA層や障害者を大量虐殺するのが「無分別なええとこどり」を特徴とするナチズムの特徴であり、実際のファスズムは彼らの側に寄り添いながら「でも誰にだって自分なりの言い分はある。それについてよく考えてみよう」と啓蒙するのが実際に歴史上に実在したファシズムなんですね。まぁ最終的に「国家の政治的統合」を目指してるからこそのそのスタンスなので、聞き分けが悪い集団はやっぱり暴力で粛清してしまう訳ですが。それまで批判するにあたっては、ファシズム思想自体が、それほどまでに「国家の政治的統合」が急がれる状況でこそ国民に選好されるという現実もちゃんと踏まえておく必要があります。 

かかる状況下において「タミル人もインド人も東南アジア人もアフリカ人も肌が黒いという一点だけでひとまとめにしてしか捉えられない」日本人の杜撰な黒人観が救済となったりするのが面白いのです。

日本の暴走リベラル層が「ちびくろサンボ」に登場する黒人がアフリカ人でなくタミル人だった事についてどう総括するのか見てみたいものです。その一方で、こうした日本人のおおらかさは「クリストファー通りの仮想文化」にインスパイアされて「非実在キャラ」としてのハード・ゲイ概念を生み出して世界中の支持を得たりする次第。

皮肉にも2016年時点では全く守られてなかった「男の尻」はその後、全部「18禁規制対象」になってしまいました。こういうの案外、白人暴走リベラル層が(各国移民の進行富裕層を隣人に迎えたくない一心で)各国移民Poor層と結ぶ過程でそうなってきたという側面も。その一方で以下の投稿で扱ってきた「(自分が共感出来ない性癖でも多数のデータに触れれば勝手にエキスパート的審美観が育ってしまう)Callbackルーチン」概念こそが「誰もが他人の性癖全てに共感する様にはならないが、だからこそ全ての性癖が守られなければならない」とする第三世代フェミニズム理念の中核である事が次第に明らかになってきたのです。

これについては、こんなやりとりもありました。

残念ながら、Tumbr上での経験を援用するなら、ネット経由のアクセスで平野耕太ドリフターズ(DRIFTERS,2009年~)」に登場する廃棄物の様になり果ててしまった「彼女達(女性アカウントが多かった)」を元に戻す方法はそう簡単には見つかりません。その一方で、この種の人々を代表するのは「オルタナ右翼男性マイロ・ヤノプルスといういつものパターン…

とりあえず、上掲の一連の投稿についての追加解説は以上となります。

×ランボーみたいに○ランボーみたいな。全体像を俯瞰すると「ポルトガルファシストアントニオ・サラザールAntónio de Oliveira Salazar、1889年~1970年)には、利用可能なあらゆる手段を用いて「リスボン大震災(1755年)」からの復興を果たしたボンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(Sebastião José de Carvalho e Melo, primeiro Conde de Oeiras e Marquês de Pombal、1699年~1782年)の影響が色濃く見て取れるのです。

この辺りについても、そのうちちゃんと触れたくなってきました。ナチス・ドイツに併合される前夜のオーストリアにおいては、まさにファシズムこそがナチズムに対抗する最大勢力だった歴史的事実を我々は忘れてはならないのです。

そんな感じで以下続報…