2010年代Tumbr上において第三世代フェミニストの側に与していた私にとってラディカルフェミニストは天敵に近い存在だったりします。
ラディカルフェミニズムは、「女性には性欲がない、あらゆるセックスは男性からのレイプである」だから、「ポルノは100%排除する」には筋が通っているんだよな。行動に一貫性がある狂気って怖いですね、というだけの話で。
— ぬまきち (@obenkyounuma) 2021年11月26日
最近私は「それもQueerの一種」ではないかという考えに至ったんですよね。まずはロジスティック方程式における「適正生存数(多過ぎると減少し、少な過ぎると増加して理論上この位置で均衡する)」を「適正課題数」に置き換えます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
以下のグラフの話ですね。上の三本が「多過ぎるので適正数まで減少する」グラフ。真ん中の三本が「多過ぎるので適正数まで増加する」グラフです。
すると、元の式では意味なしとして切り捨てられる「生存数が0以下となった場合、その現象が加速する」関数に意味が生じてくる訳です。そうまさに我々が目にしている「焼き払う事に成功すればするほどさらに手を広げずにいられなくなる」アレですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
一番下の三本のグラフをそう考えると、上の三本のグラフが「課題ならまだまだ無限にある」と言い張って、なかなか改革に着手しない因循姑息な守旧派の心理に対応している様にも見えてきます。すると真ん中の三本のグラフは差し詰め「ゼロベースから出発し、余裕が出来たら取り組む課題を一つずつ増やしていく」現実的対応に該当するのかもしれません。
実はフランス革命/ナポレオン戦争やナチスやクメール・ルージュについても起こった事かもしれません。実際、当時のフランスは「課題数が0を下回って我を失うまでは絶対手を出してはいけない」と分かっていたスペインとロシアに手を出し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
ナチスはソ連への侵攻を開始し、クメール・ルージュはベトナム系市民の民族浄化に手を出してしまった訳です。私は2010年代にTumbrで暴走リベラルに焼き払われた経験があるのであらかじめ予言しておきますが、日本のツイフェミもおそらくそこまで行きますよ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
何しろ彼らにとっては「無理筋の発見」こそがむしろモチベーションとなる訳で、スペイン戦争とロシア遠征で力を使い果たしたナポレオン皇帝専制下のフランス、独ソ戦で力を使い果たしたヒトラー独裁下のナチス・ドイツ、ベトナム軍の侵攻を招いて一瞬で滅んだクメール・ルージュ政権の様な最後を迎えるまで止まらない訳です。ある意味こうした自殺行為の完遂こそが陰謀論のあるべき末路とも?
これまさにネットで真実で、昔にこれ考えた冨樫先生すげぇ
— 神奈いです (@kana_ides) 2021年11月27日
(陰謀論にはまった人を救い出すのさらに大変) pic.twitter.com/DHJhe1HrTw
さらに実はこれ「無能な働き者」の話だったりする?
こういう話でもありますね。
インターネット pic.twitter.com/GnAX0V5Apj
— 茶之山 (@d1_earth) 2021年11月26日
ツイッターで使う機会が頻繁にありそう pic.twitter.com/6Ji4YUNS1E
— すずなり (@XMa5d) 2021年11月26日
数理的に考えるとこういう話になりますね。
- 平均0を中心とする無次元分散について考える。1次元上ではそれは±x,二次元ではxを半径とする同心円、三次元上では同じくxを半径とする同心球面を描く極座標系を構成し、かつ半径xの増分は平面上ではか各円弧に内接/外接する正方形を単位とする、三次元上では各球面に内接/外接する立方体を単位とするとなる。実際には線形代数は原則として2次元配列以上を扱わないので、三次元以上の計算は二次元計算の繰り返し、例えばといった形で求める展開を迎える。
- 無次元分散とは要するにn個の直交基底から構成される評価空間の対角線であり、その最適数と各評価軸の持つ意味は因子分析法や主成分分析法によって導出される。ところで因子分析法には乱数を与えられてもそれから次々と基底を導出してしまう特徴があり、これが「適正な評価軸を1個も見つけられない場合の暴走」に対応付けられそうなのである。
- 実際の適用に当たってはイタリア経済学における国家評価基準、すなわちx軸に(賦役動員も含む)課税の重さを置き、y軸以降に各評価軸からの公的サービスへの満足度を積み重ねて最終的満足度をその対角線として導出する考え方が役立ちそうである。この計算によって一般国民の想定する評価軸と、いわゆるJリベラル層の想定する評価軸がどれだけズレているか明らかにする事で、その暴走の度合いと内容が示される事になる訳である。
2018年末に「自分の考え方には圧倒的に数理が足りてない」と自己反省して再勉強を進めた結果、三年目にして辿り着いたのがこういう考え方でした。いやはや、まだまだ完成には程遠い…
Tumbrには子持ちの異性愛カップルと同性愛カップルが「子供がどういうセクシャリティを持つか分からない。どうすれば偏見なく育てられるだろうか」みたいな話し合いがありました。また無性愛者も「可愛い服着たり、美味しいもの食べたい気持ちは同じ」で受け入れられてました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
ところが暴走リベラルに合流したLGBTQA層は基本的にそういう場から追放された「異性を憎悪する同性愛者」や「あらゆる性表現に反発する無性愛者」の集まりなので、復讐心に駆られてそれら全てに「気持ち悪い」「汚らわしい」のレッテルを貼って全部焼き払った訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
それに(本心ではLGBTQA層なんて軽蔑し切っている)リベラル層が、内心では「汚物同士が内紛で潰しあって数を減らしてくれるのは有り難い」と嘲笑いつつ、満面の笑みで拍手喝采を送る地獄絵図。もし可能なら日本のTwitterでもう一度あれを見る事になるのだけは避けたいところです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
考えてみればこの手口、Black Establishmentを高級住宅街の隣人としたくないばっかりにPoor Blackをけしかけて彼らを襲わせたり、追い出したりする手口の使い回しに過ぎないんですね。まぁリベラルのやる事だから「人道的に正しい」と太鼓判が押されているのでしょう。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月26日
こうして文章にまとめるまで、一番肝心の事を忘れていました。どうして「第三世代フェミニスト」と「Black Establishment」と「LGBTQA層」は同じ場所に集まったのか。それはそれぞれFacebook上のコミュニティにおいて「隣人」となる事を拒絶され、様々な形で嫌がらせを受けて追い出されたからだったんですね(当時はお互いをSNS上の隣人に選んだ間柄でさえ、ちょっとした揉め事が殺人事件に発展したものである)。そう考えると「まとめて焼くのが正義」なる判断が下ったのも仕方がない? そういう考え方が社会通念だったとしたら、間違いなくメタバースでも同じ悲劇が繰り返される事になるでしょう。