何か伸びてるので追記してみました。
西洋人「日本の漫画は金髪が多いコンプレックスだ」
— 箱 ミネコ 5月13日新刊発売!「引き寄せたくないのにスピ体験がとまりません」 (@hakomine) 2021年12月4日
漫画家「ベタ塗るのが面倒なだけなんだっつーの!」
終
制作・著作
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これ1960年代まで少女漫画が恋愛御法度で、その壁を破る為に手塚治虫や石ノ森章太郎を嚆矢に「ファンタジーやSFや海外の物語なら許される」路線を推進してきた歴史的残滓でもあるのですね。かくして「ベルばら」や「キャンディキャンディ」が登場してくる訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月5日
1960年代まで「サラリーマン小説」で人気を博した源氏慶太は「日本の女性はそもそも自由恋愛に興味を持たない」と日頃から断言してましたして、山田風太郎の忍法帖シリーズでも恋に落ちるのは「堕落した悪女」だけで、その全員が自業自得の悲惨な最後を遂げます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月5日
×してましたして○してましたし。でもこうした歴史を経たせいで、日本の少女漫画は海外のロマンス小説みたいな「恋愛のみを扱う」制約から逃れた側面もあった訳です。人生万事塞翁が馬?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月5日
追記は以下からですね。
「源氏鶏太と山田風太郎」…正確にいうと立ち位置に差があって「確信犯」の源氏慶太に対して山田風太郎のそれは「本当にそれでいいのか(未来には変わってくる可能性もある)」と問いかけてくる作風となっています。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
この辺りが当時の高評価が1970年代以降も続く山田風太郎と、それ以降「忘れられた作家」となる源氏鶏太の峻別点となってくる訳ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
ただその源氏鶏太についても「最高殊勲夫人(1959年、同年映画化)」などにラブコメの萌芽を見る向きがあり、2016年に復刊されたりしています。全体としてその作風は弘兼憲史の「島耕作シリーズ(1983年~)」や「黄昏流星群シリーズ(1995年~)」といった「サラリーマン漫画」などに継承されたとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
これとかの話ですね。
源氏鶏太『最高殊勲夫人』(ちくま文庫)
— 筑摩書房 (@chikumashobo) 2019年3月14日
政略的な結婚を持ちかけられた杏子と三郎。恋人がいると嘘をつき、協力して回避しようとする。が、いつの間にか二人はお互いに惹かれ合って……。読み始めたら止まらない、胸ときめく昭和のラブコメディ! 解説:千野帽子 2016年9月刊#ちくま1000「本」ノック469 pic.twitter.com/2HM0eOmkaH
一方山田風太郎については江戸川乱歩が「戦後の推理小説ジャンルを支えるであろう」とした「戦後五人男」の一人に数えられた事が重要です。残りは「ゴジラ(1954年)」に原案とシナリオを提供した香山滋(1904年~1975年)…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
…「焼け跡ハードボイルド」概念を創始して映画「仁義なき戦いシリーズ」の大源流となった脚本家虚淵玄の祖父大坪砂男(1904年~1965年)。柴田錬三郎「眠狂四郎シリーズ(1956年〜1975年)」のアイディアマンでもありました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
そして1949年から自身の経験を生かしたブンヤ(新聞記者)物の推理小説を書き始めNHKのTVドラマ「事件記者(1958年〜1966年)」の脚本を担当した島田一男(1907年~1996年)。青空文庫で「古墳殺人事件」をこき下ろす坂口安吾の書評が読めます。https://t.co/TmkhvPcN6G
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
さてどんじりに控えしはピカレスクロマン「白昼の死角(1960年)」が1979年に角川映画化された高木彬光(1920年~1995年)。「成吉思汗の秘密(1958年)」「邪馬台国の秘密(1973年)」「ノストラダムス大予言の秘密 (1974年)」といった歴史ミステリの作者でもあります。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
そう、この五人全員が「本格推理小説」の世界には残れなかった一方で、日本のエンターテイメント分野が多様性を確保過程で大きな足跡を残してきたのです。まさしく江戸川乱歩自身が本格推理小説発表雑誌「青年」から追放され、通俗小説やジュブナイル分野でより大きな足跡を残した様に。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
一方、その純文学性に執着するあまりラジオやTVや電車といった最新技術の導入すら拒絶してきた「本格推理小説」文壇は、松本清張「点と線(1957年~1958年)」などを嚆矢とする社会派ミステリブームに呆気なく粉砕され、ハヤカワのミステリ・SF文庫が牽引した未曾有の翻訳ブームに飲み込まれていきます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
そして当時の海外のファッションやライフスタイルを紹介する「平凡パンチ(1964年~)」が刊行され、当時のフランス趣味やそれまでのルブラン冒険小説導入の伝統を受けた形でモンキー・パンチ「ルパン三世(1967年)」の連載が始まる訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
峰不二子的存在には1970年代以降台頭するウーマンリブ運動だけに還元し切れない独特の華やかさがありますが、その辺りはこういう歴史的経緯に由来するのですね。同時に「ルパン三世」は「戦後五人男」なる表現に足跡を止める日本の白波文学の足跡も「五右衛門」なるキャラに留めるのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月6日
実は私自身はこの辺りの「ノスタルジーとしてのバンカラ感」が全然分かりません。
当時むしろ洋楽導入派の最先端にいた人達がシングルのB面に収録。当時は酷評されたが、次第に人気を伸ばしてロングセラーに。このグループについてはまた別途分析が必要な様です。そんな感じで以下続報…