考えてみれば運慶快慶の金剛力士(仁王)像を見ても分かる様に、日本に「筋肉を照覧(Look Up)する文化」自体がなかった訳ではないのです。
ただ当時の(戦国大名の間に流行した不動明王信仰の側面も合わせた)武士的マッチョイズムが筋肉から抽出した幾何学的抽象美の概念がそのまま近代以降に継承された訳でもなかったのです。
しかし女性→男性の欲望は透明化される世の中であることだなあと思った、それも「フェミニズム的な課題」であるはずだけど、「これは性的でないし性的消費ではない」で逃げる人の多いこと
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2021年11月27日
通りすがりに不躾ですが……。
— あんじゅ (@Kino_anju) 2021年11月28日
透明化の使い方、間違ってますよ……!
透明化は遮るものがなく対称がよく見えることを言います……。
一般的にはおっしゃる通りですが、ジェンダーやフェニミズムにおいては「存在そのものが(見え)ないものとして扱われる」も『透明化』と呼ばれるそうです。
— 属物 (@zokujin9841) 2021年11月28日
oh……( ゚д゚)
— あんじゅ (@Kino_anju) 2021年11月28日
「我々は男性と違い裸を見たい訳じゃない。筋肉を照覧したいだけだ」って奴ですね。「照覧」英語でどう言ってたかとっさに思い出せませんが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月27日
古いメモからやっと「照覧」が「look up」の訳語であった事を突き止めました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月28日
ちなみに2010年代前半の韓国ではKPOPアイドルが恥ずかしそうに互いの下腹部の筋肉を見せ合う場面や、筋トレで苦悶の表情を浮かべる場面が大人気でした(というか、当時のtumblrでそういう画像を集めて流す側だった)。あれも性的消費ではなかったと?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月28日
外郎売りにあった「薬師如来も照覧あれ」のやつだ! さておき、美少女イラストのえっちな要素を好む人(この場合、とくに男性)もべつによーしヤるぞーと思って見てるわけじゃないんでは、と思います。照覧とか崇拝とか…
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2021年11月28日
そもそも日本には江戸時代まで裸や筋肉を照覧する文化がなく、(東大英文学科の初代教授だった)小泉八雲や(二代目教授だった)夏目漱石が、裸をありのままに描くのを至高とする」オーギュスト・ロダン(1840年~1917年)らのフランス自然主義彫刻の上陸に猛烈に反発して広め始めたのが最初なんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
これ間違いである事が分かりました。正確には…
- 近代黎明期の日本で「美意識の欠片もない、写真をそのままキャンバスに転写した様な粗雑な西洋写実画(あまりに酷過ぎて後世に伝わらず)」が流行すると、これに小泉八雲や夏目漱石が反発して「ギリシャ彫刻は現実の肉体そのものではなく、特定の美意識が抽出した幾何学的抽象曲線によって構成されている」論を展開する。
- その後「近代彫刻の父」ロダンが登場し、ここでいう「写実論」と「抽象論」の統合に成功する。
- 1910年代~1920年代には日本の白樺派がロダンと直接交流し、これを広める。
哲学者三木清(敗戦直前の1945年検挙され釈放を待たずに獄死)は「読書遍歴(昭和16年/1941年)」の中で大正期の日本近代史の流れを透徹したまなざしでとらえ、時代の空気をこう斬っている。「あの第一次世界大戦といふ大事件に会ひながら、私たちは政治に対しても全く無関心であつた。或ひは無関心であることができた。やがて私どもを支配したのは却つてあの『教養』といふ思想である。そしてそれは政治といふものを軽蔑して文化を重んじるといふ、反政治的乃至非政治的傾向を持つていた、それは文化主義的な考へ方のものであつた。あの『教養』といふ思想は文学的・哲学的であつた。それは文学や哲学を特別に重んじ、科学とか技術とかいふものは『文化』には属しないで、『文明』に属するものと見られて軽んじられていた。言ひ換へると、大正時代における教養思想は明治時代における啓蒙思想――福沢諭吉などによつて代表される――に対する反動として起こつたものである。それが我が国において『教養』といふ言葉のもつている歴史的含蓄であつて、言葉といふものが歴史を脱することのできないものである限り、今日においても注意すべき事実である。」
そういえば私は「古事記」「日本書紀」に中高生時代、家にあったカラー挿絵で一杯の百科事典的物語全集を通じて最初に触れたのですが、今から思えばそこに山ほど掲載されていた絵画の数々こそ「(聖書や神話にかこつけたエロしか許さない)欧州の文化的仮面」の輸入を試みた白樺派の野望の痕跡だったのです。
小泉八雲先生の定義によれば、ここでいう「照覧」とは「愛の直観を通して、人体についての神々しい幾何学的観念の秘訣へと到達する事(チェンバレン宛書簡)」となる様です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
この時点の対象はギリシャ彫刻で、だからか江戸川乱歩も端正な全裸や筋肉の表現に「ギリシャ彫刻の様な」なる比喩を作中で盛んに用いています。当時の流行?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
夏目漱石も「古代ギリシャ人はただ単に裸を彫ってたんじゃない。人体から抽出可能な最も美しい曲線を崇拝対象としてたのである」と書き残していたりします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
こうした苦闘の背景にはさらに「(江戸時代までの様に)性行為そのものにしかエロティズムを感じられないのは単なる野蛮人」なる強烈な劣等意識もあった様です。実際それで伊藤博文らが外交の席上で恥をかいた事もあったそうで。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
そして小泉八雲と夏目漱石といえばダンベルを日本に持ち込んだボディービルディング概念紹介者でもあり、様するに日本人にとって「裸を照覧する習慣」と「筋肉を照覧する習慣」は文明開化がもたらした同根のものだったのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月29日
そういえば、ここでいう「抽象化」って萌え絵や少女漫画を含む漫画表現に適用可能ですね。いかなる絵師も写真機の様に五感を通じて得た官能をそのまま機会的に出力している訳ではないのですから。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年11月30日
同じ話の繰り返し
それ以前に江戸時代までの日本は「性行為だけがエロい」文化でした。「裸に興奮する」様になったのは文明開化後で、それも肉食導入同様に懸命の努力の結果成し遂げられた成果だったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
日本に導入された最初期の西洋画は「写真をそのまま転写した/実物を型取りした彫刻の様な」美意識の投影が欠片も感じられない最低の代物で、これにまずギリシャ系アイルランド人の小泉八雲と、ロンドン留学経験のある夏目漱石(東大英文学科の初代/二代目教授)が反応します。https://t.co/Hyr6uigd9p
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
「例えば古代ギリシャ彫刻は目にした肉体をそのまま写実的に刻んだ訳ではない。脳内抽象化段階を経て幾何学的に美しいと作者が感じた曲線を刻んだのである」。ただ、惜しむらくは二人とも黎明期ボディビルダーであった事から、その言及範囲は自ずから筋骨隆々の男性の肉帯のそれに限られたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
×肉帯○肉体。従って江戸川乱歩らの記述に登場する「ギリシャ彫刻の様な肉体」なる表現は戦前、主に「(ボディビルで鍛えた様な)筋骨隆々の男性の肉体」に掛かる形容詞となったのです。Bururururu!!
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
そう、実際当時の風俗に目を向けると…
海女やら女性炭鉱夫は上半身裸で仕事をしていたようだし。昭和の西成では婆ちゃんが半裸のドリフのギャグみたいな姿で夕涼みしてたし。胸は今と比べればそれほどエロくなかったのかも知れない。>RT
— 土と油 (@tutitoabura) 2021年12月13日
昭和40年代まで、とくにエロくなかったとおもいます。公共の場所で授乳する人もいましたし。
— 樋口左衛門尉隆晴 (@saemonhiguchi) 2021年12月13日
確かに授乳はごく普通の光景でした。
— 土と油 (@tutitoabura) 2021年12月13日
日本に限らず東アジアでは 男女を問わず上半身裸は“エロ”じゃなかった気がするのですよね。朝鮮の民族衣装のチマチョゴリが昔は胸丸出しだったのも エロい目的で着せてたのではなく 単に「誰も気にしてなかった」からでしょうし。https://t.co/B8vwJhXZ87
— はがねてつろ⋈ (@HaganeTeturo) 2021年12月13日
おっぱいそのものが「性的な対象」とは言えなかったかと、一般的に。 https://t.co/mivCteSE1K
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
戦前の断髪洋装のモガなどの写真にしても、洋服は着ているけれども、装ってる側にも「胸」に意識があるようには見えないし、何より今のようなブラジャーなど胸を整える下着は映画女優などごく一部を別にして、まず普及していなかったはずで、そういう意味でも和装的な意識で「胸」を制御している印象。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
浅草レビューの「エロ」にしても、観客側の視線&意識が集中しているのはまず「脚」であったらしいこと。素足を見せる、それも太ももまで、ということの、当時の「そういうもの」基準でのとんでもなさ。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
宝塚に比べて日劇や松竹の「ダンス」が低俗として一段低く見られていたのも、そういう当時勃興していた「エロ」への大衆的な視線&意識を自覚的に反映した上で成り立たせている興行ものとして出発していたことによる部分は、少なくなかったのだろう、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
で、そういう新しい「エロ」がうっかり宿ってしまった観客の意識や感覚もまた、「モダン」相のある部分であり、そういう意味での世代差、階層差その他の「分断」(敢えて言うなら)が起こり始めていたのだろう、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
女優や歌手、芸能人が「水着」を着た写真を平然と披露するようになり、しかもセパレートからビキニへとエスカレートしていった70年代あたりに、「おっぱい」そのものがなしくずしに性的なものになって/させられてゆき、それに見合った新しい感覚や意識を宿してゆく人がたが出現していたのだろう、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
まあ、たとえばアグネス・ラム問題wであり、麻田奈美問題wwであったりするような各論がだな……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
峰不二子(あ、これも「フジコ」だ)や、十兵衛も描かれ方としては「おっぱい」が明確に表現されていたわけで、な。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
1920年代にアメリカや欧州で流行したフラッパーのファッションは、平らな胸が美しいとされてたりで。
— 土と油 (@tutitoabura) 2021年12月13日
その頃のアメリカでは 男性でも公共の場で上半身裸になるのは禁止…… なのでビーチやプールでは 上半身まで隠すような水着を着ていたみたいですね。https://t.co/Nq9XDLFfLl
— はがねてつろ⋈ (@HaganeTeturo) 2021年12月13日
フラッパーに代表されるスレンダーな体型は東欧出身のサイレント女優の影響を色濃く受けていましたが、トーキー映画時代になると彼女らがまともに英語を話せなかった事から米国伝統の「ダイナマイトボディ」の時代に推移します。そう「ピンナップガール」の時代ですね。https://t.co/v0EoF5Dgdt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月14日
日本だとこのスレンダー系が「エログロナンセンス」の1930年代に入ってきて、しかも当時飛行船が来日した事から「流線美」の概念で統括される事になります。https://t.co/80g6kJS8qi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月14日
そして…
その一方で夏目漱石は「草枕(1906年)」で「浴室の湯気に浮かぶ女性の全裸ヌードのシルエットはエロい」と感じる次元まで到達。太宰治「美少女(1939年)」に至っては「(元来志賀直哉の分野だが)ふくらみ始めの少女のおっぱいはエロいかもしれない」なる言及まで登場します。https://t.co/L3LuJgYpgi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
ただしそれを目にするのが混浴の湯治場で、隣で女房が一緒に湯船に浸かって「ほほほほ、確かに可愛らしいわねぇ」と笑っている様では、まだまだといえましょう。https://t.co/urrojrlBWC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
ところで「こういうのは志賀直哉の専門分野なのだが」は、彼が少女小説黎明期の成功者の一人であった事を指します。つまりこの系譜は1970年における「少女小説中興の祖」氷室冴子に繋がっていくのです。https://t.co/9nVnaLMU7K
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
そういえば氷室冴子の初期小説にも、少女自身の「おっぱいがふくらみ始めた事への戸惑い」についての記述がありました。この路線は吉田秋生「桜の園(1985年~1986年)」榎本ナリコ「センチメント・シリーズ(1997年~)」などに継承されていきます。https://t.co/xmTl81CgjY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
その前夜に目を向けると「魔女っ娘メグ(1974年~1975年)」で「二つの胸のふくらみは何でも出来る証拠なの」なんぞと歌ってますが、同時代にヒットした「ベルサイユのばら」「キャンディ・キャンディ」などをみても、まだまだ「おっぱいより拳や剣」の時代だったのです。https://t.co/KZ2c3CR0bv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
それが1970年代も後半に入ると竹宮恵子や萩尾望都の少年愛や…https://t.co/rk6wpN3tsV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
池野恋「ときめきトゥナイト(1982年~1994年)」が登場して色々様変わりしてきた訳ですね。https://t.co/nSAAoSdVp2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
あれ? この路線って女性側に集約してますね。そう、日本人男性も「裸に興奮する」様になる流れには、また別の物語が存在するのです。そんな感じで、以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
グチャグチャになってしまいました。そのうち整理したいと思います。