諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「地獄から戻ってきた懐かしのアライさん」と探す「脱出口」

原則として何処へも行けない我々は、何処に向かうべきなのか?

Twitter上で展開する「自由連想法」楽しい。自分の考えの至らない部分を炙り出せるし、さらに人から意見をもらえたりするのです。いずれにせよ「脱出口」はそうやって探っていくしかありません。

思い出したのがアライさんの物語。

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さらに残酷なのが、最後射殺に終わる「小鹿物語」…

出発点は、まぁこんな感じです。

彫刻家ロダンと日本における近代の形成

哲学者三木清(敗戦直前の1945年検挙され釈放を待たずに獄死)は「読書遍歴(昭和16年/1941年)」の中で大正期の日本近代史の流れを透徹したまなざしでとらえ、時代の空気をこう斬っている。「あの第一次世界大戦といふ大事件に会ひながら、私たちは政治に対しても全く無関心であつた。或ひは無関心であることができた。やがて私どもを支配したのは却つてあの『教養』といふ思想である。そしてそれは政治といふものを軽蔑して文化を重んじるといふ、反政治的乃至非政治的傾向を持つていた、それは文化主義的な考へ方のものであつた。あの『教養』といふ思想は文学的・哲学的であつた。それは文学や哲学を特別に重んじ、科学とか技術とかいふものは『文化』には属しないで、『文明』に属するものと見られて軽んじられていた。言ひ換へると、大正時代における教養思想は明治時代における啓蒙思想――福沢諭吉などによつて代表される――に対する反動として起こつたものである。それが我が国において『教養』といふ言葉のもつている歴史的含蓄であつて、言葉といふものが歴史を脱することのできないものである限り、今日においても注意すべき事実である。」

まぁこれがそもそもの発想の発端なのですね。

要するに、逆にネイティブにしか読めない内容という訳です。

まぁこの話です。

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まぁこちらもこちらで「青は藍より出でて藍より青し」の実例。

むしろ日本人が(今や世界中に共有されている)和製コンテンツの極限を勝手に決められると考える方が傲慢なのです。これもある種のイプシロンデルタ論法

これで何となく1920年代~1960年代の映画史を1970年代以降のそれと接続する準備が整いました。この話が以下の投稿系列と絡んできます。

×捕捉○補足。戸坂潤自身の自由に関する考え方自体は以下の様な感じです。

戸坂潤 「現代唯物論講話(1938年)」

近世的な自由概念はルネサンスに始まると見るべきだろう。イタリヤの商業資本主義の発達につれて、商業都市の隆盛をきたし、そこにいわゆる古典文芸の復興の物質的地盤が用意されたが、そればかりではなくこの初期資本主義によって個人=個性の自覚もまた発生した。かくてメジチ家その他の紳商によって、芸術家が養成されることになり、従来のギルドの徒弟上りに過ぎなかった工人の位置に芸術家が代って就くことになったのである。芸術家は自分自身の個性に従って、制作・創造・の活動をするが故に、もはや単なる工人ではないのである。われわれはここに近世的な自由概念の故郷を見ることが出来る。

自由は個性に基く独創的な生産活動を意味している。これはもはや決して消極的な、何ものかからの非生産的な自由ではない。ここでこの自由は、ダ・ヴィンチミケランジェロ、或いはボッカッチョにおいて見受けられるような、芸術的創造の自由またはロマン的自由に他ならぬ(ロマンは俗語(ロマンス語)による世俗人情的物語で、浪漫主義の歴史的起源をなす。デカメロンが典型的なロマンスであることは人の知る通りだ)。この自由の特色は遥か後になって、ドイツ浪漫派哲学者のシェリングの初期の思想の中心をもなしている。世界を構想(想像・幻想)する自由、自我の内から世界を出し、又世界の随処に自我を見る自由がこれだ。

近世的自由はただし何よりも民主主義のものであることを忘れることは出来ぬ。政治的自由として、近世的自由の内容が積極的になって来たのは、いうまでもなくフランス大革命を契機としてであり、ルソーの所謂『民約論』に於ける主権の概念に結び付いてである。ルソー自身、浪漫主義の端初をなすといわれるが(物語『新エロイーズ』)、そうすればロマンス的・芸術的な・個性の自由が、ここで政治的な市民の自由へ結び付いたといっていいかもしれない。

シェリングにおける自由は、その「人間的自由の本質に就いて」においては、もはや個性の自由ではなくまたなおさら政治の自由でもない。人格の倫理的自由が、ここでは人間の宗教的自由にまで押し進められているのである。自由なるものの興味は、他からの強制を否定する自己原因的な自律の内に存するよりもむしろ、完全に無原因なアービトラリネス(arbitrariness、恣意性)の内に、すなわち悪をさえなし得る自由の内に見出される。これは神学的自由である。懐古的な小ブルジョア反動分子のイデオロギーであるロマンティークの行きつく処は、文学的には中世的カトリックへの憧憬であったが、哲学的には神学へ赴かざるを得なかったのである。

彼はあくまで社会自由主義(Social Liberalism)の立場に立つマルクス主義だったので、古典的自由主義(Classical Liberalism)すなわちコンドルセ公爵ジョン・スチュワート・ミルといった数学者が打ち立てた「人類からその潜在力を最大限引き出す為にはあらゆる個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限られる」なる理念に立脚する「基本的人権=生命と財産の私有の保証」を無条件に認める立場ではありませんでした。「個人が悪を為す可能性」を完全には排除出来ないからで、かかる懸念を超越するには規制評価軸数を巡るイプシロンデルタ論法をある種の理念にまで昇華する必要が出てきます。「人類は他人に実害を与えると判定される評価軸を有限数しか持ち得ないが、その規制を逃れる悪が新たに現れる都度(慎重な吟味を経た上で)それに対応する評価軸を追加し続ける事によって無限の発展を続ける(逆をいえばこのサイクルが回らなくなった時が「人類の無限の発展」の終焉)」。そう、こうした数理的極限の定義は比較法学でいうと「法が許可していない内容は原則として禁じられる欧州大陸法の原則でなく「法が禁じていない内容は原則として許可されている英米法の原則を信念として採用する事に対応するという訳です。もちろんこうした路線は路線で「政治利用」を視野に入れると(下手なマルクス主義の信奉より)おぞましい事になりますし…

イタリア政治史上においてかかるアプローチは歴史的に「地主と小作人、資本家と労働者の無限闘争を調停可能な最もコンパクトで最もスピーディな権威主義体制の樹立」を目指したムッソリーニイタリアン・ファシズムばかりか「スターリニズムとカトリシズムの異常な同盟=ユーロ・コミュニズムを採用したイタリア共産党バチカンが手を結んだイタリアにおいて想定可能な最も包括的な体制」をも打倒の対象としてきました。最終的にどうあるべきかはともかく、こういう展開で問題となった評価軸全てを洗いださない限り先には一歩も進めません。まぁそれが理念としてのイプシロンデルタ論法という次第。

歴史研究上はここで新たな問題が生じます。かかる「本格派個人主義」は戦前日本に実際にもたらされたのか、それとも、そもそももたらされなかったのか。もたらされたとしたらその担い手は白樺派だったのか、あるいはそれと異なる洋行派の系列だったのか? 特に当時の映画業界は(とりあえず白樺派の影が一切感じられない)ジャズ音楽ハリウッド映画に触れています。だがその影響力は一体どの範囲まで及んでいたのか? まぁこの辺りが来年の投稿の裏テーマとなってきそうなのです。

それにつけても、イプシロンデルタ論法的には、どの道筋を辿っても最後にたどり着くのがマルキ・ド・サドという辺りが非常にマズいです。この辺りも来年にはなんとかしたいところ…

とりあえず、そんな感じで以下続報?