原則として何処へも行けない我々は、何処に向かうべきなのか?
Twitter上で展開する「自由連想法」楽しい。自分の考えの至らない部分を炙り出せるし、さらに人から意見をもらえたりするのです。いずれにせよ「脱出口」はそうやって探っていくしかありません。
陸上のブラックバスなんて言われてるけど下手すりゃブラックバスよりタチが悪い。狩猟本能を満たすために食わなくても補殺をする。どんな外来種でも家で飼育すれば可愛い家族だが野外に出せば生態系に悪影響を与える駆除対象になりかねない。。品種改良種のイエネコは完全室内飼育しなければならない。 https://t.co/EqSxYGpb6F
— Ke−kun(超絶良い子)🍫 (@Kekun66191203) 2021年12月24日
思い出したのがアライさんの物語。
ソル:シロツメクサの花言葉が「復讐」ということは「シロツメクサの花が咲いたらさあ行こうかラスカル」は「復讐の焔燃え上がりし時、私と共に仇討の旅路を歩んではくれまいか、我が盟友ラスカルよ」となるのか。ところで、アライグマのラスカルとはどんな話だった?
— うちの子コピペ改変カオスbot (@kawaiiuchinoko) 2022年1月14日
スターリング・ノース(アメリカ)
— 翔 (@UxaE8) 2022年1月12日
『はるかなるわがラスカル』で知られる作家。あらいぐまラスカルのお話は彼の幼少時代の実話である
アライグマは繁殖力が高く農作物や木造建築物を食い荒らす凶暴な害獣であり日本でも問題になっている
まあ一番の問題は安易に飼って逃がす人間の身勝手なのだが…
エレン先生『 アニメのアライグマの名前につけられていたりして可愛い響きのある「ラスカル」だけど、英語では「悪党」という意味があるのよ!つづりは"rascal"。』
— 豆知識エレン先生bot (@elen_mame_bot) 2022年1月14日
「あらいぐまラスカル」のラスカルは、アライグマではなくレッサーパンダをモデルにしている
— 本当に使える??雑学bot (@za_tu_ga_ku) 2022年1月12日
みんな「あらいぐまラスカル」を可愛い動物と少年の物語としか思ってないから、飼っちゃったんだよんね。
— 柊 雅統 (@gatwo02) 2022年1月13日
実際は日に日に野生を増すラスカルに苦情が出て、飼いきれなくなって森に返す話なのに。
アライグマ、夜行性でもエサにそわそわ 実は鋭敏な指の感覚 https://t.co/4rXF1WCNBM
さらに残酷なのが、最後射殺に終わる「小鹿物語」…
『アライグマの最初の野生化は、1979年に恵庭市内において飼育されていた10頭程度のアライグマが逃亡し、酪農地帯に定着したのが始まり』
— きみ @ とかち 𓃶 (@Kaisersemmel182) 2022年1月13日
意外と歴史は深かった😳
ラスカルの放送が1977年…
完全に客寄せ飼育ですね😩
おはようございます🤗
— 滝♪ (@usaginanno) 2022年1月13日
そんなに前からの歴史があったんだね💦
十勝にはアライグマっていないって
思ってたけど逃亡して野生化、繁殖、
長い歴史をたどってたんだね😭
純なオイラは、つい最近まで北海道にはタヌキもいないって思ってたもん😅💦
— あかにん (@akaninja11) 2022年1月13日
似てるけど全然違う種族なのですよ。アライグマはラスカルのせいで日本に輸入定着してしまった特定外来生物(´・×・`)
— ベルヌイ🦝緑のタヌキ (@Bellnoulli) 2022年1月12日
タヌキの生態についてはへんないきものチャンネルが詳しいです。https://t.co/VNgoKTps3P
出発点は、まぁこんな感じです。
最近、すっかり脳内に「地獄から戻ってきた懐かしのアライさん」が住みついてしまいました。ビジュアル的にはどちらかというと物語シリーズのブラック羽川さん… pic.twitter.com/9xB6BEwXN6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
「教養で文明と戦わなくなったインテリなんて、ネズミを獲らなくなったイエネコと同じなのだ。人類に可愛いと思われなくなった途端、このアライさんと同じで駆除指定生物の仲間入りなのだ」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
ちなみにここでいう「教養で文明と戦う」は1920年代前後に海外文化の日本への紹介に力を入れた白樺派の標語。https://t.co/v2nweN9rA6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
哲学者三木清(敗戦直前の1945年検挙され釈放を待たずに獄死)は「読書遍歴(昭和16年/1941年)」の中で大正期の日本近代史の流れを透徹したまなざしでとらえ、時代の空気をこう斬っている。「あの第一次世界大戦といふ大事件に会ひながら、私たちは政治に対しても全く無関心であつた。或ひは無関心であることができた。やがて私どもを支配したのは却つてあの『教養』といふ思想である。そしてそれは政治といふものを軽蔑して文化を重んじるといふ、反政治的乃至非政治的傾向を持つていた、それは文化主義的な考へ方のものであつた。あの『教養』といふ思想は文学的・哲学的であつた。それは文学や哲学を特別に重んじ、科学とか技術とかいふものは『文化』には属しないで、『文明』に属するものと見られて軽んじられていた。言ひ換へると、大正時代における教養思想は明治時代における啓蒙思想――福沢諭吉などによつて代表される――に対する反動として起こつたものである。それが我が国において『教養』といふ言葉のもつている歴史的含蓄であつて、言葉といふものが歴史を脱することのできないものである限り、今日においても注意すべき事実である。」
まぁこれがそもそもの発想の発端なのですね。
英訳すると「You,Intelligentsia…are house cats no longer catch mice, if you no longer fight civilization with your cultivation. And you will join vermin lank like us, if they are no longer considered you Kawaii.」辺り?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
さらにブラック羽川訛りを加えると「Nyou,Nintelligentsia…are Nyouse cats no longer kyatch Myce, if nyou no longer nyght Nyvilization with nyour Nyultivation. And nyou will noin Nermin lank like us, if they are no longer kyonsidered you Nyawaii.」。「アルジャーノンに花束を」状態?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
要するに、逆にネイティブにしか読めない内容という訳です。
アメコミの女性ヴィラン「ハーレクイン」「キャットウーマン」「ポイズンアーヴィー」を差し置いてアメコミ好き米国女性の熱狂的支持を獲得した「日式女怪」は、むしろ日本人の想像を超越する何かだという話。https://t.co/hsCp8i8kDX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
まぁこの話です。
ちなみにこれはフランスで「レッド・タートル」が公開され、フランスのインテリ層が熱狂した時に若者達が「我々はむしろこっちを支持する」と選んだ「百獣の王」。https://t.co/dxHK5dh3En
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
まぁこちらもこちらで「青は藍より出でて藍より青し」の実例。
むしろ日本人が(今や世界中に共有されている)和製コンテンツの極限を勝手に決められると考える方が傲慢なのです。これもある種のイプシロンデルタ論法…
まぁこの投稿を纏めながら考えていた事です。https://t.co/pKW9nZBNQP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
これで何となく1920年代~1960年代の映画史を1970年代以降のそれと接続する準備が整いました。この話が以下の投稿系列と絡んできます。
「「自由主義」という言葉の意味を注釈しておかねばならない。これは資本主義のイデオロギーとしての自由主義でなく、軍国主義的統制に対する「自由」そのものだった。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
……大正期由来のリベラリズム(本邦本来の意味だろう)の内実。このへん踏まえようのない昨今の「リベラル」など論外の沙汰。
「小津安二郎の小市民映画に右派も左派も揃って反感を示した」というアレですか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
おそらくそんなあたりの「空気」のことも含まれてます。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
物理学者からマルクス主義に転じた戸坂潤が「まず真っ先に自由主義が死ぬだろう。あれの行き着く果ては(一国一城の)絶対王政だから」と切って捨てた「自由主義」ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
実は「一国一城の」という表現を捕捉したのは初めてですが、そう考えるとしっくりする気もしてきました。ただあくまで今は私の中でさえ試論段階。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
×捕捉○補足。戸坂潤自身の自由に関する考え方自体は以下の様な感じです。
近世的な自由概念はルネサンスに始まると見るべきだろう。イタリヤの商業資本主義の発達につれて、商業都市の隆盛をきたし、そこにいわゆる古典文芸の復興の物質的地盤が用意されたが、そればかりではなくこの初期資本主義によって個人=個性の自覚もまた発生した。かくてメジチ家その他の紳商によって、芸術家が養成されることになり、従来のギルドの徒弟上りに過ぎなかった工人の位置に芸術家が代って就くことになったのである。芸術家は自分自身の個性に従って、制作・創造・の活動をするが故に、もはや単なる工人ではないのである。われわれはここに近世的な自由概念の故郷を見ることが出来る。
自由は個性に基く独創的な生産活動を意味している。これはもはや決して消極的な、何ものかからの非生産的な自由ではない。ここでこの自由は、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、或いはボッカッチョにおいて見受けられるような、芸術的創造の自由またはロマン的自由に他ならぬ(ロマンは俗語(ロマンス語)による世俗人情的物語で、浪漫主義の歴史的起源をなす。デカメロンが典型的なロマンスであることは人の知る通りだ)。この自由の特色は遥か後になって、ドイツ浪漫派哲学者のシェリングの初期の思想の中心をもなしている。世界を構想(想像・幻想)する自由、自我の内から世界を出し、又世界の随処に自我を見る自由がこれだ。
近世的自由はただし何よりも民主主義のものであることを忘れることは出来ぬ。政治的自由として、近世的自由の内容が積極的になって来たのは、いうまでもなくフランス大革命を契機としてであり、ルソーの所謂『民約論』に於ける主権の概念に結び付いてである。ルソー自身、浪漫主義の端初をなすといわれるが(物語『新エロイーズ』)、そうすればロマンス的・芸術的な・個性の自由が、ここで政治的な市民の自由へ結び付いたといっていいかもしれない。
シェリングにおける自由は、その「人間的自由の本質に就いて」においては、もはや個性の自由ではなくまたなおさら政治の自由でもない。人格の倫理的自由が、ここでは人間の宗教的自由にまで押し進められているのである。自由なるものの興味は、他からの強制を否定する自己原因的な自律の内に存するよりもむしろ、完全に無原因なアービトラリネス(arbitrariness、恣意性)の内に、すなわち悪をさえなし得る自由の内に見出される。これは神学的自由である。懐古的な小ブルジョア反動分子のイデオロギーであるロマンティークの行きつく処は、文学的には中世的カトリックへの憧憬であったが、哲学的には神学へ赴かざるを得なかったのである。
彼はあくまで社会自由主義(Social Liberalism)の立場に立つマルクス主義者だったので、古典的自由主義(Classical Liberalism)すなわちコンドルセ公爵やジョン・スチュワート・ミルといった数学者が打ち立てた「人類からその潜在力を最大限引き出す為にはあらゆる個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限られる」なる理念に立脚する「基本的人権=生命と財産の私有の保証」を無条件に認める立場ではありませんでした。「個人が悪を為す可能性」を完全には排除出来ないからで、かかる懸念を超越するには規制評価軸数を巡るイプシロンデルタ論法をある種の理念にまで昇華する必要が出てきます。「人類は他人に実害を与えると判定される評価軸を有限数しか持ち得ないが、その規制を逃れる悪が新たに現れる都度(慎重な吟味を経た上で)それに対応する評価軸を追加し続ける事によって無限の発展を続ける(逆をいえばこのサイクルが回らなくなった時が「人類の無限の発展」の終焉)」。そう、こうした数理的極限の定義は比較法学でいうと「法が許可していない内容は原則として禁じられる」欧州大陸法の原則でなく「法が禁じていない内容は原則として許可されている」英米法の原則を信念として採用する事に対応するという訳です。もちろんこうした路線は路線で「政治利用」を視野に入れると(下手なマルクス主義の信奉より)おぞましい事になりますし…
イタリア政治史上においてかかるアプローチは歴史的に「地主と小作人、資本家と労働者の無限闘争を調停可能な最もコンパクトで最もスピーディな権威主義体制の樹立」を目指したムッソリーニのイタリアン・ファシズムばかりか「スターリニズムとカトリシズムの異常な同盟=ユーロ・コミュニズムを採用したイタリア共産党をバチカンが手を結んだイタリアにおいて想定可能な最も包括的な体制」をも打倒の対象としてきました。最終的にどうあるべきかはともかく、こういう展開で問題となった評価軸全てを洗いださない限り先には一歩も進めません。まぁそれが理念としてのイプシロンデルタ論法という次第。
ちゃんと通して見てませんが、日本初のトーキー映画「マダムと女房(1931年)」にそこまでちゃんとした「個人主義」が刻印されてるのかどうか知りたいですね。そういえば、アレに出てくる、何でも「エロ100%」と決めつける奥様自体は今でも現存している?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
歴史研究上はここで新たな問題が生じます。かかる「本格派個人主義」は戦前日本に実際にもたらされたのか、それとも、そもそももたらされなかったのか。もたらされたとしたらその担い手は白樺派だったのか、あるいはそれと異なる洋行派の系列だったのか? 特に当時の映画業界は(とりあえず白樺派の影が一切感じられない)ジャズ音楽やハリウッド映画に触れています。だがその影響力は一体どの範囲まで及んでいたのか? まぁこの辺りが来年の投稿の裏テーマとなってきそうなのです。
「明治20年前後は東京女子師範学校が昇格して高等師範学校女子部となり、生徒は洋服でスコブルハイカラになり、活人画に夢中になり、ダンスにあこがれ、鹿鳴館時代でそれは大変だった。この頃「一ツ橋」に女学校ができて、すこぶるエロの評判をとり、ついに学校が閉鎖されお茶の水の附属となった。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
「自然一部の人の頭痛の種となり、高等師範は男子部から独立し女子高等師範となり、活人画もダンスも御法度となって真面目に学問させる方針となった。女子留学生を外国に送ったのが帰ってきて教鞭を取ったが、余り目覚ましい仕事もしないし、学問した女子が小生意気になって老人や男子に忌避された。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
「西洋かぶれの女子はいけないから、日本の女子の美点を修めさせなければならぬという声が盛になって、まず洋服や靴をやめ、束髪さえ嫌われるようになり、私が卒業して地方へ教員として赴任した28年頃には、赴任する時の注意の条件に日本髪を結うことなどがあった。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
「かくて穏健な、しかし進歩的の発達には物足りない気持が潜勢力となり、西洋人に接触の多い成瀬仁蔵が奔走して数年、成り立った女子大学校が目白の女子大である。女子高等師範と肩を並べたが、女子高等師範の方は引っ込みや、女子大の方はお出しゃ、というのが当分定評で、各々それを自覚していた。」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月25日
女学校での活人画の流行…まさか秦豊吉の「額縁ショー」にそんな大源流があったとは‼︎
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
それにつけても、イプシロンデルタ論法的には、どの道筋を辿っても最後にたどり着くのがマルキ・ド・サドという辺りが非常にマズいです。この辺りも来年にはなんとかしたいところ…
とりあえず、そんな感じで以下続報?