今回の発端はこの投稿系列
フェミニストを擁護するのはネトウヨを擁護するのと同じ、って昨日から言ってるけど
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) 2021年12月25日
在日特権とか男性特権とかああいうもんに頼った社会運動が同じところに堕ちていくのは当然の帰結だったんじゃねえかとつくづく思う
Jフェミニズムって「1980年代でアップデートをやめた化石」みたいな存在で、そもそも現在海外で主流の「ウルトラ・フェミニズムvs 第三世代フェミニズムの殴り合い」とすら接点がないのですね。WindowsならまだしもMS-DOSという感じ。お前らの為に用意してやるDOS窓はない‼︎
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
×1980年代○1970年代。当時からの継承が重要なのはTexと正規表現だけで十分‼︎
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
ドナルド・クヌースが、1976年に自身の著書 The Art of Computer Programming の改訂版の準備中に、鉛版により組版された (Hot metal typesetting) 旧版の職人仕事による美しさが、改訂版の当時の写植では再現できていないことに憤慨し、自分自身が心ゆくまで組版を制御するために開発を決意した。最終的に「完成版」系列であるバージョン3の最初のリリースは1989年の事となる。
そして…
「AWK」という名称は、開発者であるアルフレッド・エイホ、ピーター・ワインバーガー、ブライアン・カーニハンの3人の苗字の頭文字を取って付けられたものであるが「オーク」と読み「エー・ダブリュー・ケー」と読んではならないと著者らはしている。ベル研究所におけるUNIX開発の過程で、sedやgrepのようなテキスト処理ツールに演算機能を持たせた拡張ツールとして1977年に開発された為、UNIX上のユーティリティである sort の存在を前提とする。1985年の機能拡張の結果、汎用のプログラミング言語と比べても遜色が無いほどの機能を持つようになり、テキスト処理だけに留まらず、開発者も予想しなかったような大規模なプログラミングに使われるような例もあらわれた。一方、本来のテキスト処理用ツールとしても扱いやすく、現在でもCSV形式のファイルを簡易に処理する、などの目的で広く使用されている。
せめてウルトラ・フェミニズムと第三世代フェミニズムの分岐点になったバーバラ・ウォーカーくらい履修しろといいたいです。経済人類学を履修してないマルクス経済くらい見苦しい。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
まぁこの人。「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets,1983年) 」が主著で、ここから事実上「家父長制を打倒して、人類原初の家母長制に戻す」なるウルトラ・フェミニストのイデオロギーが派生したのです。
- 1980年代の少女漫画(特にSF/ファンタジー系)においては、萩尾望都を筆頭として独自設定の根拠としてユングやこのバーバラ・ウォーカーを挙げる事が多かった。それで最初に名前を知った次第。確かさらなる背景にアーシュラ・K・ル=グウィンの影響があった様に記憶している。
- ところが、かかる日本の少女漫画系イデオロギーは(そもそも「花の24年組」を招聘した竹宮恵子が当時の学生運動を「彼らの最終目的は家父長制打倒でなく単なる代替わり。そんな闘争に女性の居場所はない」と看過して見限った元運動家だった事もあり)「家父長制も家母長制も人間を拘束する権威主義体制である点は同じ」という方向に向かう。その契機として「悪女」概念を破壊した吉田秋生「吉祥天女(1983年~1984年)」や「家父長制や家母長制の対峙」といった表層構造の超越を描いた山岸涼子「日出処の天子(1980年~1984年)」「馬屋古女王(1984年)」の影響は大きかった様に感じていたが、実際の全体像がどうだったかまでは分からない。
- ちなみに当時は一般レベルとしては米心理学者ダン=カイリー(1942年頃〜1996年)「ピーターパン・シンドローム(Peter Pan Syndrome, 1983年)」や「ウェンディ・ジレンマ(Wendy Dilemma, 1984年)」がベストセラーになった時期で、やっと「セクハラは駄目」みたいな考え方が芽生えかけていた程度だった。その一方で男性作家の多くがこのバーバラ・ウォーカー説を疑う事なく事実として丸呑みする展開を迎える(「宗方教授シリーズ」とか「マスターキートン」とか)。
まずJフェミニストはこういった話について来れません。ところでちょうど別の投稿系列でWindowsとDOS窓の話をしてました。
「昔のWindowsを好きだった人はいない」みたいなことを私の前で言ったので、色をなして、Windowsのどこが悪い!と反論した。水平分散によるサードパーティのコンポーネントが組み合わさるシステムであそこまでの品質と機能を実現したのはとんでもなく凄いと力説した、そんな私が使っていたのはmacOS😅
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
2000年代前半のWindowsが不安定な理由の多くは周辺機器のデバイスドライバによるもの。これはマイクロソフトに送られてくるクラッシュログからの分析でも明らか。そのため、マイクロソフトはサードパーティーのデバイスドライバの品質を向上させるためにいくつかの対策を行った。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
例えば、カーネルモードのドライバをそもそも開発しなくて済むようにすること。デバイスによってははやることがほぼほぼ同じなので、標準のドライバに設定ファイルを読み込ませるだけで動くようにした。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
ドライバの提供が必要なものに対しては、ドライバのテストツールを充実させ、そのテスト結果のログを確認するようにした。テストを通過したものに対してだけ、Windowsロゴを発行した。Windowsロゴはマーケティングのキャンペーンでもなんでもなく、Windowsで使っても問題がないことの証明。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
このために、マイクロソフト社内にはWHQL (Windows Hardware Quality Lab) が設置され、そこでOEMやIHV (Independent Hardware Vendor) ともにデバイスの検証を行った。プロセスが確立されると、ロゴを確認するだけで良くなった。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
ハードウェアベンダーに対してマイクロソフトの求める技術仕様はWinHEC (Windows Hardware Engineering Conference) で詳細に明かされ、ベンダーサポートも充実させた(外部の方からすると異論ある方もいると思うが)。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
WindowsのOOBE (Out Of Box Experiences)、すなわちセットアップなどの最初の体験を良くするために、普及しているデバイスなどは最初からOSに組み込んだ。これは先のテストを通過していることが必須。なので、OS同梱のデバイスドライバやロゴを持っているものであれば、品質はまず安定している。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
これもそれも、複数の異なるハードウェアの組み合わせでも動作するようにさせるため。そもそものPC自体がOEMにより様々なコンポーネント(CPUやメモリ、HDD/SSDなど)により構成されている。自社でハードウェアまで作っている場合はコンポーネントは自社で選定するため、すべてはコントロール下。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
なので、ハードウェア含めて自社製造の場合は品質は安定していて当たり前(のはず)。しかも、2000年前半は周辺機器も色んなものがあった。ほぼすべてがWindowsと接続して動作する。その組み合わせは星の数ほどある。これで安定して動作させるのは普通に考えたら無理ゲー。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
というような、当時のマイクロソフトの偉業(これは中の人の意見なので、努力くらいにしておいた方が良いかも)はもっと評価されても良いと思う。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月16日
ここまでハードウェア互換性の話。そして…
一方、ソフトウェアが不安定になる理由については、正直、自業自得的な面があった。一番やっかいだったのは、OSやアプリケーションで使う共通コンポーネントであるDLLが複数存在したり、OSのものが上書きされてしまうことがあること。これはDLL Hellと呼ばれるもの。https://t.co/26BhrXt7cg
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月17日
VC (Visual C++) などの言語で作られたソフトウェアに対してコンポーネントの再配布を認めていたり、自社のアプリケーションが独自のバージョンを持っていたりと、必要だったとは思うが、これがOSの不安定の原因ともなった。
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月17日
これを解決したのが、SFP (System File Protection) 、後のWFP (Windows File Protection) 。これはもっと早く導入されていても良かったと思う。https://t.co/044fg6FqgQ
— 及川卓也 / Takuya Oikawa (@takoratta) 2021年10月17日
話はさらに20世紀末に遡る…
「昔のWindows」と言われると2.11とか3.1が出てきてしまう(´・ω・`) まぁアレはアレで、本来PC用に作られていない80286をIBM PC/ATに採用してしまった種から生えた毒草だったのだけど。 https://t.co/3eeDgr1NOl
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
80286の「プロテクトモード」は割り込み処理やタスク切り替えをCPUに取り込み、各タスク毎に使用するメモリの範囲と属性を厳密に管理することで高信頼性システムを実現するための仕組みで、64Kバイト以上のブロックや1Mバイト以上のメモリ空間を実現するための物ではなかった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
PCだって信頼性が高い方が良いだろうって?286の信頼性は実行オーバーヘッドとのトレードオフだった。セグメントセレクタ(DS/ES/CS/SS)を切り替えるたびにメモリ管理テーブル(GDT/LDT)の参照と属性確認が発生し、確か24クロックとか掛かっていた。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
そして1バイトでも1ビットでも属性違反が検出されれば、即座にGeneral Protection Fault 13が発生してそのタスクは止まり、止まったタスクを強制再起動する方法は提供されない。それがカーネル内で起きるとOSそのものが停止する。悪名高いブルースクリーンはこうやって起きる。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
それはもともと80286が核エネルギー施設や航空宇宙など超高信頼性の求められる用途を想定していたからで、バグを抱えながら動き続けて原子炉が暴走するとかロケットが墜落するくらいなら、そのシステムを止めて予備システムに切り替えた方が良い、という設計構想だった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
PCの場合、バグってもふつう人が死ぬことはない。文章や画像の一部が崩れたり他タスクのメモリを侵食していても、作業結果を強引に保存してから再起動してリカバーしたい場合も多い。286のプロテクトモードはそれを許さないアーキテクチャで、PCのユースケースとの相性は非常に悪かった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
8086はもともと汎用プロセッサとして開発されたけれど、インテル社はしょせん16bitレジスタの80x86の発展性に限界を感じており、80186は周辺チップを内蔵したMCUとして、80286は高信頼性用途のCPUとして開発された。次世代の汎用プロセッサとしてはi432が開発されていた。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
しかしi432にx86との互換性は無く、技術的にも製品としても歴史的な大失敗に終わり、その一方でIBMのPCシリーズは市場を席捲しており、より高性能な後継機が求められていた。なので8086のコードを「互換モード」で実行でき、より高速な80286の採用は自然な流れだった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
しかしメモリ空間を1Mバイトから16Mバイトに増やすプロテクトモードは前述の通り、8086リアルモードとは似て非なる代物で、例えばVRAMの操作をしようとしてMOV AX,E000H / MOV ES,AXとやれば即座にGP13で止まる。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
80286では物理アドレスはコードから隠されており、メモリ管理テーブル(GDT)に書かれている。E000HをアクセスしたければGDTに「E000Hから始まる64KバイトのR/W属性を持つメモリブロック」を作成し、そのオフセット値+属性値をESに入れなければならない。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
ただでさえ複雑な構造なのに、intel純正のマニュアルがわけわからん書き方で、それを翻訳した日本語マニュアルは数行読むたびに脳味噌がオーバーヒートして止まる意味不明文章だった。そういう事情があったので、286搭載PCがどんどん出荷されたのに、286対応OSはちっとも出てこなかった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
本来それはIBM OS/2が実現するはずだったのだけど、OS/2じたいが歴史的な失敗商品になってしまい、使用アプリケーションを限定できる業務用はともかく、市政の私有PCでは全くと言っていいほど使われなかった。DOSにEMSとかXMSとかUMBとかのツギハギをしながら使っていた。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
80386では話が別で、286のマルチタスク機能を強引に拡張したVirtual 86モードが追加され、仮想メモリ空間の中で「物理アドレスのように見える仮想アドレス」が扱えるようになった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
ポートを叩くようなI/O操作もトラップ割り込みで拾って32bit OS側のドライバで代替操作して知らん顔で戻す、今でいうVM機能として働いた。Virtual 86モードの実装については、OS/2でDOSアプリとの互換性確保に苦渋を舐めたビル・ゲイツ氏がintelに強硬な要求として突きつけたという伝説がある。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
Windows 95ではVirtual 86モードを使った「DOS窓」のDOSアプリ互換性が非常に高いレベルで実装されたことが商品としての成功につながった。Windows 95発売から数年のうちに、あれだけ頑固にはびこっていたDOSアプリの殆どは使われなくなっていった。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
そういう意味で「MicrosoftとWindowsの功績」はあると思うのだけど、そもそも80286プロテクトモードという寄り道が無ければいらん苦労だったよね、という気がする。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2021年10月17日
そもそも日本では1990年に発売されたWindows3.1(歴史的にこの時点ではMS-DOS上で動作するGUIに過ぎない)が「286非対応」で発売されています。これは日本語環境では漢字も含む2バイト文字を扱わねばならず、特にプリンター使用時に漢字ROM搭載機でないとまともな速度での出力(数時間掛ければ一応出力自体は可能)が不可能だったからでした。
本格的普及が始まるのは「MS-DOSとのセット販売」が始まったWindows95から。以降「(DOS窓でしか動かない)DOSアプリ」が急速に消失していく一方で…
「Webアプリ」なる全く新次元のアプローチが黎明期に入っていったのでした。
- 初めて遠隔ノード間のTelmetが開通したのが1969年。
- FTP(File Transfer Protocol)規格制定が1971年。
- 1973年時点ではARPANET上のトラフィックの75%を電子メールが占めていたが、この年よりFTPの本格普及が始まる。
- DECのミニコンを使用したGateway商品の初登場が1976年。
- 世界初の商用ルーター発売が1986年。ただし10Mパケット/秒クラスの性能に至るのは「Cisco7000(1990年)」「Cisco12000(1997年)」発売以降。
- 1998年にはインターネット上の通信の75%をHTTPが占めるに至る。
- 2004年、Facebook社がSNSサービス開始。当初会員はハーバード大学のドメインのメイルアドレスを持つ学生に限定されていたが、ボストン地域の大学、アイビーリーグの大学、スタンフォード大学へと対象が拡大され、最終的には13歳以上のすべての人に開放された。2012年9月にアクティブユーザー数が10億人を超えたが(8.7%は偽物と推定)、2011年5月のコンシューマー・レポートの調査ではサービスの利用規約に違反する13歳未満の子供ユーザーが750万人、10歳未満の子供ユーザーが500万人観測されている。
- 2005年、Youtube社設立。同年12月よりサービス開始。
- 2006年7月、AmazonがAWS(Amazon Web Services)の提供開始。これ以降のインターネット・トラフイックの爆発的急増を支える。
- 2012年以降、SNSを流れるデータのリッチ・コンテンツ(静止画、GIF、音声データ、動画)化とスマートフォンのFirst Screen(何かあると真っ先に確認するメディア)化が顕著に目立ち始める。
ちなみにPCのマルチメディア化が顕著になった1990年代よりネット配信が主流となる前夜の2000年代にかけての端境期がCD-ROMタイトルの全盛期。これがいわゆる「エロゲー全盛期」と重なってくる訳です。
2020年代から振り返る場合には、この程度の略年表で十分でしょう。そんな感じで以下続報…