とりあえず、次に使う為のメモ。
そもそも日本人は「パズドラ(2012年~)」のバステトが黒人コミュニティに引き起こした動揺を知りません。
まぁ背後にある「ブラックファラオ問題=ヌビア人はそれぞれの時代一体何者だったか?」という問題意識がないからこれは仕方のない事なのです。
- 大元の先住民は(他にはヒマラヤ山岳地帯や日本の様な島嶼地帯にしか残らなかった)古モンロイド系のだったと推測されている(現代人に残る遺伝子レベルでの確認)。ただし石器時代にこの土に遺跡を残しているのはあくまで黒人種である。
- 「岩塩と砂金を交換するサハラ砂漠交易とナイル川流域文明の接点」にして、様々な鉱物を産した事から、古代にはミケーネ文明、古代エジプト文明、ギリシャ文明と密接な関係を構築し人種的アイデンティティが訳の分からない事になる。ただし中継貿易要素が根強かった事から、おそらくアフリカ深部からの黒人流入開始はヘレニズム時代(Hellenistic period,アレクサンドロスが死亡した紀元前323年~プトレマイオス朝エジプトが滅亡した紀元前30年)以降。この時期に入ると首長墓からネグロイド系遺伝子とギリシャ系遺伝子を併せ持つ遺骨が発掘されたりする。要するにいわゆるブラック・ファラオが人種的にどういう人々であったかは今日なお謎のまま。
- zイスラム文明勃興後はアラビア商人の流入が激しくこれが地域アイデンティティとなるが、とめどなく黒人が流入し続け、人種的には黒人に分類される様になって今に至る。
こうした経緯から「ヌビアで祀られていた辺境と鉱物の神ハトホル」や「ナイル河中流域以上で祀られていたその荒々しさの化身セクメト」から「蛮人を音楽の力で懐柔し従える効能」を抽出した猫神バステトを(同じ古モンゴロイドの遺伝子を継承する)日本人がアジア的風貌に描いても何ら差し支えない。これが本当の国際文化交流で、適切な群同型に到達する為にひたすら教養を求め続けられるのです。単に多人種を揃えたら合格って訳でもありません。
まぁ流石に「そこからの金髪化」ってのは同じ日本人でも訳がわかりませんが…
Overwitchで人気を博したのもあくまで「黒人女性」ではなく「バステト」だったのです。日本神話で言うと「木花咲耶姫」とか、そういった等級? こちらはこちらでさらにゲイ設定が付加されて訳の分からない事に。
なまじ人種的配慮なんてないが故の傍若無人としか言い様がありませんが、受け手側も「まさかそうきたか」と喜ぶばかりというのが、本来の国際的エンタメの在り方。とはいえさすが「進路」はねぇ…
海外の政治的妥当性を受け入れれば、日本の漫画にも白人黒人黄色人種◯%ずつ出演させ、性自認の違う方々も同じように出せってことになりかねませんが。
— 弓月 光 (@h_yuzuki) 2021年12月25日
ワタシはそのような作品を描きたいとは思いませんし、そんな漫画でも読んでくださる方だけで十分です。 https://t.co/t79h0DoI0X
ワタシは漫画描きですので漫画での話になりますが、そもそも「海外で受ける漫画」なんてのは生まれた環境+宗教感覚がまるで違います(しかも各国で結構違うはず)ので、それにあったキャラクターなんて想像できません。受けるキャラ作れる日本の作家なんているのだろうか?
— 弓月 光 (@h_yuzuki) 2021年12月25日
結局日本で描いた漫画作品で海外でいい反応があったものを外に出す、って事くらいしか出来ないと思うのです。海外のために描く、というならそれこそ作家自身が海外に出ないとね〜
— 弓月 光 (@h_yuzuki) 2021年12月25日
ま、日本人相手に作った漫画アニメでも結構海外で受けるものは今までにもありましたけどね。
映画「チャーリー」で、「ヒトラーの映画なんて誰が見るんだ!」と罵倒されたとき、ロバート・ダウニー扮するチャップリンは「俺が観たいんだ‼️」と怒鳴り返す場面があります。
— 晴雨堂ミカエル 夢のために転職先を模索中。 (@seiudomichael) 2021年12月25日
それが創作者共通の思いでありメンタルです。
赤木某氏にはそれが解らない。
ネット上で知り合った黒人アカウントは「いっそ登場人物が全員日本人の方が、誰に自己投影するか好きに選べていい。その場に黒人を混ぜて「存分に自己投影して」といわれても、そいつは自分を投影するにはマイノリティ過ぎるんだ」と言ってました。岡本喜八版「大菩薩峠」もそうやって鑑賞したとか。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
そもそも岡本喜八版を選んでる時点で「日本人側が勝手に配慮しても無駄」という感じですね。こちらは差し出した何を選ぶか見て取って、次の一手を決めるだけです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
脚本を書いた橋本忍も「日本じゃ物凄い不評だったのに、何か大量に熱狂的な黒人ファンが出来た。どちらも狙ってやった事じゃなく、書きたい様に書いただけ」と言ってましたね。まぁそういうものかと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月26日
つまり視聴者の選択と多様性を奪う、と😅 https://t.co/Uer3GpOciG
— 弓月 光 (@h_yuzuki) 2021年12月30日
変に当てはめられたり用意されるより、視聴者は勝手に想像したいから余計なことはするなという話なんですかねぇ。 https://t.co/aSV5jX4kQb
— 御神苗雄@雑多意識低医系らいだー (つぶ餡研究所主席研究員) (@silvergriffin18) 2021年12月30日
要するにスターウォーズで「アジア人なんだからローズに自己投影しなさい」って言われたらどうよ?って話
— ヨシノヤさんていう同人屋さん (@tsunta_y) 2021年12月30日
俺なら腹を切る https://t.co/HIgvVGO7lv
普段人種で自己投影や共感はすることがないというか 性格や行動言動や集団における立ち位置や好きなものなど内面的な共鳴でキャラクターを見てるかもと思った
— 雨.ᵐᵖ³ (@amedotmp3) 2021年12月30日
そして…
これ、そもそもP-Funkが「爬虫人類の惑星でも、五本尻尾の種族が三本尻尾の種族を差別する」と歌った絶望感とか、POPアートのアンディー・ウォーホルが「もういっそ人類全員に何の違いもなければいいのに」と嘆いた大同主義についてどう考えるかという話の派生で出てきた話で…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
特に岡本喜八版「大菩薩峠( the Sword of Doom)」は「並大抵では到達不可能な理念」を体現した三船敏郎と「並大抵では到達不可能なそれからの逃避行」を体現した仲代達矢の狂気の中間にしか自己投影対象が見つからない事をどう考えるかが問題となったんです。https://t.co/3mCqwVTo7q
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
数学的表限では、人間は「(それ自体は到達不可能な)二つの極限の狭間に分布する開集合」Tと考える諦観に該当します。
日本では、橋本忍が「大菩薩峠」の世界観を(既存作品が築いてきた伝統的解釈を完全無視して)そう整理したから「こんなもの人類の良心が許さない」と徹底酷評されたのに対し、海外では(黒人だけに限らず多くの層に)「これほど人間が抱える宿業を簡潔にまとめた傑作はない」と拍手喝采されたという話。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
一応ソースは橋本忍「複眼の映像」
ちなみにこの岡本喜八版「大菩薩峠」、スターウォーズ新三部作の下敷きにされたという話があって(実際、だから机龍之介が新撰組に斬り掛かった様に、カイロ・レンがロイヤルガードに切り掛かったとしか思えない)、この場合三船敏郎=ルークスカイウォーカー=マーク・ハミルは動かないとして…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
この投稿でそれについて語ってます。
仲代達矢演じる「狂気の縁をさまよう剣士」をカイロ・レン(演アダム・ドライバー)とフィン(演ジョン・ボイエガ)をどう分業するのかが海外ネットでは盛り上がったのでした。そこにはそこにはもう「人種割り当て制の是非」なんて意識は微塵もなく、純粋に役者の演技力だけが問われたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
今なら当時口に出来なかった駄洒落が言える!! 実は「エンジェル ウォーズ(Sucker Punch,2011年)」におけるオスカー・アイザックの演技もキレッキレで、それで大抜擢となった訳ですが「ポー・ダメロンはダメロン!!」。ああ、すっきりした!!
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
全てが英語で流れていく海外サイトを覗いてて一番辛いのがこれ。日本語で思いついた駄洒落が披露出来ない!!
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
当然、アダム・ドライバーは当時から既に狂信的ファンに囲まれていいましたが、何しろ当時のボイエガといったら「Attack the Block(2011年)」の苦み走ったワルのイメージで、全然ヒケを取らなかったのです。https://t.co/YChWBs61h3
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
「ゴッドファーザー(これも黒人ファンが多い映画)」でソニーがマイケルに「お前、至近距離で人の頭に鉛玉を叩き込んだ事があるのか? 千切れた脳味噌がこっちにまで飛んでくるんだぜ」なるセリフを叩きつけた様に(とはいえマイケルも第二次世界大戦帰り)…https://t.co/wqh47ohg0z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
フィンがレンに向かって「お坊ちゃん、ワルぶっちゃいるが民間人虐殺に手を染めた事があるのか?俺はある。帝国軍洗脳下の一兵卒としてだったが、最低の体験だったにも関わらず、その時は精神の高揚を感じたもんだ。今お前が堕ちつつあるのはそっちの邪道だよ 」と言い放つ場面とか見たかった…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
今でも絶対国際的ニーズが見込めるくせに、スターウォーズ新三部作で実現出来なかった大ネタなので、誰かが実現してくれたら報われます。結局暴走リベラルはジョン・ミリアス監督オリヴァー・ストーン脚本映画「コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian,1982年)」の域までも及ばなかったのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
「コナン・ザ・グレート」で魔術師タルサドームを演じたR.R.ジョーンズはダース・ベーダーの中の人(声優)でもありました。漫画「ベルセルク」冒頭にも「コナン・ザ・グレート」オマージュ場面がありました。ダーク・ファンタジー文法のメインストリーム?https://t.co/fb6r9ifciC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
そして…
1960年代における仲代達矢といえば、国際的知名度こそ低いものの豊田四郎監督版「四谷怪談(1965年)」における「負けはしねぇ 首が飛んでも動いてみせるわ‼」の伊右衛門の演技もキレッキレです。https://t.co/LBXq2jQvQH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
「女性の目から見てセクシー過ぎる」と指摘される場面も目にしてきました。https://t.co/kFl7R1o0dc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
ギレルモ・デル・トロ監督映画「シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water,2017年)」に登場する「セクシー半魚人」も(「他人の顔」における)仲代達矢の目と(「七人の侍」における)三船敏郎の尻の装着によってそれを実現したという話がありますね。https://t.co/ceesrmdvyP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
こうした二世界の往復例としては「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(Captain America: Civil War,2016年)」で「跳ねっ返りの放蕩王子」が、父の死を通じて「王の顔」を獲得するまでを演じ切ったチャドウィック・ボーズマン(1976年~2020年)も忘れられません。https://t.co/wbbiviX4dM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
本当に惜しい人が夭折したものです。映画「ブラックパンサー(Black Panther,2018 )」はBlack Establishment(アメリカ黒人の1/4を占める中流以上)とPoor Black(残りの貧困層。アフリカ移民流入もあって生活が改善されない)の分断を外国人が手っ取り早く学ぶのに向いた入門編。https://t.co/I6P5ACHgmN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
「コナン・ザ・グレート」で到達不能、「ブラックパンサー」で「到達は可能だがそこから先を問われる」とされた「勝者を捉える(視野外に追い出された)高貴なるメランコリー(憂鬱)」なら「猿の惑星新三部作(2011年~2017年)」におけるサル側の首長シーザーも備えていました。https://t.co/uVVsXPr1HO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
こう考えると「配慮すべき役者」の範囲が人種を超えてヒト以外にまで広がってしまいますね。「結果としての平等」をあらかじめ用意しておく事など誰にも不可能で「機会の平等」の保障がそれをもたらす事を信じるしかない。その意味合いにおいてこうした考え方は信仰の一種と言えるかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月30日
この話が以下の投稿と直結してきます。
アメコミのヒーローに日本人が出てきたら、人種的にそのキャラに感情移入するかどうかという話。すでに「自分たち」が出てくる大量のフィクションを持ち合わせている日本人読者と、そうではない日系アメリカ人読者とでは、受け止め方も効果もぜんぜん違うだろうに…😑 ←何か見た
— 田亀源五郎 Gengoroh Tagame (@tagagen) 2021年12月28日
実例。
とにかく僕はずっとしつこく日系アメリカ人ヒーローMr.KATO(グリーンホーネットの相棒)のリブートを主張してるんですが。DCはマジで考えてくれんか。50年前のヒーローがキャラデザそのままでこんなにかっこいいのないぞ。ジョーカーと並んでアメコミ史上最もスタイリッシュなアイコンだと思う。 pic.twitter.com/Q0XjdcAtwa
— ジロウ (@jiro6663) 2021年4月1日
反響。
ニンジャスレイヤーみたいなのでも問題ないですかなあ。
— 相沢タツユキ (@Tatsuyuko) 2021年12月28日
面白ければなんでも
ヤッターでお馴染みのヒーローズのヒロ(マシ・オカ)はそのキャラクターがウケてたけど人種的に感情移入はしてないと思うんよなー。
— 876の住人 (@blood_876_ggg) 2021年12月29日
その辺を利用して持ち上げて「全ての民族が平等に尊ばれる五族共和の国です」とか喧伝されたり、日系です以外は魅力に乏しいキャラだったりすると、反感が前に出て来ますね。
— 天野譲二@『幻の未発売ゲームを追え!』発売中 (@TOKYOMEGAFORCE) 2021年12月28日
そういう例があったの?🤔
— 田亀源五郎 Gengoroh Tagame (@tagagen) 2021年12月28日
宇宙戦争で大阪人がトライポッドを倒したという情報が流れたシーンは笑いましたけどね。
— 井上立 (@DT5SripSrV3IH3E) 2021年12月29日
洋画は白人以外の活躍が目立ちつつある ストーリー的に
— mitsu (@stheno2010) 2021年12月29日
こういう展開もありました。
最近なんか多い高学歴の知的階級に所属するゲイの黒人みたいなのは、大勢の黒人からは共感しづらい、と。 https://t.co/J2KC6fKKK7
— 天宮 降矢 (@temple_in) 2021年12月31日
この黒人アカウント自体はBlack Esutablishment、すなわちアメリカ黒人全体の1/4を占める中流以上の一員って感じでしたね。彼らの味方をするという事は残り3/4を敵に回すという事でもある。それくらい分断が進んでるのがアメリカの病根なんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
これ他のコミュニティでもよくある問題で、私は密かに自分の中で「白エルフと黒エルフと同時に仲良く出来ない」問題と呼んでます。というかイメージ的には「白エルフ」を選ぶと「黒エルフ」が自明の場合として定まり「黒エルフ」と仲良くなる手段はない感じ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
ちなみにどのエスニック・グループでも貧困層は多かれ少なかれ男尊女卑的で(身障者を差別する)健康ファシストで、LGBTQA層に不寛容な傾向があるので、それにどれだけ我慢出来るかが選択の鍵になってくるところも(と「白エルフ派」の私は思う)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
アメリカでマルコムXや2パックが人種の差を超えてカリスマ視される様になったのって、単に貧困層出身者だからではなく、必死の勉強でその制約を乗り越えて真のインテリズムを獲得したからだったりして。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
そういう世界の住人からすれば、日本の日常アニメで(豪邸に住んでる)富裕層の娘と(賃貸アパート住まいの)貧困層の娘が一緒に仲良く遊んでる何気ない景色そのものが「決して辿り着けない奇跡の景色」に映る様です。まさに「ターミネーター2」のあの景色そのもの。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月31日
久し振りにTumbrを検索して気付いた。嘘だろ? ジャンキー御用達の「シャロちゃんのカフェインファイター」画像が全削除されてやがる…
この辺りは以下の話題との絡みも出てくる様です。
アメリカ人にとってアジア人は全部一緒くたにチャイニーズだが、日本人も白人を見れば英語話すと思ってるし、グアテマラ人とメキシコ人の区別もつかない。しかし日本人の場合は、間違ってしまったとわかると慌てたり、申し訳なく思うが、アメリカ人はそんなことはどうでもいいと思っている。ここが違う
— すけちゃん🇺🇸 (@AgingAnarchist) 2021年12月29日
アメリカ人には人種的には日本人もいるけどアメリカ人の日本人はここではアメリカ人なのか日本人なのかようわからん
— NeNe高台院豊臣吉子 (@koudaiin) 2021年12月29日
本当それですよねw アメリカ人じゃないですけど「whatever, ~」で終わらせられる事もままあります😂
— YURiKO (@BigSuicide) 2021年12月29日
まぁここらだと、中国人と韓国人が同じくらいの人口比らしいので、キムチの話題も時々出されてしまうっす。(*´-`)
— ロゼ@六神合体GM (@roze6gm) 2021年12月29日
違うって言っても無駄、一緒だろで終わらされる。
— CRISTALINE🇯🇵🇨🇵 (@sh29le) 2021年12月29日
それ
— すけちゃん🇺🇸 (@AgingAnarchist) 2021年12月29日
アメリカにおける人種問題、私はこういう風に考えています。
- 元来「黄色人種」なる全体集合がほとんど事実上空集合に過ぎない様に(とりあえず日本人と韓国人と中国人の例を挙げておく)、本来は「白人種」なる全体集合も事実上空集合に過ぎない(閉世界仮説の原則採用)
-
アメリカにおいて(禁酒法とヘイズコード問題とコミックコード問題で激しく争った)プロテスタント系旧移民(英国系、元アイルランド支配階層、北欧系、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国系上流ユダヤ人)とカソリック系新移民(元アイルランド被支配階層、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国系下流ユダヤ人)の合同があったのである(「白人の誕生」)。
-
ところが、かかる「白人による利権独占体制」の顕現は、それから除外された非白人(この2例に限るならネグロ系)を団結させ、抵抗者としての新たな共通アイデンティティまで獲得させてしまったのだった(黒人の誕生)。すなわちこの展開の要因は「白人側」がそれまでの暗黙の了解、「カイジ」の帝愛会長の言葉を借りるなら「本当に平等である必要はないが、不平等感を持たれては困る」統治原理を一方的に破ってしまった事に由来する。
アパルトヘイトに対しては、対象人種だけでなく、イギリス系よりもアフリカーナが公職でははっきり優遇されていたため、主にイギリス系の白人の多くから反発があった。しかし、アパルトヘイトにより黒人を搾取することで白人両民族が経済成長を達成し、民族間対立が目に見えて緩和されてくるとイギリス系の多くも積極的に国民党とアパルトヘイトを支持するように変化していった。これに対し、一部のリベラル白人は、進歩連邦党を結成しヘレン・スズマンなどの議員を中心として反アパルトヘイト活動を継続した。
実業界は、アパルトヘイトに対しては微温的な対応に終始した。アパルトヘイトによって高価な白人労働力を使用せざるを得ず、経済制裁によって市場がかなり損なわれてはいるとはいえ、一方で黒人の単純労働力を安価に使用できるメリットは大きかった。また国民党はアフリカーナー労働者と農民を支持基盤とした政党であり、資本家はさほど党に対して力を持っているわけではなく、また経営者自身も白人であったためである。熟練労働者の確保が難しくなった工業界が改革をしばしば要求したが、アパルトヘイトの枠内からはみ出ることはなかった。
こうして南アフリカの工業化は遅れ、農業立国状態からの脱却が困難となる。
1955年12月1日にアラバマ州モンゴメリーで、黒人女性のローザ・パークスが公営バスの「黒人専用席」に座っていたにもかかわらず席のない白人が席を譲るように促したが譲らなかったため運転手に譲るように言ってくれと頼み、白人の運転手のジェイムズ・ブレイクが白人客に席を譲るよう命じたが、パークスがこれを拒否したため「人種分離法」違反で警察官に逮捕され投獄、後にモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される事件が起きた。
この事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師らがモンゴメリー市民に対して、1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動を展開した。この呼びかけに対して、黒人のみならず運動の意義に共感する他の有色人種、さらには白人までもがボイコットに参加し、後にこの運動は「モンゴメリー・バス・ボイコット」と呼ばれることとなる。
この運動は全米に大きな反響を呼び1956年には、合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離(=白人専用および優先座席設定)」を違憲とする判決を出すと、アラバマ州をはじめとする南部諸州各地で黒人の反人種差別運動が盛り上がりを見せた。
これらの反人種差別運動は、アメリカにおいてこれまで「人種分離法」の下で人種分離、および人種差別を受け続けていた黒人をはじめとする有色人種が、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、「公民権運動(Civil Rights Movement)」と呼ばれるようになった。
まさしく「負のイプシロンデルタ論法」。辛うじて「人種分離」までは社会的合意が得られたのに「(挙国一致体制によるプロテスタント系旧移民とカソリック系新移民の合議の結果誕生したばかりの)白人」側が一方的に踏み込んできてそれを打ち壊した事から「黒人側の団結しての抵抗」が始まってしまったという訳である。
-
面倒臭いので新たな表象を立てたりする。
そして…
見せ方によっては国籍を問わず感情移入しますよね。
— ぱーかあ (@MDKMG) 2021年12月28日
何しろ私らは、
指輪見てガンダルフに
スタトレ見てスポックに
SWを見てR2D2に
アルジャーノンに花束を見てネズミに
感情移入する位だからね。国籍どころか星籍・異星人・動物…ましてや非生物にさえだ。 https://t.co/j5tI9XpcGv
無機物までもをカップリングするBL文化が育った我が国は最強ですw
— Nishi, Eiichi💉💉 (@Zugan) 2021年12月28日
宝石・貴石とかロボットとか建造物なんでも擬人化・カップリングというかwww
— ぱーかあ (@MDKMG) 2021年12月28日
なんと数式・定理・法則すらwww
「モノ」として存在しないものまで擬人化
— ファジィ (@Fuzzymeganezuki) 2021年12月29日
数式なんてものもあるのか…
国や県くらいまでなら知っていたがw
#数学擬人化 タグがあるというwww
— ぱーかあ (@MDKMG) 2021年12月29日
三角関数の擬人化https://t.co/Dxhp99p73A
タンジェントの擬人化https://t.co/TIkuj5kVDC
タンジェンたんwww
— ファジィ (@Fuzzymeganezuki) 2021年12月29日
いつも使ってると可愛く見えるのか!
意外と周期的に吹っ飛んでいくのが愛されるとかww
— ぱーかあ (@MDKMG) 2021年12月29日
吹っ飛んでいくwww
— ファジィ (@Fuzzymeganezuki) 2021年12月29日
そして…
それより「Big Hero 6」が元来「滅ぼされたアイヌ民族の亡霊使いをメンバーに含むヒーローが広島の原爆の死者の怨霊と戦う話」だった事について、日本人としてどう気持ちの整理をつけていいかが悩みです。怪獣の着ぐるみやナノマシンに置き換えれば済む話でもない気が。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
映画版の内容しか知りませんでしたが、そりゃまたずいぶんデリケートな題材だったんですね…😲
— 田亀源五郎 Gengoroh Tagame (@tagagen) 2021年12月28日
責任を追求したいというより「どういうマーケティングがそれを産んでしまったか?」に関心があるんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
マーケティングの結果なのか、当事者性のうすさ故の悪い意味での無邪気さが生んだものなのかも。
— 田亀源五郎 Gengoroh Tagame (@tagagen) 2021年12月28日
はっと。もしかしたら映画「ブラックレイン」ヒットの影響? ちょっと時系列についての記憶があやふやですが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
初出は「サンファイアとビッグ・ヒーロー・シックス(Sunfire & Big Hero 6,1998年)」で、このときのメンバーは1970年からX-MENのひとりとしてマーベルコミックで活躍していた日本人スーパーヒーロー、サンファイアを加えた計6人だった。
彼の母親は広島の原爆で被爆し、四郎はこのときの胎内被曝によってミュータント能力を得た。彼の父親・三郎は親米的な外交官であった。母親は彼が幼いうちに死去し、四郎は職務に忙殺される父親ではなく、強硬な反米活動家だった叔父・トモに育てられた。トモに影響された四郎は原爆を投下し、彼から母を奪ったアメリカを激しく憎むようになった。
反米的な超人テロリストとしてサンファイアを名乗った四郎は、米国連邦議会議事堂に対して単独攻撃を行い、X-メンと戦った。その戦いの最中、四郎はトモが三郎を殺害する現場を目撃してしまう。自らが囮として使われたこと、心酔していたトモが卑劣な殺人者であったことを知って動転した四郎は、火炎ブラストでトモを殺害。最後には降伏し、自ら投降した。
数ヵ月後、X-メンの指導者・プロフェッサーXは、島ひとつが丸ごと生きているミュータント・クラコア島に捕らわれたX-メンを救出するために新しいミュータントチームを編成することとなった。四郎はその一員に徴用された(Giant-Sized X-Men #1)。サンファイアを含む新たなミュータント・チームは、X-メン救出ミッションに成功する。しかし、その短気な性格が災いして、サンファイアがX-メンの恒久的なメンバーに組み入れられることはなく、四郎は日本に戻ることになった。その後もサンファイアは、いくつかのタイトルに散発的に登場するが、そこでも彼の短気さが原因となって他のヒーローと対立する構図をとることが多かった。
それまでの経歴はさておき、サンファイアは日本の国家的英雄とされてきた。しかし、マグニートーが世界中に強力な電磁パルスをばら撒いた事件の際、彼は自分のミュータント能力の制御を失い、爆発炎上した。そんな彼の姿は、国民の誤解を招き、日本国内にパニックを引き起こした。事態を重く見た日本政府はサンファイアを逮捕・拘束し、彼の核エネルギーを放出する能力が減衰するまで監禁することとした。サンファイアの監禁場所はシルバーサムライによって発見され、シルバーサムライとウルヴァリンの手によってサンファイアは解放された。ウルヴァリンは彼を、カナダ政府のミュータント研究機関であるデパートメントHに匿うことにした。
不安定なミュータント能力を制御するための訓練を続けるサンファイアだったが、彼は自分の能力が、自分自身の肉体に悪性の放射線障害を引き起こし、それが彼を蝕んでいることに気付いた。この悪性疾患の最初の徴候は、黒いしみとして彼の体の右側に現れた。この漆黒のしみは彼の右半身全てを覆うようになり、サンファイアの生命はもはや風前の灯と思われた。死を覚悟したサンファイアは、生涯の最後の日々を故郷・日本で過ごすことに決めた。そんな彼を日本で迎えたのは、ギリ・インダストリアル・コーポレーションと新たなヒーロー・チーム「ビッグ・ヒーロー・シックス」であった。
物語の設定は、「広島と長崎への原爆投下によって被害を受けた日本は核兵器を廃絶し、その代わりに自国を守る手段として超能力を持つ人間を集め、ビッグ・ヒーロー・シックスを結成した」というもの。シリーズはあまり人気とならず、連載も1年と続かなかったが、マーベルを買収したディズニーがマーベルコミックスの初のディズニーアニメ化に際し、あまり人に知られていないユニークな作品を探していたことから当作品が選ばれ、少年と介護ロボットの友情物語に改変され、2014年に『ベイマックス(邦題)』としてアニメ映画化された。
「ビックヒーロー6」のメンバーフレッド (Fred)
「ビックヒーロー6」のヴィランエヴァーレイス (Everwraith)
幽霊のように半ば実態のない姿をもつ敵。通常の攻撃ではその身体を傷つけることができない。テレポートと飛行能力を有する。核エネルギーを吸収し、ネクロプラズミック・ブラストを放射する。エヴァーレイスは、第二次世界大戦における広島と長崎の原爆で死亡した犠牲者の残留アストラル体の悪しき顕現である。エヴァーレイスは誕生してから数十年、日本人を大量虐殺した米国に対する復讐を計画し続けた。しかし、戦争の記憶とともに核の記憶が日本人から薄れ始めると、エヴァーレイスの存在そのものが弱まり始めた。彼は、自らが愛する国ニッポンが、究極の愛国者たる自分に背を向けたと思い、日本の文化を彼/彼らが死ぬ以前の姿に戻したいと望んだ。彼は、核による大虐殺こそが日本に経済的かつ技術的な優越性をもたらしたとして、日本が現在の惰弱さから抜け出して再発展するためには再び日本を核の炎で焼く必要があると狂信し、そのためにサンファイアのミュータント能力を悪用しようと画策した。ビッグ・ヒーロー・シックスの活躍で彼の暴走は食い止められ、サンファイアの怒りの炎で焼き尽くされたエヴァーレイスは今度こそ本当の死を迎えた。
どうやら「フレッドの力の源は絶滅した祖霊かも?」は海外サイトに散見される俗説に過ぎず「その謎の解明は不人気による打ち切りによって作中で明かされなかった」が真相の様です。
Originally in Marvel Comics, Fred was a descendant of the Ainu, grew up in a S.H.I.E.L.D. base in Japan, and was the last member to join the Big Hero 6 team. He had the ability to summon a giant dinosaur aura, but the origin of this power was a mystery. Yet, due to it he was given the codename "Fredzilla", although he actually disliked being called that.
マーベル・コミックに登場するフレッドはアイヌの子孫で、日本のシールド基地で育ち、ビッグ・ヒーロー6に参加した最後のメンバーであった。巨大な恐竜のオーラを呼び出す能力を持つが、その力の源は謎に包まれていた。そのため「フレジラ」というコードネームを与えられたが、本人はそう呼ばれることを嫌っていた。
「ゴジラ」が発想の源にある様ですが、あるいは民衆の呼び掛けで覚醒する「大魔神」映画、さらに遡ってユダヤ民族の呼び掛けで覚醒する「ゴーレム」映画辺りが発想の源だった可能性がある?
「ゴーレム(Der Golem)」は、1915年に公開されたドイツのサイレント・ホラー映画。現存しているのは一部のみ。監督・主演のパウル・ヴェゲナーはグスタフ・マイリンクの同名小説が原作だと主張しているが、ユダヤ教に伝わるゴーレム伝説のうち、最も知られている16世紀のイェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルの逸話(反ユダヤ主義から人々を守るためゴーレムを作ったと言われる)から想を得たものと思われる。
「巨人ゴーレム(Der Golem, wie er in die Welt kam,1920年)」初期ドイツ表現主義を代表する無声ホラー映画。
ヴェゲナー、監督は1915年版の話の運びに不満を持っていた。制作の都合で妥協したからである。そんな折『プラーグの大学生』撮影中に、プラハで語り継がれていたゴーレム伝説を聞くことができ、それをそのまま描こうと考えた。そして完成したのがこの映画である。
3本のゴーレム映画の中で唯一現存する映画でもあり後の幻想映画、とくに「フランケンシュタイン(1931年)」、日本の「大魔神(1966年)」に大きな影響を与えた。
あらすじ
中世のプラハ。ユダヤ人ゲットーで長老のラビ・レーフは星占いにより、まもなく町にふりかかる災難を予知する。
その予知は不幸にも現実のものとなる。皇帝がゲットーからユダヤ人を追放することに決め、騎士フロリアンを使者として派遣したのだ。
ラビ・レーフは民衆を守るため、巨大な泥人形ゴーレムを作り、生命を吹き込む。ラビ・レーフはゴーレムを宮廷に連れていく。ゴーレムの力を目の当たりにした皇帝は考えを改め、命令を取り消す。
しかし、ラビの助手がゴーレムを悪用。ゴーレムが暴走する。
ゴーレムは町外れで純真無垢な幼い少女と出会う。ゴーレムは暴れることをやめ、少女を抱きあげる。少女は邪心なく、ゴーレムの胸にあったダビデの星を抜き取る。その瞬間、ゴーレムは元の泥人形に戻ってしまう。
この辺りはそのうちもっと調べ込む必要がありそうです。
下リプで言われてある通り、内容のどうこうは脇に置いて
— HAL-system (@2206fzfz) 2021年12月29日
「どっからそんなプロットが湧いて出た?🤔」
と思ったのが正直な感想。😅
しかも「ベイマックス」派生ですよねアレ。まぁ「心を護る」から派生出来ん事も無かろうが・・・どうオチ付ける気だったんだろ。💦💦💦 https://t.co/513WXdblQ9
情報量が多い😓 https://t.co/n1M4g1CLl0
— Hitomi (@hbT6tFsPl8Ls2EG) 2021年12月29日
— .。.𝓕𝓲𝓸𝓷𝓪.。.🎌 (@fionanotane) 2021年12月28日
そして…
人種規制といえばある時期「何をやるのも極端な」ドイツさんが「実物アイドル、玩具問わず三人娘はすべからずトルコ系、ブルネットの白人、ナイスバディながら頭の悪い金髪娘でなければならない」なんて規制を敷いて関連産業全てを壊滅させた事がありました。迂闊に手を出さない方が賢明だと思います。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
「金髪娘は美貌でナイスバディだが頭が弱そうに見えなければならない」なんて「ナチスの人種的優越主義の裏返し」まで押し付けられたら、そりゃもう創作意欲なんてイチコロですわ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
2000年代前半の話。当時のライバルはハンナ・バーベラ・プロダクション(Hanna-Barbera,1957年~2001年)の創始した「パワーパフガールズ(The Powerpuff Girls,最初のアニメ化1997年~2005年)」とか…
ディズニー制作の「キム・ポッシブル(Kim Possible,初アニメ化2002年~2005年)」辺り。
そりゃあ勝ち目がある筈もなく見事に蹂躙され尽くし跡形もなく消え去っていったという訳ですね。
「ドイツ3人娘」の話がちょっと伸びているので、当のドイツ人による解説を付け加えておきましょう。実はこのレギュレーション「ドイツ民族的いやらしさ」に満ちているのだそう。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
①トルコ系を加えるくせに、実際には別にトルコ系のドイツ帰化を支持する訳じゃない。というより、だからこそ玩具などの分野でせめてもの懐柔が計画された。②ブルネットはドイツ人に一番多い髪色なので金髪でも「ナイスバディで頭が悪い」という自認がなければこちらが自己投影対象となる。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
③「ナイスバディは頭が悪い」は女性も抱いてる偏見。時期的には2010年代前半で、ドイツ女児向け玩具業界としては、そもそも海外のパワーパフガールやらレディバグの様な強力コンテンツに勝てる見込みがなく、せめて奨励金とか対外評価を勝ち取ろうとして手を出したに過ぎなかったとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
改めて補足しておくと2000年代前半の話です。
実態としては、とある年の玩具見本市の各社ブースで該当製品を見掛けたものの、それっきりひっそり消えていった感じでした。だから「壊滅」といってもそれほど大きな被害ではなかったとも。芸能界がこの運動にどう巻き込まれたかまでは、正直未確認。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
これについても機会があったら改めて調べ込んでみたいと思います。当時はあくまで傍観者の一人として目撃したに過ぎないのです。
ディズニー映画「プリンセスと魔法のキス」についても「主人公の黒人少女をを引き立てる為、白人を馬鹿に描くのが鼻につく」という意見がありました。アメリカもアメリカで極端から極端に走る傾向が。「ブラックパンサー」が「英国映画」007シリーズを下敷きにしたのもある種の皮肉という。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
「プリンセスと魔法のキス(The Princess and the Frog,2009年)」
幼なじみのシャーロット(Charlotte)
そう「頭の悪そうな金髪ナイスバディ」が同性から鼻持ちならない印象を持たれるのは概ね彼女が「金持ちの娘」なる先入観もあっての話なのですね。そしてその感情は、彼女が(その恵まれた環境ゆえに)自ら努力しなくても(周囲の支援で)勝手にハッピーエンドを迎える時、憎悪へと昇華される事も。例えば「眠れる森の美女(Sleeping Beauty, 1959年)」のオーロラ姫(Princess Aurora/Briar Rose)…
そして「レ・ミゼラブル(Les Misérables,2012年)」のコゼット(Cosette)なのです。こぞって「フランス系」なのは、どうやら偶然でない模様…
ヒッピー運動と黒人公民権運動が一定の成果を収めて既存白人リベラル秩序が崩壊した1970年代のハリウッド映画が「黒人最優先の」黒人搾取映画や「アジア人最優先の」カンフー映画しか供給しなかったのに対して…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
「カリブ大好きおじさん」イアン・フレミングの007シリーズでは普通に白人と黒人が普通に対等の存在として登場して仲良く殺し合ってたばかりか、ついでにジャマイカ音楽を世界に紹介して黒人の価値を国際的に高めるのに貢献した訳です。要するにどうしようもないほど遅れてたのはアメリカ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
プリンスがライブで「007殺しのテーマ」の一節を奏で「我々はこの恩を忘れない」と述べた事もありました。実はアメリカが致命的に遅れていただけなので「子供番組で黒人音楽が流れるのを必死に防いできたがジャクソン5登場で陥落」なる感動エピソードも…https://t.co/O5vmDGZHrf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
それ以前から子供番組でガンガン黒人音楽を聞かされて育ってきた日本人には何の事か分からなかったのです。まぁ「魔法使いサリーちゃん」のディキシーランド調…https://t.co/g9D1KHZMED
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
妖怪人間ベムのダーク調…https://t.co/JDJeYa3ffw
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
ファンクあたりはほぼ同時代移入。「ひみつのアッコちゃん」ED…https://t.co/I4KXuT6LcE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
「できるかな」OP…https://t.co/WvZYrunObF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
「カリキュラマシーン」OP…https://t.co/KBISNkxcTn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
まぁ英国同様「黒人に特別な差別意識を持たず、その音楽の気に入った部分を貪欲に取り入れていったらこうなった」というだけの話。一方同じ事を「こっそり」やって「白人が発明した」様に見せ掛けようとしたのがハードロックやプログレの「文化登用面」という次第。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
ここで面白いのが、黒人が「白人の文化盗用」に嫌気が差してこういう「スタンダード黒人音楽」路線を切り捨てると、日本人音楽家も「それが最新のトレンド」と考えて一緒にやめてしまう事。まぁ今更その「文化盗用面」を蒸し返して反省しようにも…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
各ジャンルとも当時の判断を完全に血肉にしちゃってさらなる進歩を遂げてきたので詮ないだけな訳ですが…こうして全体像を俯瞰してみるとますます「白人リベラリズムの暴走」がいかに無茶苦茶なものか分かろうというものという話です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
吹っ切った例として著名なのが「デビルマン(1972年~1973年)」に続いてマカロニウェスタン調全開の主題歌が仕上がってきた時、東映のプロデューサーから「新しさがない」と突っ返されて作曲家が1日で「マジンガーZ(1973年~1974年)」主題歌…
そして洋楽導入を主導してきた小林亜星が突如異次元ポケットから取り出した「科学忍者隊ガッチャマン(1972年~1974年)」主題歌。
この頃から黒人音楽は子供番組に相応しくないエロエロ路線に踏み込んでいくので、それと袂を分かつ必要が生じた事も忘れてはいけません。
1970年代当時「白人に真似された部分はどんどん切り捨てていく」黒人音楽がジャクソン5やナイル・ロジャースのシックに辿り着く流れを導いた黒人メンタリティについては、意外にも本田勝一「アメリカ合州国」や司馬遼太郎「アメリカ素描」みたいな音楽と無関係の当時の著作が的確に捉えてたりします。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月28日
一方、どうして当時の日本の子供文化主題歌が、海外最新音楽導入の最前線となってしまったかというと、その背景に「沈み始めた映画業界」と「登り調子のTV業界」の党争があったのです。「一才の人材をTVに回すな」「一才の音源をTVに回すな」と画策する映画業界に対し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
TV側は「ジャズ喫茶にたむろってる様な破落戸」を抜擢し(こうしてクレージーキャッツやドリフターズが世に出る)、「大人の娯楽を独占してきた」映画界の隙間を突いて子供番組に力を入れる戦略を採用したのです(そして覚醒した小林亜星が狂った様なファンキーキーボードを演奏する展開に)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
日本のレビュウの源流はふたつあって、ひとつはパリのレビュウショウ、もうひとつはフレッド・アステアのレビュウ映画です。とくに戦前の日本人を、いや世界中の人々を熱狂させたのが、数々のフレッド・アステアのレビュウ映画で、後世にも多大な影響を残しました。
こういう話も後世にはなかなか伝わらないものです。
ハリウッド側が英国にカラー怪奇映画、日本にカラー怪獣映画を外注する一方、本国のカラー化資源をスペクタクル史劇やミュージカル映画に集中したのに対し、日本のTV側が「シャボン玉ホリデー」みたいな米国流極上エンターテイメントを目指す興味深い番狂わせもありました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
そしてもう一つの戦線となったのが「グループサウンド上陸」で、こちらでは映画業界の音源独占に対抗する為に「偽洋楽作戦」が遂行されています。例えば「涙の太陽」。日本に何十年も住んでる英国人女性歌手に「原曲」を歌わせて、それをライセンスして翻訳した形にしてこの著作権独占環境を突破。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
ブルーコメッツもこの「偽洋楽を輸入する手口」で箔をつけてデビューした形。それでは当時のリベラルは何をしていたかというとグループ・サウンド上陸に刺激され「エレキギター禁止令」を出し、共石CM「オーモーレツ」を取り上げた永井豪「ハレンチ学園」を叩いていました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
そもそも「(ジャズやファンクの様な)黒人音楽」と「マカロニウェスタン」と「グループサウンズ」を同時摂取した結果、日本のこの手の音楽はかえってオリジンがどれか判らない状態に。そう「納豆ピザ」はもはやイタリア料理ではない様に。
せめて当時、こうした動きの背景に映画界とTV界の覇権争いがあった事に思い当たっていれば、ここまでその振る舞いが現実との相関係数が限りなくゼロに近い支離滅裂な脊髄反射反応の連続になっていなかったと思います。しかし相手は「なまじ資本論なんて読むとマルクス主義の本質を見失ってしまう…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
1行の読んでない、機会があっても読もうとしない我々こそが真の本質的理解者」なんぞと豪語するタイプ。その事を指摘されても「引っ掛かったな。そんな些事に拘ってる辺りこそお前がこの件の本質を理解してない動かぬ証拠なのだ」と「反論」され「論破」されてしまうのがオチでしょう。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
×1行の読んでない○1行も読んでない。
今も昔もリベラルとはそういう存在で、なので何故最近になって急に評判が落ちたかも分かってない模様です。そして「代わってしまったのは奴等の方だ。それも悪い方に。一刻も早く彼らの性根を治さねばまた日本にナチスが再来してしまう」とか言い出す様です。現実問題との相関係数0。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
まさしく「頭の悪い金髪美人」の放つブルジョワ臭そのもの…
それはそれでこれまでの話におかしなところがあった事に気づきませんでしたか?そう、千葉真一のデビュー作は子供向けTV番組「アラーの使者」で「東映魔女っ子シリーズ」なのです。てっきり「映画業界vsTV業界」の図式かと思ってたら、何故か東映がTV側のキーマンとして現れてくるのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
この辺りが「仁義なき日本沈没」といった当時の映画史を振り返る解説本で東映がボロクソ書かれる主要因となってきます。そう東映はただ単にデビルマンを製作した会社だっただけでなく、自らが「裏切り者の名を帯びて全てを捨てて戦う」デビルマン的存在だったのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
そして(ここでいうデーモン族に当たる)日活や大映のピンク・バイオレンス系人材を引き抜き、深作欣二監督を抜擢し「仁義なき戦い」シリーズを興行的成功に導いたのでしす。ところでこうした歴史、一言で要約すると「誰に対する誰の差別」だった事になるのでしょう?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
現実の歴史はそう簡単にそういう風には要約出来ないという話。それはそれとして「滅亡したアイヌ民族を召喚して戦うヒーロー」という発想の元ネタの方がどうしても分かりません。諸星大次郎作品や白土三平作品あたりに、何かそれらしきエピソードってありましたっけ?(前者にサンカ辺りまでは登場)
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
当時でアイヌというと真っ先に脳裏に浮かぶのが矢口高雄「マタギ伝」ですが、いかんせん「アイヌ」は借り物で、アメコミ界に元ネタとなったインディアンの精霊使いが存在する可能性も捨て切れないという。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
あと「白人の文化盗用」については、イスラム文化圏が欧州文明より先進的だった時代、トマス・アクィナスがアラビア語文献を参照しつつ「異教徒の異国語文献など欧州人はアイディア盗み放題」みたいな事を書いてるのが一つの典型例で…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
時代
トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。
トマスは、このような時代背景の下、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナやアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた。また、トマスは、同様に、アビケブロンのみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった。トマスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。
思想
トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学の総合的体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている。
トマスはアヴィケンナやアヴェロエス、アビケブロン、マイモニデスなどの多くのアラブやユダヤの哲学者たちの著作を読んで研究し、その著作においても度々触れている。そこから、トマスは単なる折衷家にすぎないとの見方も根強いものがあったが、現在では、「存在」(エッセ)の形而上学がトマス的総合の核心であり、彼独自の思想である点に見解の一致があり、その存在をどのように解釈するかによって様々な立場に分かれるとされている。
全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。
トマスの思想は、その死後もトマス主義として脈々と受け継がれ、近代の自然法論や国際法理論や立憲君主制にも多大な影響を与えただけでなく、19世紀末におきた新トマス主義に基づく復興を経て現代にも受け継がれている。
天人相関説の部分復活
アリストテレス自然哲学による二元的宇宙像は、地上界の出来事には必然的に天上界が作用するという考え方の基本となった。この考え方には、「地上界のあらゆる出来事は天上界の動きによって予め決まっている」と考える運命決定論と、逆に「天上界の運行がわかれば未来を予測できる」と考える占星術が含まれていた。この「自然が自身の法則性にのっとって自律的に振る舞う」という古代ギリシャ自然哲学の世界観は神による奇蹟を認めるキリスト教はとは相容れなかった。
キリスト教会は、400年の第1トレド教会会議で占星術の排斥を決議し、さらに561年の第1プラガ教会会議でも占星術を公式に否定した。その後、ヨーロッパでは、古代ギリシャ哲学の書物はイスラム圏に流出したもの以外は教会の書庫の奥に眠ることとなり、その内容は次第に忘れ去られていった。
ところが12世紀ルネサンスの過程で、イスラム圏からの流入によって、ヨーロッパの知識人たちはアリストテレス自然哲学を知ることになる。そしてアリストテレス自然哲学が大学で教育され西欧の知識階級に浸透してゆく過程で、二元的宇宙像とそれに基づく占星術は一般の人々を広く魅了して浸透していった。キリスト教は、一方的な禁止や弾圧ではアリストテレス自然哲学を抑えきれなくなっていった。トマスはその危機に直面したキリスト教神学を救った。
問題は「アリストテレスの二元的宇宙像では天上界が地上界のどこまで影響を及ぼすのか」ということだった。トマスは、「物体としての天体は物体としての人間の身体には作用するが、非物体としての人間精神や意志には直接作用することはない。」と解釈してキリスト教神学とアリストテレスの自然哲学を調停した。彼の神学思想は、死後一時異端と判断されたが、1322年に復権してキリスト教世界で公式に認められ、14世紀中期に正統神学の地位を確立した。
一方で、トマスのおかげで、アリストテレスなどによる古代ギリシャ自然哲学は公に研究できるようになった。これによるアリストテレス自然哲学などの研究は、17世紀のいわゆる「科学革命」へとつながっていった。
とはいえ当時欧州人が参照したアラビア哲学がイスラム圏で滅んだ結果、欧州にだけ残ってるケースとかも視野に入れないといけません。まぁ何もかもがぱっと見で思いつくほど単純ではないのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月29日
そんな感じで以下続報…