諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】人種問題は難しい…

とりあえず、次に使う為のメモ。

f:id:ochimusha01:20220102072705p:plain

そもそも日本人は「パズドラ(2012年~)」のバステトが黒人コミュニティに引き起こした動揺を知りません。

まぁ背後にある「ブラックファラオ問題=ヌビア人はそれぞれの時代一体何者だったか?」という問題意識がないからこれは仕方のない事なのです。

  • 大元の先住民は(他にはヒマラヤ山岳地帯や日本の様な島嶼地帯にしか残らなかった)古モンロイド系のだったと推測されている(現代人に残る遺伝子レベルでの確認)。ただし石器時代にこの土に遺跡を残しているのはあくまで黒人種である。

  • 岩塩と砂金を交換するサハラ砂漠交易とナイル川流域文明の接点」にして、様々な鉱物を産した事から、古代にはミケーネ文明古代エジプト文明ギリシャ文明と密接な関係を構築し人種的アイデンティティが訳の分からない事になる。ただし中継貿易要素が根強かった事から、おそらくアフリカ深部からの黒人流入開始はヘレニズム時代(Hellenistic period,アレクサンドロスが死亡した紀元前323年~プトレマイオス朝エジプトが滅亡した紀元前30年)以降。この時期に入ると首長墓からネグロイド系遺伝子とギリシャ系遺伝子を併せ持つ遺骨が発掘されたりする。要するにいわゆるブラック・ファラオが人種的にどういう人々であったかは今日なお謎のまま。

  • zイスラム文明勃興後はアラビア商人の流入が激しくこれが地域アイデンティティとなるが、とめどなく黒人が流入し続け、人種的には黒人に分類される様になって今に至る。

こうした経緯から「ヌビアで祀られていた辺境と鉱物の神ハトホル」や「ナイル河中流域以上で祀られていたその荒々しさの化身セクメト」から「蛮人を音楽の力で懐柔し従える効能」を抽出した猫神バステトを(同じ古モンゴロイドの遺伝子を継承する)日本人がアジア的風貌に描いても何ら差し支えない。これが本当の国際文化交流で、適切な群同型に到達する為にひたすら教養を求め続けられるのです。単に多人種を揃えたら合格って訳でもありません。

まぁ流石に「そこからの金髪化」ってのは同じ日本人でも訳がわかりませんが…

f:id:ochimusha01:20220102081714p:plain

Overwitchで人気を博したのもあくまで「黒人女性」ではなく「バステト」だったのです。日本神話で言うと「木花咲耶姫」とか、そういった等級? こちらはこちらでさらにゲイ設定が付加されて訳の分からない事に。f:id:ochimusha01:20190226130107g:plain

なまじ人種的配慮なんてないが故の傍若無人としか言い様がありませんが、受け手側も「まさかそうきたか」と喜ぶばかりというのが、本来の国際的エンタメの在り方。とはいえさすが「進路」はねぇ…

そして…

数学的表限では、人間は「(それ自体は到達不可能な)二つの極限の狭間に分布する開集合」Tと考える諦観に該当します。

一応ソースは橋本忍複眼の映像

この投稿でそれについて語ってます。

https://64.media.tumblr.com/78149d7703765f050216ce6e04b832e4/77e70cd646d4cfc6-e8/s400x600/417f20ad7bc918d88ceea978319a03a2d49d99c1.gifv

https://64.media.tumblr.com/3fce7b9448efc570f45faf8c8eb866b9/77e70cd646d4cfc6-98/s400x600/3547eec490f98de987d52a09f786a2b50c4d2d17.gifv

https://64.media.tumblr.com/4717ebd7f754aa1eef8d6a1725e50489/ced21a8b88fc1541-33/s540x810/b3ab7ee2fa317ad2fd798f7be9c084df70fd77b0.gifv

https://64.media.tumblr.com/d47fa5b75ebd475643bd400e29cee8e6/b577cf9c794e489f-32/s400x600/a74b06c97fc6215e62e256a0a70e1f4dc885c545.gifv

そして…

この話が以下の投稿と直結してきます。

実例。

反響。

大阪人はどうやってトライポッドを倒したのか

こういう展開もありました。

f:id:ochimusha01:20220102085347p:plain

久し振りにTumbrを検索して気付いた。嘘だろ? ジャンキー御用達の「シャロちゃんのカフェインファイター」画像が全削除されてやがる…

この辺りは以下の話題との絡みも出てくる様です。

アメリカにおける人種問題、私はこういう風に考えています。

  • 元来「黄色人種」なる全体集合がほとんど事実上空集合に過ぎない様に(とりあえず日本人と韓国人と中国人の例を挙げておく)、本来は「白人種」なる全体集合も事実上空集合に過ぎない(閉世界仮説の原則採用)

  • ところが20世紀後半には南アフリカにおいて(ボーア戦争で激しく争った)英国系移民オランダ系移民が…

  • アメリカにおいて(禁酒法とヘイズコード問題とコミックコード問題で激しく争った)プロテスタント系旧移民(英国系、元アイルランド支配階層、北欧系、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国系上流ユダヤ)とカソリック系新移民(アイルランド被支配階層、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国系下流ユダヤ)の合同があったのである(「白人の誕生」)。

  • ところが、かかる「白人による利権独占体制」の顕現は、それから除外された非白人(この2例に限るならネグロ系)を団結させ、抵抗者としての新たな共通アイデンティティまで獲得させてしまったのだった(黒人の誕生)。すなわちこの展開の要因は「白人側」がそれまでの暗黙の了解、「カイジ」の帝愛会長の言葉を借りるなら「本当に平等である必要はないが、不平等感を持たれては困る」統治原理を一方的に破ってしまった事に由来する。

    アパルトヘイトに対しては、対象人種だけでなく、イギリス系よりもアフリカーナが公職でははっきり優遇されていたため、主にイギリス系の白人の多くから反発があった。しかし、アパルトヘイトにより黒人を搾取することで白人両民族が経済成長を達成し、民族間対立が目に見えて緩和されてくるとイギリス系の多くも積極的に国民党とアパルトヘイトを支持するように変化していった。これに対し、一部のリベラル白人は、進歩連邦党を結成しヘレン・スズマンなどの議員を中心として反アパルトヘイト活動を継続した。

    実業界は、アパルトヘイトに対しては微温的な対応に終始した。アパルトヘイトによって高価な白人労働力を使用せざるを得ず、経済制裁によって市場がかなり損なわれてはいるとはいえ、一方で黒人の単純労働力を安価に使用できるメリットは大きかった。また国民党はアフリカーナー労働者と農民を支持基盤とした政党であり、資本家はさほど党に対して力を持っているわけではなく、また経営者自身も白人であったためである。熟練労働者の確保が難しくなった工業界が改革をしばしば要求したが、アパルトヘイトの枠内からはみ出ることはなかった。

    こうして南アフリカの工業化は遅れ、農業立国状態からの脱却が困難となる。

    1955年12月1日アラバマ州モンゴメリーで、黒人女性のローザ・パークスが公営バスの「黒人専用席」に座っていたにもかかわらず席のない白人が席を譲るように促したが譲らなかったため運転手に譲るように言ってくれと頼み、白人の運転手のジェイムズ・ブレイクが白人客に席を譲るよう命じたが、パークスがこれを拒否したため「人種分離法」違反で警察官に逮捕され投獄、後にモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される事件が起きた。

    この事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師らがモンゴメリー市民に対して、1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動を展開した。この呼びかけに対して、黒人のみならず運動の意義に共感する他の有色人種、さらには白人までもがボイコットに参加し、後にこの運動は「モンゴメリー・バス・ボイコット」と呼ばれることとなる。

    この運動は全米に大きな反響を呼び1956年には、合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離=白人専用および優先座席設定)」を違憲とする判決を出すと、アラバマ州をはじめとする南部諸州各地で黒人の反人種差別運動が盛り上がりを見せた。

    これらの反人種差別運動は、アメリカにおいてこれまで「人種分離法」の下で人種分離、および人種差別を受け続けていた黒人をはじめとする有色人種が、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、「公民権運動Civil Rights Movement)」と呼ばれるようになった。

    まさしく「負のイプシロンデルタ論法」。辛うじて「人種分離」までは社会的合意が得られたのに「(挙国一致体制によるプロテスタント系旧移民とカソリック系新移民の合議の結果誕生したばかりの)白人」側が一方的に踏み込んできてそれを打ち壊した事から「黒人側の団結しての抵抗」が始まってしまったという訳である。

  • 面倒臭いので新たな表象を立てたりする。

そして…

そして…

初出は「サンファイアとビッグ・ヒーロー・シックス(Sunfire & Big Hero 6,1998年)」で、このときのメンバーは1970年からX-MENのひとりとしてマーベルコミックで活躍していた日本人スーパーヒーロー、サンファイアを加えた計6人だった。

彼の母親は広島の原爆で被爆し、四郎はこのときの胎内被曝によってミュータント能力を得た。彼の父親・三郎は親米的な外交官であった。母親は彼が幼いうちに死去し、四郎は職務に忙殺される父親ではなく、強硬な反米活動家だった叔父・トモに育てられた。トモに影響された四郎は原爆を投下し、彼から母を奪ったアメリカを激しく憎むようになった。

反米的な超人テロリストとしてサンファイアを名乗った四郎は、米国連邦議会議事堂に対して単独攻撃を行い、X-メンと戦った。その戦いの最中、四郎はトモが三郎を殺害する現場を目撃してしまう。自らが囮として使われたこと、心酔していたトモが卑劣な殺人者であったことを知って動転した四郎は、火炎ブラストでトモを殺害。最後には降伏し、自ら投降した。

数ヵ月後、X-メンの指導者・プロフェッサーXは、島ひとつが丸ごと生きているミュータント・クラコア島に捕らわれたX-メンを救出するために新しいミュータントチームを編成することとなった。四郎はその一員に徴用された(Giant-Sized X-Men #1)。サンファイアを含む新たなミュータント・チームは、X-メン救出ミッションに成功する。しかし、その短気な性格が災いして、サンファイアがX-メンの恒久的なメンバーに組み入れられることはなく、四郎は日本に戻ることになった。その後もサンファイアは、いくつかのタイトルに散発的に登場するが、そこでも彼の短気さが原因となって他のヒーローと対立する構図をとることが多かった。

それまでの経歴はさておき、サンファイアは日本の国家的英雄とされてきた。しかし、マグニートーが世界中に強力な電磁パルスをばら撒いた事件の際、彼は自分のミュータント能力の制御を失い、爆発炎上した。そんな彼の姿は、国民の誤解を招き、日本国内にパニックを引き起こした。事態を重く見た日本政府はサンファイアを逮捕・拘束し、彼の核エネルギーを放出する能力が減衰するまで監禁することとした。サンファイアの監禁場所はシルバーサムライによって発見され、シルバーサムライとウルヴァリンの手によってサンファイアは解放された。ウルヴァリンは彼を、カナダ政府のミュータント研究機関であるデパートメントHに匿うことにした。

不安定なミュータント能力を制御するための訓練を続けるサンファイアだったが、彼は自分の能力が、自分自身の肉体に悪性の放射線障害を引き起こし、それが彼を蝕んでいることに気付いた。この悪性疾患の最初の徴候は、黒いしみとして彼の体の右側に現れた。この漆黒のしみは彼の右半身全てを覆うようになり、サンファイアの生命はもはや風前の灯と思われた。死を覚悟したサンファイアは、生涯の最後の日々を故郷・日本で過ごすことに決めた。そんな彼を日本で迎えたのは、ギリ・インダストリアル・コーポレーションと新たなヒーロー・チーム「ビッグ・ヒーロー・シックス」であった。

物語の設定は、「広島と長崎への原爆投下によって被害を受けた日本は核兵器を廃絶し、その代わりに自国を守る手段として超能力を持つ人間を集め、ビッグ・ヒーロー・シックスを結成した」というもの。シリーズはあまり人気とならず、連載も1年と続かなかったが、マーベルを買収したディズニーがマーベルコミックスの初のディズニーアニメ化に際し、あまり人に知られていないユニークな作品を探していたことから当作品が選ばれ、少年と介護ロボットの友情物語に改変され、2014年に『ベイマックス邦題)』としてアニメ映画化された。

ビックヒーロー6」のメンバーフレッド (Fred)

アイヌの子孫。ゴジラのような恐竜の映像を作り出し、その映像に物理的に攻撃をさせることができる。

ビックヒーロー6」のヴィランエヴァーレイス (Everwraith)

幽霊のように半ば実態のない姿をもつ敵。通常の攻撃ではその身体を傷つけることができない。テレポートと飛行能力を有する。核エネルギーを吸収し、ネクロプラズミック・ブラストを放射する。エヴァーレイスは、第二次世界大戦における広島と長崎の原爆で死亡した犠牲者の残留アストラル体の悪しき顕現である。エヴァーレイスは誕生してから数十年、日本人を大量虐殺した米国に対する復讐を計画し続けた。しかし、戦争の記憶とともに核の記憶が日本人から薄れ始めると、エヴァーレイスの存在そのものが弱まり始めた。彼は、自らが愛する国ニッポンが、究極の愛国者たる自分に背を向けたと思い、日本の文化を彼/彼らが死ぬ以前の姿に戻したいと望んだ。彼は、核による大虐殺こそが日本に経済的かつ技術的な優越性をもたらしたとして、日本が現在の惰弱さから抜け出して再発展するためには再び日本を核の炎で焼く必要があると狂信し、そのためにサンファイアのミュータント能力を悪用しようと画策した。ビッグ・ヒーロー・シックスの活躍で彼の暴走は食い止められ、サンファイアの怒りの炎で焼き尽くされたエヴァーレイスは今度こそ本当の死を迎えた。

どうやら「フレッドの力の源は絶滅した祖霊かも?」は海外サイトに散見される俗説に過ぎず「その謎の解明は不人気による打ち切りによって作中で明かされなかった」が真相の様です。

Originally in Marvel Comics, Fred was a descendant of the Ainu, grew up in a S.H.I.E.L.D. base in Japan, and was the last member to join the Big Hero 6 team. He had the ability to summon a giant dinosaur aura, but the origin of this power was a mystery. Yet, due to it he was given the codename "Fredzilla", although he actually disliked being called that.

マーベル・コミックに登場するフレッドはアイヌの子孫で、日本のシールド基地で育ち、ビッグ・ヒーロー6に参加した最後のメンバーであった。巨大な恐竜のオーラを呼び出す能力を持つが、その力の源は謎に包まれていた。そのため「フレジラ」というコードネームを与えられたが、本人はそう呼ばれることを嫌っていた。

ゴジラ」が発想の源にある様ですが、あるいは民衆の呼び掛けで覚醒する「大魔神」映画、さらに遡ってユダヤ民族の呼び掛けで覚醒する「ゴーレム」映画辺りが発想の源だった可能性がある?

ゴーレム(Der Golem)」は、1915年に公開されたドイツのサイレント・ホラー映画。現存しているのは一部のみ。監督・主演のパウル・ヴェゲナーはグスタフ・マイリンクの同名小説が原作だと主張しているが、ユダヤ教に伝わるゴーレム伝説のうち、最も知られている16世紀イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルの逸話反ユダヤ主義から人々を守るためゴーレムを作ったと言われる)から想を得たものと思われる。

巨人ゴーレム(Der Golem, wie er in die Welt kam,1920年)」初期ドイツ表現主義を代表する無声ホラー映画。

ヴェゲナー、監督は1915年版の話の運びに不満を持っていた。制作の都合で妥協したからである。そんな折『プラーグの大学生』撮影中に、プラハで語り継がれていたゴーレム伝説を聞くことができ、それをそのまま描こうと考えた。そして完成したのがこの映画である。

3本のゴーレム映画の中で唯一現存する映画でもあり後の幻想映画、とくに「フランケンシュタイン(1931年)」、日本の「大魔神(1966年)」に大きな影響を与えた。

あらすじ

中世のプラハユダヤ人ゲットーで長老のラビ・レーフは星占いにより、まもなく町にふりかかる災難を予知する。

その予知は不幸にも現実のものとなる。皇帝がゲットーからユダヤ人を追放することに決め、騎士フロリアンを使者として派遣したのだ。

ラビ・レーフは民衆を守るため、巨大な泥人形ゴーレムを作り、生命を吹き込む。ラビ・レーフはゴーレムを宮廷に連れていく。ゴーレムの力を目の当たりにした皇帝は考えを改め、命令を取り消す。

しかし、ラビの助手がゴーレムを悪用。ゴーレムが暴走する。

ゴーレムは町外れで純真無垢な幼い少女と出会う。ゴーレムは暴れることをやめ、少女を抱きあげる。少女は邪心なく、ゴーレムの胸にあったダビデの星を抜き取る。その瞬間、ゴーレムは元の泥人形に戻ってしまう。

この辺りはそのうちもっと調べ込む必要がありそうです。

そして…

2000年代前半の話。当時のライバルはハンナ・バーベラ・プロダクション(Hanna-Barbera,1957年~2001年)の創始した「パワーパフガールズ(The Powerpuff Girls,最初のアニメ化1997年~2005年)」とか…

f:id:ochimusha01:20220102114147p:plain

ディズニー制作の「キム・ポッシブル(Kim Possible,初アニメ化2002年~2005年)」辺り。

f:id:ochimusha01:20220102113959p:plain

そりゃあ勝ち目がある筈もなく見事に蹂躙され尽くし跡形もなく消え去っていったという訳ですね。

改めて補足しておくと2000年代前半の話です。

これについても機会があったら改めて調べ込んでみたいと思います。当時はあくまで傍観者の一人として目撃したに過ぎないのです。

プリンセスと魔法のキス(The Princess and the Frog,2009年)」

幼なじみのシャーロット(Charlotte)

https://64.media.tumblr.com/2e24b3fde5df6ead672e521083744e54/3fb56c759330685a-44/s540x810/6b175036d0dfd8da5c455967ec023425e10ce268.gifv

https://64.media.tumblr.com/0a3f177863220540ae84bb4a5cd76844/3fb56c759330685a-5d/s540x810/21c6b7fa267b58d9d0cba252c67567f409371871.gifv

https://64.media.tumblr.com/873f05dd2b7362d56191ffc55c1ff6a0/3fb56c759330685a-7c/s540x810/a9dfd5df75dc60a0155e00d0430ed693086876d5.gifv

https://64.media.tumblr.com/066a20daf2bb05a0a87f3f73a2d4269f/3fb56c759330685a-62/s540x810/17cfd59cb519d5f64e9e85ab9dd390a08dad6470.gifv

https://64.media.tumblr.com/1f4c1e345feb710046beb8f0b3820a2a/3fb56c759330685a-56/s540x810/340cc95aa915e320952c801aae2af6977799bdc1.gifv

https://64.media.tumblr.com/4df1a371b79746535d30d0c5d88320d4/b187e36a4f6cfac7-c2/s540x810/3003628b2dfb943bd8028d63e137d0a12b242af3.gifv

https://64.media.tumblr.com/97b61004dc8f42124e0a2bdd946aaa1b/b187e36a4f6cfac7-6e/s540x810/a3a72ccfa79b6998cdcd77fec4bee7e9ba5d5190.gifv

そう「頭の悪そうな金髪ナイスバディ」が同性から鼻持ちならない印象を持たれるのは概ね彼女が「金持ちの娘」なる先入観もあっての話なのですね。そしてその感情は、彼女が(その恵まれた環境ゆえに)自ら努力しなくても(周囲の支援で)勝手にハッピーエンドを迎える時、憎悪へと昇華される事も。例えば「眠れる森の美女(Sleeping Beauty, 1959年)」のオーロラ姫(Princess Aurora/Briar Rose)…

https://64.media.tumblr.com/679354ad5b27eb8f04678263a20feedf/b1a2b22d2ac69152-49/s400x600/4ac20d77bb22fb8edc36ddee65f3ea82773215ed.gifv

そして「レ・ミゼラブル(Les Misérables,2012年)」のコゼット(Cosette)なのです。こぞって「フランス系」なのは、どうやら偶然でない模様…

https://64.media.tumblr.com/48ec40f2a9a1fd7e1642366f85f8e056/4b86d3116dc215a4-60/s400x600/aea72bc9b831847721bf03600b2e75aaa98a5e40.gifv

吹っ切った例として著名なのが「デビルマン(1972年~1973年)」に続いてマカロニウェスタン調全開の主題歌が仕上がってきた時、東映のプロデューサーから「新しさがない」と突っ返されて作曲家が1日で「マジンガーZ(1973年~1974年)」主題歌…

そして洋楽導入を主導してきた小林亜星が突如異次元ポケットから取り出した「科学忍者隊ガッチャマン(1972年~1974年)」主題歌。

この頃から黒人音楽は子供番組に相応しくないエロエロ路線に踏み込んでいくので、それと袂を分かつ必要が生じた事も忘れてはいけません。

本田勝一アメリカ合州国(1981年)」

司馬遼太郎アメリカ素描(1989年)」

日本のレビュウの源流はふたつあって、ひとつはパリのレビュウショウ、もうひとつはフレッド・アステアレビュウ映画です。とくに戦前の日本人を、いや世界中の人々を熱狂させたのが、数々のフレッド・アステアのレビュウ映画で、後世にも多大な影響を残しました。

こういう話も後世にはなかなか伝わらないものです。

そもそも「(ジャズやファンクの様な)黒人音楽」と「マカロニウェスタン」と「グループサウンズ」を同時摂取した結果、日本のこの手の音楽はかえってオリジンがどれか判らない状態に。そう「納豆ピザ」はもはやイタリア料理ではない様に。

×1行の読んでない○1行も読んでない。

まさしく「頭の悪い金髪美人」の放つブルジョワ臭そのもの…

時代

トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。

トマスは、このような時代背景の下、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた。また、トマスは、同様に、アビケブロンのみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった。トマスは、アリストテレス存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。

思想

トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学の総合的体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている。

トマスはアヴィケンナアヴェロエスアビケブロンマイモニデスなどの多くのアラブやユダヤの哲学者たちの著作を読んで研究し、その著作においても度々触れている。そこから、トマスは単なる折衷家にすぎないとの見方も根強いものがあったが、現在では、「存在」(エッセ)の形而上学トマス的総合の核心であり、彼独自の思想である点に見解の一致があり、その存在をどのように解釈するかによって様々な立場に分かれるとされている。

全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。

トマスの思想は、その死後もトマス主義として脈々と受け継がれ、近代の自然法論や国際法理論や立憲君主制にも多大な影響を与えただけでなく、19世紀末におきた新トマス主義に基づく復興を経て現代にも受け継がれている。

天人相関説の部分復活

アリストテレス自然哲学による二元的宇宙像は、地上界の出来事には必然的に天上界が作用するという考え方の基本となった。この考え方には、「地上界のあらゆる出来事は天上界の動きによって予め決まっている」と考える運命決定論と、逆に「天上界の運行がわかれば未来を予測できる」と考える占星術が含まれていた。この「自然が自身の法則性にのっとって自律的に振る舞う」という古代ギリシャ自然哲学の世界観は神による奇蹟を認めるキリスト教はとは相容れなかった。

キリスト教会は、400年第1トレド教会会議占星術の排斥を決議し、さらに561年第1プラガ教会会議でも占星術を公式に否定した。その後、ヨーロッパでは、古代ギリシャ哲学の書物はイスラム圏に流出したもの以外は教会の書庫の奥に眠ることとなり、その内容は次第に忘れ去られていった。

ところが12世紀ルネサンスの過程で、イスラム圏からの流入によって、ヨーロッパの知識人たちはアリストテレス自然哲学を知ることになる。そしてアリストテレス自然哲学が大学で教育され西欧の知識階級に浸透してゆく過程で、二元的宇宙像とそれに基づく占星術は一般の人々を広く魅了して浸透していった。キリスト教は、一方的な禁止や弾圧ではアリストテレス自然哲学を抑えきれなくなっていった。トマスはその危機に直面したキリスト教神学を救った。

問題は「アリストテレスの二元的宇宙像では天上界が地上界のどこまで影響を及ぼすのか」ということだった。トマスは、「物体としての天体は物体としての人間の身体には作用するが、非物体としての人間精神や意志には直接作用することはない。」と解釈してキリスト教神学とアリストテレスの自然哲学を調停した。彼の神学思想は、死後一時異端と判断されたが、1322年復権してキリスト教世界で公式に認められ、14世紀中期に正統神学の地位を確立した。

一方で、トマスのおかげで、アリストテレスなどによる古代ギリシャ自然哲学は公に研究できるようになった。これによるアリストテレス自然哲学などの研究は、17世紀のいわゆる「科学革命」へとつながっていった。

そんな感じで以下続報…