オーギュスト・ブランキの永劫回帰論は「時間的空間的に無限たる宇宙は、実際には有限の種類の要素の組み合わせの繰り返しで構成されている(つまり我々が経験する事象は他の場所、他の時間でも繰り返される)」なる信念に支えられています。
もしかしたら、この話の続きでこの本が取り上げられたのかもしれません。
36年半を牢獄で過ごした革命家ブランキの宇宙論である『天体による永遠』を読む。牢獄での幽閉から見られた徹底的なペシミズムに基づく永遠の宇宙論は、何度読んでも、その内容に関係なく読ませ、革命と永遠回帰のニヒリズムが一つになっている。 pic.twitter.com/ZNyNpqEgXn
— 千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 (@Chisaka_Kyoji) 2022年1月4日
今日、若い人にオーギュスト・ブランキを紹介する時「19世紀の迷惑系YouTuber」という表現を使ってしまった事をここに懺悔しておきます。「ヨーロッパで最も危険な男」形なし?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月4日
永劫回帰思想の内容はともかく、客観としての一揆主義ってそういう感じですよね?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月4日
ちなみにこれです。https://t.co/IgRDJIwpRz
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月5日
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム : 遅れてきた国民」には、デカルトやカントが「信念の人」だったからこそ追求し得た「現世における神の不可視性」を、次世代には無神論者が「現世における神の不在性」として継承する有様が克明に描かれていました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月6日
同様に神秘主義的秘密結社カルボナリ(炭焼党)の党員として革命家のキャラを開始したオーギュスト・ブランキが最後に到達した永劫回帰論も、次世代の無政府主義者にはまた別の形で伝わった可能性があるのではないでしょうか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月6日
一応、それを援用する形でこういう考え方もある様ですね。
進化論と創造論の中間として、「神は生物が進化するのも込みで生物を創造した」と唱える一派がある。この一派によると、ダーウィンやラマルクが唱えたように生物は進化していくが、その進化の行く末も神によってすでに定められたもので、神の奇跡のひとつなのだという。
— 統合の失調(てすら) (@Kohler_volnt) 2021年12月29日
あずまん典型的だと思うが、自分たち以前はナチュラルに都合良く取捨選択して「なかったことにする」手口が身についとる輩、割とおるでな。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
それがあたりまえになる歴史修正の手口。「信者」という共犯者含めて。
何度か触れた、以前うちの若い衆学生がラノベの語られ方調べてて「なんかどれ見てもこの東と大塚って人ばかり出てくるんですけど、この前ってなかったんですか?」という素朴でクリティカルな一発かましてきたのも、弊社若い衆ゆえの素直な気づきだったはずでな。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
ある種の「権力」構造を身の回りに形成してゆく手口だとはおも。情報の制限された環境をこさえてその内側に囲い込んでゆくという。まあ「洗脳」「自己啓発セミナー」その他と基本同じっちゃ同じなわけだが。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
それを「批評」とか「研究」とか思わせてカネ回す仕組みがフェミでもブンガクでも何でも……
情報の制限ってのもそれ、何もガチガチにこれ以外読むな見るなとやらんでも、いわゆる「まとめ」的な「わかりやすげな解釈」提供することが、立派に遮眼革装着することだったりするわけでな。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
……( ゚д゚)ハッ 昨今のNote商売もそ……うわなんだおまえやめくぁwせdrftgyふじこlp
その界隈の大御所なり「老害」的重鎮なりに「媚びて」ポジ獲得してゆくある種の若い衆世代の「若害」身ぶりってのも、その「老害」的重鎮界隈「だけ」しか見ないモードをすでにあらかじめ実装しとったら全く自然にナチュラルにそうするだけのことだわなぁ。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
「新人類」「ニュータイプ」的な言説ってのは、それを自分ごととしてうっかり受け止めた側にしたら「それまで」を「なかったことにする」免罪符としても機能するわけでな。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
web環境にアクセスできる、というのがそこにさらにターボかけることになってな……(´-ω-`)
ロスジェネ氷河期世代の「勝ち組」自意識の酷薄さ、ってのも、そういう意味じゃかつての「新人類」「ニュータイプ」系自意識のなれの果て、ってところはあるようにおも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年4月6日
「おたく」の不人情、ってやつな。
90年代のはじめの頃に、nifty経由で知り合った新左翼系の活動家に「僕たちは、過去がどうだったとか、主張の一貫性とか拘らないんだ」と聞かされたことがあった。 https://t.co/NYGs2yDrg5
— 利島一郎 (@toshima59) 2021年12月14日
うわぁ……( ノД`)
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
過去の経緯やこれまでの来歴などの「しがらみ」「文脈」からとにかく「自由」で「解放」された現在、という認識のタガが外れた状態というのは、ほんまに実存と共にあったのすね……
新左翼も何もかも知らん、と
— 空気の人その3 (@Aoi_oxo) 2021年12月14日
( ´゚д゚`)アチャー
先生、たくさんいますよ。
— Tomoe (@tomoe_0ct3) 2021年12月14日
”フクシマ”後の菅直人聖人化なんて一派はまさにそれですしw
そして…
なんかもう、いわゆる近代文学研究だの批評ってのは、要はそういう「評論」「批評」の二次創作三次創作を延々飽きもせずにやっとるようなもんかもしれんな、とある時期から感じるようになっとる。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月15日
そういう世間の外側、外道の〈それ以外〉目線での感想にすぎんのだが、な。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月15日
二次創作三次創作を延々飽きもせずにやっとるようなもん ← そうでしょう。批評家の方が作家より格が上だみたいな勘違いを長年しているので、始末におえない。(´・ω・`) https://t.co/sMqna0l0HL
— 利島一郎 (@toshima59) 2021年12月15日
そして…
創作も評論も両方やる、ってのは別に違和感なかったところはあるようだわなぁ、ある時期までのいわゆる「文学」界隈。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
まあ、少なくとも戦前の「純文学」(こういうたてつけができる前から含めて)界隈は、当時の大学や高等教育レベルの内輪で成り立っとったところあるから、そういう意味でも「おたく」的共同性の世間ではあっただろうが。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
その「創作」も短歌から詩、ヘタすりゃ絵画などからそのうち小説にも、てな経緯たどっとったりするのが珍しくなさげでな。その過程で評論や批評も、てな感じで。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
人によっちゃ演劇(歌舞伎などを観ることから新劇の実演に至るまで)や、音楽(これも音楽会つまりライブ通いやレコード介して聴くことから楽器いじるまで)なども入り込んでくるでな。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
まあ、あの「白樺」界隈なんかが先駈けっぽいとおもて、そう間違いでもないような。
哲学者三木清(敗戦直前の1945年検挙され釈放を待たずに獄死)は「読書遍歴(昭和16年/1941年)」の中で大正期の日本近代史の流れを透徹したまなざしでとらえ、時代の空気をこう斬っている。「あの第一次世界大戦といふ大事件に会ひながら、私たちは政治に対しても全く無関心であつた。或ひは無関心であることができた。やがて私どもを支配したのは却つてあの『教養』といふ思想である。そしてそれは政治といふものを軽蔑して文化を重んじるといふ、反政治的乃至非政治的傾向を持つていた、それは文化主義的な考へ方のものであつた。あの『教養』といふ思想は文学的・哲学的であつた。それは文学や哲学を特別に重んじ、科学とか技術とかいふものは『文化』には属しないで、『文明』に属するものと見られて軽んじられていた。言ひ換へると、大正時代における教養思想は明治時代における啓蒙思想――福沢諭吉などによつて代表される――に対する反動として起こつたものである。それが我が国において『教養』といふ言葉のもつている歴史的含蓄であつて、言葉といふものが歴史を脱することのできないものである限り、今日においても注意すべき事実である。」
まさしく地獄から戻ってきた懐かしのアライさん「教養で文明と戦わなくなったインテリなんて、ネズミを獲らなくなったイエネコと同じなのだ。人類に可愛いと思われなくなった途端、このアライさんと同じで駆除指定生物の仲間入りなのだ(You,Intelligentsia…are house cats no longer catch mice, if you no longer fight civilization with your cultivation. And you will join vermin lank like us, if they are no longer considered you Kawaii.)」の世界。
ありていに言って、大正期の「豊かさ」ごかしにそういう「趣味」的視野が、ある若い衆層に一気に広がったというのはあったとはおも。同時にサロン的「おたく」的つきあい方の濃厚化みたいなところも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
そういえば私は「古事記」「日本書紀」に中高生時代、家にあったカラー挿絵で一杯の百科事典的物語全集を通じて最初に触れたのですが、今から思えばそこに山ほど掲載されていた絵画の数々こそ「(聖書や神話にかこつけたエロしか許さない)欧州の文化的仮面」の輸入を試みた白樺派の野望の痕跡だったのです。
ちょっと誤解があったので修正を試みます。
②ここでいう「(聖書や神話にかこつけたエロしか許さない)欧州の文化的仮面」には、大源流の欧州においてポルノグラフィ派がそれから逸脱する事で「表現の自由」を勝ち取った過去がある。実際にその毒を日本に持ち込んだのは「白樺派」以前の世代「日本画壇」。
明治43年(1910年)に刊行された雑誌『白樺』には画家の中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生も参加しており、文壇を超えて、洋画・日本画壇をも大いに活気づかせました。
②つまり「白樺派」は、第日本帝国末期の軍国化過程において、仏教界が真俗二諦を方便に戦時協力を遂行し、日本画が国民画として「国家神話の視覚面における強化」を担った挙国一致体制に抵抗しなかった黒歴史を抱えている。
明治時代に西洋絵画に相対するジャンルとして開発された近代絵画。おもに和紙や絹を支持体として、岩絵具などの顔料を膠で定着させることで着色するほか、墨汁を用いて描かれる。こうした伝統的な技法にもとづく諸流派を総括しながらも、西洋絵画をある程度摂取しつつ、しかし「洋画」とも「書画」とも異なる、日本独自の絵画として「日本画」はつくられた。「日本絵画」という場合は、「日本画」以前の平面表現全般を指す。その名称が端的に示しているように、「日本画」は国民国家の形成と深く関わっていた。「日本画」を創始した当事者はアーネスト・フェノロサと岡倉天心だが、彼らの背景には西洋社会に対抗しうる日本を打ち立てようとする国粋主義があった。1887年、両者の尽力で開校した東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)も、日本画部門が設けられた反面、西洋画部門はなかった(その後、1896年に開設)。こうした国粋主義の傾向は、第二次世界大戦まで続いたが、戦後になると深刻な反省を迫られ、旧来の「日本画」に対して「日本画滅亡論」が唱えられたこともあった。
名前を挙げればきりがないほどですが、先日山種美術館で展示されていた、高山辰雄、奥田元宋、東山魁夷、杉山寧など、後の日展画壇の重鎮となる人達だけでなく、数えきれない戦後の日本画壇を支えた俊才がキラ星のごとくおられました。
1980年代には「日本画」のニューウェイヴともいうべき、諏訪直樹、間島秀徳、山本直彰らが台頭し「日本画」の現代美術化が押し進められた。
「日本画」と「現代美術」の境界が溶融する傾向は、ゼロ年代に入るとよりいっそう拍車がかかり、たとえば「『日本画』から/『日本画』へ」展(東京都現代美術館、2006)では、ポップや古典回帰など、さまざまな「日本画」が現われた。画題のうえでも技法のうえでも、現在の「日本画」はかつてないほど多様化しており、その名称の妥当性が議論の的となっている。
2006年に東京都現代美術館で催された「MOTアニュアル2006 No Border 『日本画』から/『日本画』へ」展。企画は加藤弘子と山本雅美。参加作家は篠塚聖哉、天明屋尚、長沢明、町田久美、松井冬子、三瀬夏之介、吉田有紀の7名で、いずれも当時30代の若手画家たち。ゼロ年代の新しい日本画の登場を告げたエポック・メイキングな展覧会である。天明屋尚のポップな婆沙羅から松井冬子のグロテスクな幽霊、あるいは三瀬夏之介のダイナミックな富士から町田久美のストイックな童子というように、本展はゼロ年代の日本画の多様性を的確に踏まえた構成だったが、そこにはひとつの共通項が見出せた。それは視覚的な図像の明らかな前面化である。天明屋や松井、三瀬、町田の具象性はもちろん、長沢明は虎をモチーフにしているし、比較的抽象度が高い篠塚聖哉や吉田有紀にしても、それぞれ火山と星の光が再現されていることがわかる。このようにキマイラ的(菊屋吉生)なイメージを錯綜乱舞させた日本画の登場は、ジャンルとしての「日本画」を新たな位置に転位させたと考えられる。なぜなら、この点は日本画の物質性を手がかりにしながらイメージを禁欲することで同時代を表現した80年代以来の現代美術系の日本画とは切断されている一方、新表現主義を契機として物質性とイメージ性を両立させた岡村桂三郎と連続していたからだ。それゆえ、本展は「岡村以後の状況を示す企て」(北澤憲昭)として評価されている。とはいえ、強烈なイメージを打ち出すゼロ年代の日本画を、現実と虚構の境界をなし崩しにしながら、すべての記号が自由に等価交換されうる現代社会の特徴を反映した絵画として肯定的にとらえるのか、それともそのイメージ性の無邪気な発露を、神話や民族といった事大主義的な主題によって国民絵画という象徴性を担うことを余儀なくされた歴史への回帰として批判的にとらえるのかで、見解は分かれている。いずれにせよ、日本画の現在のありようを改めて世に問うた画期的な展覧会だったことはまちがいない。
まず議論の出発点として、著者は日本画はクレオールだという。クレオールとはクリオーリョというスペイン語に由来する言葉で、本来は植民地に生まれたネイティブ以外の白人移民を指したが、やがては混血、更には白人の血が混じった黒人を指すのが一般的となった。
クレオール化とは、何らかの植民的環境が生じたことにより、否応なくその環境に順応するためにネイティブが変化することを言う。
著者によれば、中国からの強い影響によって古代から変化を遂げてきた近世までの日本絵画は、中国絵画に対するクレオール絵画であった。そして、19世紀後半、近代化=西洋化という文明開化の波の中で、西洋絵画の圧倒的な影響を受けた日本絵画は、「日本画」と「洋画」という二つのクレオール絵画を生み出したと言うのである。
つまり、日本画の前身である日本絵画が西洋画と出会い、フェノロサや岡倉天心らの努力によって、明治維新以降、近代ナショナリズムの勃興と共に「日本画」として成立したのである。国家主義を揺籃とした明治期、皇国感情の中で成熟を迎えた大正期から昭和初期、そして大平洋戦争の終結と近代天皇制の終焉と共に、その体制下で同質化された国民に支えられてきた日本画が終焉を迎えた。
ところが、戦後、「日本画滅亡論」と言う逆説的な危機感によって盛り返し、1960年代のいざなぎ景気、1980年代のバブル景気に乗じて、そのスタイルを変えつつも、敗戦の心の傷を癒す国民的メディアとして国民絵画としての存在感を保ち続け、平山郁夫、東山魁夷、加山又造らを頂点とする形で一時の繁栄を謳歌したということである。
ここに新たに確立した国民絵画は、飽くまでもその前提となる日本社会においてのみ生産され、消費される国内絵画だった。戦後の官僚主義と護送船団方式が維持されていた日本では、バブル景気時代を経てクライマックスを迎えた後でも、国内的日本画が再生産され続けたのである。
しかしながら、こうした国内向けの日本画は、新たな日本社会、即ち、合理化とIT化、そしてグローバル化していく社会構造の変化の中で、存在の場を失っていった。
そもそも、近代の日本画とは北斎や暁斎を切り捨てたところに成立した絵画であった。皮肉なことに、日本画は国際的にも通用するような国の絵画を創出する狙いのもとに創られたにもかかわらず、日本らしさを持つ絵画として国際的な評価を得たのは、あくまでも葛飾北斎や河鍋暁斎であり、今日ではそれに代わってマンガやアニメなのである。
そして…
一方ニーチェの「永劫回帰論」については、ブランキのそれというよりゴビノー伯爵の人種エントロピー論やレヴィ=ストロースの「メタ・レイシズム(浅田彰)」とグループ化して「距離のパトス(Pathos der Distanz)」論で捉えてきました。https://t.co/L80Meo3kwX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
この考え方の系列では「永劫回帰」は情報エントロピーが最大値に達した熱的死状態、すなわち平均と分散が綺麗な正規分布を描くのみの無機質で無個性な状態とネガティブに捉えます。https://t.co/6clv4fLh6x
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
その一方で、仮にもそれから逸脱した地点に安定状態を構築した個性的で多様多彩な人種、文化、民族精神などを低エントロピー状態に見立て、称揚するのです。https://t.co/O036Jed0sf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
「ドイツが偉大な国家なのは、ポーランドの血がたくさん入っているからであり、私は自分がポーランド人の子孫で あることを誇りに思っている。」と自ら述べてる様にニーチェの場合それに該当するのはシェラフタ(ポーランド貴族)精神だったのでしょう。https://t.co/A0fNYtgu7v
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
ただしその偉大さは孤高を保っているだけでは衰退し、その一方で他者と混交するにつれエントロピーを増大させていき、最終的には熱的死を迎えるという悲観主義的永劫回帰観。ある意味、ポーランド系ドイツ人としてニーチェが抱えていたジレンマそのもの?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
そして…
一方、ダーウィン「種の起源(On the Origin of Species,1859年)」の系統進化論は、各種の展開を複雑な確率事象と見做し、単純な悲観的エントロピー論と袂を分かったのです。https://t.co/sw59MEqdlq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
奇しくもカール・マルクスの「経済学批判」ジョン・スチュワート・ミルの「自由論」が刊行されたのと同年。当時の欧州は2月/3月革命(1948年)によって王侯貴族と教会の権威を仮想敵とする革命観が終焉し、産業革命加速の結果としての最初の世界恐慌を経験中。https://t.co/RaHsong6yd
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
こうした状況下、「経済学批判」でマルクスの披露した「我々が自由意思や個性と信じ込んでるものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる現行社会懐疑が、シグムント・フロイトの精神分析学における…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
「自我の行動は案外、無意識と超自我の拘束下にある」なる現行自我懐疑と結びついて「(当時の文献に散見される)マルクス=フロイト主義」なる概念を形成してドイツ社会学の伝家の宝刀「方法論的個人主義」に結実していく様です。https://t.co/rpQj1s666r
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
戦前日本のマルクス主義理論家戸坂潤が「フロイト主義」を批判しているのも、この流れの一貫に含められましょうか?https://t.co/Lts7p2VHzl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
そして…
さらに「集団エントロピー論」は同じく19世紀後半に登場した電気回路の設計に欠かせない回路方程式、すなわち起動してから電流の流れが安定するまでの過渡現象と定常状態の往復としても記述可能。https://t.co/yzersjYPY4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
コンピューターにおいては「起動過程(電源ONに際し1回だけ動作してメインループを回し始める過渡現象)」と「イベント割り込み待ち状態(回り始めたイベントループがそれぞれの割り込みに応じてCPUや接続デバイスを操作する定常状態)」に対応。https://t.co/S51EhxYcVG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
この処理が実際にはどう行われるかは、例えばOpen OSの雄Linuxの場合、カーネル・ソースコードとして全面公開されています。しかしあまりに長大過ぎて更新も頻繁な為、おそらく全貌は最初期開発者リーナス・トーバルズですら掌握してません。https://t.co/Insq4MVLVA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
そう「ワタシハリナックスチョットデキル」の人ですね。 pic.twitter.com/ucVKwOTVA9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
実際その必要もないのです。何故なら「割り込み待ちループ」は、概ねこの世に存在するあらゆるデバイスとの交信方法のリストであり、それぞれごとに(必要な範囲だけ掌握している)専門家がメンテナンスを分業しているので。https://t.co/JI5Q72jl1N
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
いわばそれは「(供給ハードウェアの操作を通じて繋がる)人間界の鏡」に他ならず、トーバルズ自身は紛争調停の必要が生じた時だけ駆り出され裁定を遂行する「慈悲深き終身独裁官(BDFL=Benevolent Dictator For Life)として君臨しているだけなのです。https://t.co/NRHPHy0O3j
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
関係者以外には神秘的統治としか映らず、関与要求どころか認識すら出来ません。その一方で、ソースの一部でも読めて関与の余地を見出した万人に対して門戸が開かれてるとも言えます。「歴史上、最も成功した無政府主義体制」と称賛される所以ですね。https://t.co/DPA57GETYJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
「信念の人」デカルトやカントが、自らの提示したシステムにおいて「神そのもの」について語らなかった様に、ブランキがカルボナリ党時代から「天体による永遠について」を執筆した晩期までブランキが一貫して維持しつつも一言も語らなかった…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
「神秘主義的統治の理念」とは、実際にはこういった感じの何かだったんではないでしょうか。素人考えで恐縮ですが、間違ってるなら間違ってるで、修正の方向を示していただけると幸いです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
そういえばニーチェが理想視したシュラフタ(ポーランド貴族)精神について、2月/3月革命前夜の東欧を跋扈したバクーニンが、その「庶民への侮蔑」と「庶民側の反感」の調停にてこずった話を思い出しました。とかく現実はままならないものです…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月7日
そんな感じで以下続報…