大元は「北条政子が以仁王の令旨の檄文を読めなかかったとしても、当時の田舎武家の娘としては致し方ない事だった」という投稿だったのですが、投稿者からたちまちブロックされてしまいました。「破落戸の乱入」と思われた様なんです?
その発言にぶら下げた私の一連の発言が以下。
海外フェミニストの間では「発見されたジェーン・オスティンの小説の草稿が男性校正者のスペルミスと文法ミスの指摘で真っ赤に染まっていた」ジェーン・オスティン・ショックで激震が走りましたが、まぁ出自が田舎の郷紳の娘では、仕方のない側面も。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
その点、エリートOLが始めた平安王朝文学には物凄い安心感があったりして。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
ジェーン・オスティン・ショック、文字通り英国口語小説の発端となった彼女の作品が「男女共作」であった事が海外フェミニスト達に衝撃を与えた訳ですが、そういえば日本の平安王朝文学も「パパの教育の賜物」である事について、日本のフェミニストの皆様におかれましては、どう考えてらっしゃるのか。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
そういえばJフェミニストの皆様、「フランケンシュタインの生みの親」シェリー夫人のパパも、「世界初のプログラマー」エイダさんのパパもなんか色々な意味で凄い人だった、なんて話も全然しませんね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
この話には物凄い続きがあって、どうやら夏目漱石がロンドンに留学した文明開花期の英国ではまだまだ「文学=ラテン語古典」で母国語口語文学を尊ぶ伝統が存在しなかった様なのです。まさしく「漢文=正しい教養」だった封建時代の日本と大差ない状況。https://t.co/VPwZx2e9BQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
そういえば「指輪物語」のトールキン教授が20世紀に入ってから「英語で執筆された叙事詩の研究」で名を挙げたという事は、それ以前にはその種の研究がそれほどメジャーでなかった事を意味するのですね。当然、アンジュー帝国期にアリエノール様が主導して構築した女性中心の宮廷文学の世界も認識外。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
ところが東大に英文学科が設立された時、最初に教鞭を取った小泉八雲も、その衣鉢を継いだ夏目漱石も「英国文学」として教えたのはジェーン・オスティンとシェークスピアのソネット中心だったのです。最初から「国際的口語文学の展開」にフォーカスされていたのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
まぁ、そう指摘したのは韓国系の論客で「ならば金一葉についてどう考える?」なる指摘でマットの藻屑に沈めましたが、本来フェミニズムはこれくらい相応の国際的教養を前提とする戦争たるべきというのが、私の考え方なのです。https://t.co/vZMFBraRju
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
×ネチウヨ○ネトウヨ。私がしばしばカール・マルクスやオーギュスト・ブランキから引用するので、とあるメモリレス・パヨクから「それが極右の聖典か。そんなの読んでる時点で、全部まとめてネトウヨ確定だ!!」と決め付けられた事もありました。彼らは一体何処に向かおうとしてるんですかね?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
そういう私も「金一葉って韓国の瀬戸内寂聴?」と考えてる辺りで随分と雑な人間だったりするという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
学生運動全盛期には「時間もないのにマルクスの「資本論」なんて読んでる時点で、時代遅れ。そんなの一行も読まず、日々の運動に邁進してる我々こそがマルクス主義そのものを体現している」と豪語する学生運動家が横溢していたそうですが、最近のJリベラルやJフェミの暴走を見るにつけ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
こうした考え方のイプシロン=デルタ論法的極限が何処に行き着くか実証されつつある感が否めません。「どうせ殺し合いしかないなら、もっとまともな殺し合いをやろうぜ」というのが、私の立場。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月24日
こういう話を思い出したりしました。
お互いに知らないことを尊敬することが教養なのか、お互いが知っていることを巧みに引用し相手を唸らせることが教養なのか。どっちなのでしょうね。
— アーティ・コウチャスキー (@Ertai_twit) 2022年1月24日
古典文学の世界ではえてして後者ですけども(貴族や士大夫は「知らない」なんて言えないから
高校で古典を学んで得た教訓のひとつは「『知らない』ということは他人に恥をかかせて排除できる立派な理由になるし、それで排除されても文句を言えない社会がある」ということだった。
— アーティ・コウチャスキー (@Ertai_twit) 2022年1月24日
平安貴族えげつねぇ……古代中国きびしぃ……。
それにつけても流石に調子に乗り過ぎましたね。そんな感じで以下続報…