諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】多様体について考える。

多様性(Variance=分散)について考えるとは、数理的にいうと多様体について考えるという事です。ところが日本語におけるこの概念は、英語圏では(最終的には一つに統合される筈の)2種類の概念に対応するのです。その事自体が多様体の対象?

 

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多様体(英: manifold, 独: Mannigfaltigkeit)とは、局所的にはユークリッド空間と見なせるような図形や空間(位相空間)のことである。多様体上には好きなところに局所的に座標を描き込むことができる(局所座標系)。

その直感的説明

多様体に座標を描くという作業は地球上の地図を作る作業に似ている。地図の上の点は地球上の点に対応し、さらに地面には描かれていない緯線や経線を地図に描き込むことによって、地図に描いてある地域の様子が分かりやすくなる。座標の無い地球上の様子は、人間が作った座標のある地図と対応させることによって非常に把握しやすくなる。

地球は球であり、世界地図を一枚の平面的な地図におさめようとすれば、南極大陸が肥大化したり、地図の端の方では一枚の地図の中に(連続性を表現するために)同じ地点が複数描き込まれたりする。世界地図をいくつかの小さな地図に分割すると、こういった奇妙なことはある程度回避できる。例えば、北極を中心とした地図、南極を中心とした地図、ハワイを中心とした地図、ガーナを中心とした地図…… などのように分割できる。そして隣り合った地図の繋がりをそれぞれの地図に同じ地域を含めることで表現すればよい。こうすることによって異なる地図同士では重複する部分が出てきてしまうものの、一枚の地図の中に同じ地域が 2 箇所以上描かれることをなくすことはできる。

地球と同じように多様体は好きなところに小さな地図(局所座標系)が描ける図形である。逆に、このような小さな地図を繋げていったら全体としてどのような図形ができあがるのか?という問題は位相幾何学の重要な問題の一つでもある。地図だけみれば地球をまねて作っているようなゲーム(例えば、ファミコン版のドラゴンクエストシリーズ)の世界が、実は球面ではなく平坦トーラスだったということもある。

多様体は性質のよい図形であり、多様体でない図形も多く存在する。円や球や多角形、多面体などは全て多様体として扱えるが、ペアノ曲線やフラクタルなどは適当な地図を描くことはできず、多様体にはならない。

第4章 多様体の基礎のキソ

わざわざ位相空間に地図帳をセットにして考えるのは,数学的に自然なのだろうか?多様体を考えなければならない状況というのは,たとえば「位相空間 M 自体は確固とした存在だが,何らかの事情があって,そのままでは研究ができない(あまりにも大
きすぎる,熱くて近寄れない,暗くて見えない,あまりにも遠くにある,などなど)。とにかく「諸事情あって,われわれが直接手に取ることができるのは,この地図帳に書かれた情報のみだ」といった状況なのだろう.どこか違和感が漂うのは,未知の世界であるはずの空間に,すでに「世界全図」が与えられている,という前提である.これはもう,致し方ないのだろうか.

代数多様体(Algebraic Variety)は、最も簡略に言えば、多変数の連立多項式系の解集合として定義される図形と述べる事が出来る。代数幾何学の最も主要な研究対象であり、デカルトによる座標平面上の解析幾何学の導入以来、多くの数学者が研究してきた数学的対象である。主にイタリア学派による射影幾何学代数多様体、代数関数論およびその高次元化に当たるザリスキおよびヴェイユによる付値論的抽象代数多様体などの基礎付けがあたえられたが、20世紀後半以降はより多様体論的な観点に立脚したスキーム論による基礎付けを用いるのが通常である。

こういう話と以下の様な話のギャップを埋めるのが今年の目標なんですね。

そんな感じで以下続報…