ウクライナ情勢への対応が、ボロボロ過ぎるにも程が有る?
発端はこの投稿。
「軍オタはだいたいドイツすき」というのが少し風向きが変わりつつありますね・・・
— JSF (@rockfish31) 2022年1月27日
(ヽ´ω`)現代ドイツがこうした、失望極まりないことをやられてしまうと、冷める方はいても仕方ないかと
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2022年1月27日
ドイツって理想主義に囚われて、転ぶこと多くないですか? 難民受け入れすぎたり。振り幅が他の国より大きい気がする。
— Ari-chan (@arikoann) 2022年1月27日
好きなのはあくまで第三帝国までだったり…
— 哀空 鶯 (@supika_tkm) 2022年1月27日
年代による
— ガノタ擬き(脳ミソのリハビリ中みたいな感じ) (@1739Ac) 2022年1月27日
ここで乱入。
しかし案外、ドイツって昔からあんな感じの「なりふり構わぬ現実主義者」だったりするのです。それを分かってる人は「中世から抜け出すのはこれほどまでに難しい」と嘆息したりしますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月27日
現実主義者?
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
ルーデンドルフが戦況を隠してた第一次世界大戦までならわかるけどそれ以降のドイツの歴史を見てるとヴァイマール発足後の経済も戦争もとてもそんな感じだとは思えないですね。
流されやすく、変に固執するってなら分かりますけど。
まぁ、あくまで「幅広い視野と未来についての的確なビジョンに基づく現実主義」ではなく、「田舎者の偏狭な視野に立脚する現実主義」。「中世的」なる自虐がそこから発生してくる訳です。https://t.co/hjjRtc1g5x
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
まぁ一言要約すると「みんな違って全部駄目」なる惨状な訳ですけど。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
そして追記。
「詐欺師の無分別なええとこどり」としてのナチズムに欺されたドイツ人、および「ファシズム発祥の地」としてのイタリアについて考える前提条件、それは日本の様に粛々と版籍奉還(1969年)、廃藩置県と藩債処分(1871年)、秩禄処分(1876年)を遂行し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
あっけなく封建体制を解体し、フランス型郡県制に移行してしまった国とは訳が違うという事。江戸江戸幕藩体制下の日本もそうでしたが、(物理、書面関わらず)細分化された版図を超えての交通に漠大な文書行政の手間が掛かる地域では識字率が自然に上昇。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
そこまでは同じなのですが江戸時代前半にして「参勤交代用に整備された全国交通インフラ」を利用して富商と富農の全国ネットワークが構築され、江戸時代後半には諸藩末端の集落にまで「生まれた土地を死ぬまで一生出ない人生なんてつまらない」なる…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
そこまでは同じなのですが江戸時代前半にして「参勤交代用に整備された全国交通インフラ」を利用して富商と富農の全国ネットワークが構築され、江戸時代後半には諸藩末端の集落にまで「生まれた土地を死ぬまで一生出ない人生なんてつまらない」なる…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
かかる閉息的状況がドイツにおけるナチズムの勝因となる一方で、勝ったNSDAP自身は慰安旅行事業に注力。「生まれた土地を死ぬまで一生出ない」田舎者の期待を担い続ける政治的リスクをちゃんと理解していたのです。実態は地域によってバラバラですし。https://t.co/VPEHnw3HCr
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
それが現実主義やみんな違って「全部駄目」と結びつく理由がよくわかりませんが。
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
サラエボ事件から始まった第一次大戦はドイツ統一後の覇権主義的な増長を目指したヴィルヘルム2世の外交の行き詰まりや科学技術優位を失いかけた事に対する焦りによる強行な態度が原因で、
敗戦後の第二次世界大戦前のヴァイマール共和国時代もリベンジを望む軍部は不法に軍備を貯めていましたし、アメリカのドーズ債で景気が良くなった間は平和ではあったものの世界恐慌後のドイツ内部は政党ごとの乱闘(特に共産党やナチス)で傷害、殺人で暴力になれきっていた時代だったと思いますが。
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
自然消滅寸前だったナチスに世界恐慌とハイパーインフレで国民が自失した時にプロパガンダに乗っかった経緯を見ると、確かに地方でナチスに積極的ではない場所もあったと思いますが、結局「雰囲気の流れにのせられた」結果私たちが知ってる結果となったのではないのではないですかね?
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
イデオロギーが浸透していた日本とは随分異なります。産業革命前夜での前資本主義的発展の一翼を担った商人階層はともかく、各国の人口の大半を占める職人と農民の大半が「生まれた土地を死ぬまで一生出ない人生」を当然と受容していた
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
と書かれていますが、ドイツ統一を望んだのは
ゲルマン人のそれぞれの王国の国民であって
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
一番の理由はゲルマン人のほとんどがフランス、イギリスのような「国家」を望んだからでは?
生まれた土地を死ぬまで出ないような人ですら「ドイツ」という枠を自ら望んでいたから
小ドイツ主義、大ドイツ主義、中殴帝国などの構想が生まれて
ビスマルクが活躍したと思いますが
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
さらなる追記。
まぁまさにヘルムート プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム―遅れてきた国民」 の世界観ですね。https://t.co/6DoTw6L3u6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
そこではドイツ人が「フランス、イギリスのような国家を望んだ」様で、実際には中世的制約のせいでそうでもなかった現実が容赦無く暴かれます。自然法主義が生み出す無限党争状態に絶望して法実証主義に移行する覚悟が足りなかったのです。https://t.co/bJU1DSAgz9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
その一方でヘルムート プレスナーもまた「学問より人類の救済が重要である」と考えるマルクス主義者に過ぎないという歴史的制約を受けてました。この辺りの問題が20世紀後半には爆発してしまうのです。https://t.co/tsFpPDeAqE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
これへの反論と応酬。
いや、小ドイツ構想自体は結果として達成されてるんですが...。
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
実際には中世的制約のせいでそうでもなかったというのは事実に反してると思いますよ。
それではヴィルヘルム1世がドイツ帝国の皇帝となったつじつまが合わない。
皇帝とは認めないというのは個人感情であって内面的な話をされても。
外面でフランスやイギリスから見れば完全にドイツ帝国という単位で見られていて、なおかつ国をあげて戦争をしていた地域で仲間意識が薄かったというのはあまりに無茶な話かと。
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
独仏戦争で圧倒的に練度の高い兵士をもっていて3倍射程のシャスポー銃や新型の機関銃を世界に先駆けて持っていたフランス相手に兵数が多いだけで仲間割れしたドイツ兵が勝利をおさめていたなんてとても信じがたい話なのですが。
— NOCIV (@NOCOUNT000) 2022年1月28日
そこがビスマルクが「魔法使いの弟子」で箒への井戸の水汲み魔法を暴走させてしまうミッキーマウスと重ねられる所以じゃないでしょうか。ヴィルヘルム1世がドイツ帝国皇帝への即位を嫌がった経緯を含めて。https://t.co/jgaIDzXmAE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月28日
そんな感じで以下続報…