とりあえずこの概念を振り回しながら、その用例に慣れていきたいと思います。
アトラスを二つ重ねるとえらい事に。
「酷い奴にはどんな事をしたって構わない」
— タクラミックス (@takuramix) 2022年1月22日
ってやり方をやってしまうと、
自分自身に「何やったって構わない」でかかって来られた時に抗すべき根拠を大きく損ない、自分自身を守れなくなる。
手段を選ばない相手に対しても、手段を選ばなきゃならないのは、そういう事なんです。
そして…
…「手段を選んだ方が結局は得だ」
— タクラミックス (@takuramix) 2022年1月22日
と思えるような状態に社会を維持できなかったら、そのまま社会は崩壊します。逆に言うと、手段を選ぶ方が良いと思えない状態になった時点で、そこにある人間社会は崩壊してるんです。
よって、あの界隈には人間社会が無いという事になります。
魑魅魍魎の巣窟です。
それが法実証主義時代以前、すなわち自己救済前提で、誰もが勝手に自己流の自然法を振り回す(すなわち結果として強い者が勝つ)中世の世界なのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年1月22日
己を強い者(というか正しい者)だと信じて疑わない精神性を感じるんですよね…
— Joe Grayfield (@Joe_Grayfield) 2022年1月23日
自分が法/倫理/社会通念的に正しいから、瑕疵がある相手にはとことん強く出ちゃうよー、みたいな。
「正しいから死なない!」が通るのは覚悟のススメの散様くらいなもんだと思うんだ… https://t.co/9armrfnv6F pic.twitter.com/drELN4hBr6
そして…
私の調査地は焼畑をする所で2010年代中頃くらいまでインチキな環境保護団体の「焼畑やめさせようキャンペーン」の連中が来ていたんですが、今はもう全く姿を消しました。私はこの原因は米国キリスト教右派とエコリベ連中の関係が悪化したからじゃないかと見てるんですが、詳しくは分かっていません。
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
伝統的な焼畑農業というのは全然自然環境破壊でも何でもない持続可能な土地利用で、私も火消し要員で山に連れて行かれたことがあるのですが、決まった区画以外燃やさないしすごーく綺麗に灰にするのですが、昔はアホな環境団体が焼畑潰しのために途上国に来ていたりしました。https://t.co/y3C3dYcNJF
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
こういうインチキ環境保護団体の特徴は
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
1. 科学的知識ゼロ
2. 片付けが苦手
3. ヤバい連中には絶対手を出さない
の3点に集約されます。特に3のように都市で食いっぱぐれて山に放火して勝手に土地を切り拓いている危ない連中こそが環境を一番破壊しているのですが、そういう怖い人の所には近づきません
それで何をするかと言うと平和的で弱そうな焼畑民の村をわざわざ選んで来て「焼畑は良く無いからやめろ」という啓発にすらならない一種の宣教活動を行うのですが、じゃあやめたら代わりに何か良い物くれるのかと言っても何も無いしで、結局何の説得も出来ないままパンフレットを配って去って行きます。
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
ただ面白い点はかつてはこういった環境保護団体の来る場所とキリスト教の宣教団体の活動域が被っていて、キリスト教団体も現在のSDGsに近いようなことを昔は多少説いていたのが、ある時期からハタリと途上国洗脳エコカス連中が消えて教会も環境保護やら自然との共生云々の話をしなくなったんですね。
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
もちろん環境カルト団体の影響が消えたわけでは無いし慈善事業と称して変なもの送りつけてくる連中もいるのですが、例えば福音派の中のエコ ・リベラル寄りの人たちが宣教の現場から追放されて原理主義的な右派が主導権を取ったというシナリオを私は想定しています。https://t.co/C3Q7thpKL8
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
キリスト教会も保守派はニューエイジが嫌いで環境保護運動にも懐疑的だけれども、リベラル派やカルトはニューエイジとの親和性が高かったり同類だったりする、という対立図式が想定出来ますが、これが途上国宣教とどの程度結びついていたものなのか、エコと教会リベの関係も分からないことだらけです。
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
それで「焼畑やめさせよう」連中が消えたのは良かったのですが、同時に他の環境保護系のボランティアも姿を消してしまって調査地の自然破壊・汚染に対して何かしてくれそうな人もいなくなりました。教会の縄張り争いが背景にあるか否かにかかわらず、それはそれで危機的な状況なのかもしれません。完
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
片付けが苦手は流石に偏見な気がします。
— 護樹松平 (@yoshiakira1330) 2022年1月26日
これも広い意味で身の回りの始末ができない人が「外に敵を見つけ出す」無責任運動にハマりやすいという傾向があると私は見ています。自分が片付けが出来ないのを指摘されるとキレて環境破壊なり全く別の悪をでっち上げて魔女狩りキャンペーンを始めるけど本人の住んでる所は散らかって汚いまま、とか。
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2022年1月26日
なる程、そういう意味なら理解できました。
— 護樹松平 (@yoshiakira1330) 2022年1月26日
さらには
インド人やアラブ人は基本的に謝罪せず言い訳をする。「ごめん」「申し訳ない」はまずない(日本文化に馴染んでる人は違うだろうが)。これはあの本多勝一もベドウィンで体感した通りで、謝ったらリアルに死ぬ(殺される)文化だったからだろう。謝っても謝らなくても殺されるなら謝罪に意味はない。
— 未識魚 /中川譲@31日(金)西 と-37b (@mishiki) 2022年1月26日
謝罪が成立するのは許す気がある人達に対してのみだ。許す気がない人達になんか謝っても意味はない。となればみんな自分の正当性を主張し続けるし、もし隙きあらば刺し殺してやろうというつもりになるわけよ。そういうもんやで。これは人間の普遍的な心理やろ。だから近代国家ちゅうもんを作ったのに。
— 未識魚 /中川譲@31日(金)西 と-37b (@mishiki) 2022年1月26日
基本的人権やそれ以前の宗教にしたって、言い換えれば全部「赦し」なんだよ。基本的に全部が許されてるんだよ、何を言うのもやるのもさ。みんな謝れるしみんな許すという制度を作ろうとしたんだよ。無限に「罪人」に石投げてんじゃないよ。オマエに「罪」はないのか。
— 未識魚 /中川譲@31日(金)西 と-37b (@mishiki) 2022年1月26日
そんな感じで以下続報…