こういう話があります。
「誰もが参加できる自由な言論空間」の敵はむしろ象牙の塔の貴族様なんじゃないのか。あの人たちがそのうち我慢しきれずにバカから権利を取り上げろって真顔で言い出すのを待ってるんだけど。
— ドカ太郎 (@dameningen1gou) 2022年2月4日
そして…
リツイートについて、僕もそう思う。
— マンヤオベガススタイル (@Nishimuraumiush) 2022年2月4日
だけど、政治運動やってる人、心の底では、中間層を味方につけようなんて思っちゃいないんすよ。
彼らにとって大事なのは国の将来じゃなくてコミュニティなので。
中間層を取り込んだら大事なコミュニティの絆が薄まっちゃうでしょ。
マルチ商法や宗教団体や政治運動、あれは全てコミュニティが本尊で、思想や活動はオマケか、コミュニティをつくるための手段なんです。
— マンヤオベガススタイル (@Nishimuraumiush) 2022年2月4日
啓蒙や勧誘をするのも、あれは、メンバーを増やす機能よりも、コミュニティのウチとソトの境界線を明確にする機能のほうが強いんです。
全共闘は大半の人にとって出会いの場かー
— B.H.C.@所縁にょ (@b_h_c_y2) 2022年2月5日
そして…
自分が将来迫害されかねない変化に、なぜか賛成する人がいる理由がわからないという話を見たのだけど、迫害されそうだと思うからこそ早期に支持するんじゃないかな。支持すれば施行者に狙われないだろうという期待で。つまり、仲間原理で変化が起こるだろうと錯覚している。
— 小川一水 (@ogawaissui) 2022年2月4日
ルールが公平に適用されるなら敵も味方も等しく不利益をこうむるはずだけど、ルールが公平に適用されることが信じられず(体験したことが少なく?)、ただ施行者の都合で振り回されてきたと感じていれば、額面に自分が不利になると書いてあっても、とにかく施行者に賛成すれば安全だと考えるのが自然。
— 小川一水 (@ogawaissui) 2022年2月4日
これらは一体何処から始まったのか?
「運動」モードみたいな言葉やもの言いの運用作法を、無自覚無意識に「そういうもの」として実装してしまった人がたって、世代を越えてうっかり存在していて、それは本質的に「学校」的言語空間を制御しておくたてつけが社会の中で煮崩れていったことと関係しとる感。要検討&重要。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月4日
子ども~生徒の段階で、それら「学校」的言語空間に対抗する日常的な言葉やもの言いの領分が、すでに対抗的なものにならなくなっていて、それはかつて「学校化社会」とか言われていた事態のもたらしたある本質的な変化だったのだといまさらながらに思い知らされとるのかも、われわれは。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月4日
「学校」に対抗する「日常」――子ども~生徒の段階ではそれはやはり「家庭」がドミナントだったはずが、言語空間として「家庭」を軸足にした「日常」の広がりが情報環境の変貌と共にどのように変わってゆき、何よりその中で当の子どもらがどういう情報リテラシーを実装して/させられていったのか、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月4日
web以前から、それこそテレビの浸透などからそれらは始まっていたはずだが、問題はそれら情報環境の変化とそれに見合った言語空間のありかたの中で、話し言葉による半径身の丈の「日常」のゼロポイントが足場を築けなくなっていった過程があったことが、おそらく本質的な煮崩れの原因かと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月4日
ここで乱入。
そういった人達は、取り返しがつかなくなる前に国王や教会の権威が絶対だった時代に、それへの無限抵抗を宣言した」フランス小ロマン派が「国王や教会の権威が絶対ではなくなった」19世紀後半にどういう最後を遂げたか勉強すべきだったのです。https://t.co/Ll8f8FNO0H
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
通俗小説の世界は封建社会の秩序を揺るがすが故にハッピーエンドを許されぬ近世的ロマン主義の「不義密通(不倫や身分違いの恋)」の世界から、読者がハッピーエンドしか許さぬ(経済格差を超越する手段としての)「玉の輿」あるいは「逆玉」の世界に飛躍。マーガレット・ランドン「王様と私(The King and I、1944年)」に勇気付けられたか、思い切ってシーク(石油成金となったアラブ内陸部の族長)と現代欧米女性のラブストーリーを扱い始めた事が、ハーレクイン・ロマンスに女性向け恋愛小説界の覇者となる道を切り開いたりする展開となりました。
そうした世俗の動きを尻目に芸術家グループは18世紀末から19世紀前半にかけて「たとえ悲壮な最期が待つのみと頭では分かっていも、心の奥底から込み上げるこの衝動に忠実に生き様とする俺って選ばれたエリート」と自惚れる政治的ロマン主義へと傾倒し、王侯貴族と教会の権威を絶対視する欧州型普遍的価値観の残滓と最期の拮抗状態を保ちます。これが文学史上の「ロマン主義運動」という次第。
私はその存在を澁澤龍彦「悪魔のいる文学史」を通じて知り、カフカによる「彼らのダンディズムは所詮は神に対するダンディズムであり、庶民に対しては傲慢な貴族として振る舞う事しか知らなかった」なる総括を目にした上でフロベール「感情教育」を読む事でその悲惨な末路を教わりました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
×カフカ○カミュ。この辺り、あっけないほどすぐ間違えてしまいます。
カミュの著作は「不条理」という概念によって特徴付けられている。カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれる。そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとされる。
カミュの文学的営為は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との闘いだった。それに対して、彼は一貫してキリスト教や左翼革命思想のような上位審級を拒否し、超越的価値に依存することなく、人間の地平にとどまって生の意味を探しもとめた。彼は「父」としての「神」も、その代理人としての「歴史」も拒否した。
カミュは何よりも時代の妥協しない証言者であった。絶えずあらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義と対立した。ソビエト全体主義に対する批判は、彼をコミュニストたちと対立させ、サルトルと絶交するに至った。彼の著作におけるヒューマニズム概念は、歴史の最悪の時期における経験のなかで鍛えられたものであり、この意味で、彼は20世紀のもっとも高いモラルを体現した人物のひとりである。
カフカが生涯を送ったプラハはチェコ人、ドイツ人、ユダヤ人の三民族が混在しており、その内の大多数はチェコ語を話すチェコ人であった。少数派のユダヤ人は、その多くがドイツ語を話したが、1900年時点の統計ではプラハの全人口45万人の内、ドイツ人、及びユダヤ人のドイツ語人口は3万4000人に過ぎなかった。そしてドイツ文化に同化していたユダヤ人はドイツ人と共にドイツ文化圏の一員と見なされており、チェコ人の側から見れば両者はほとんど区別されなかった。この様な中でカフカは自分をドイツの文化にもユダヤの文化にも馴染めない「半ドイツ人」と見なし、他所者の様に感じていた。
この様にカフカが生涯を送ったプラハではドイツ語話者は少数派であり、彼らは多数派であるチェコ人達の間に混じって生活していた。その為プラハではドイツ語(プラハ・ドイツ語)は日常言語としては、あまり発展を遂げず、反って標準ドイツ語の純粋さが保たれていた。カフカが日常使っていたドイツ語にはドイツ語圏南部の特徴やプラハ特有の言い回しも多少見られるが、文学作品で使われているのは明瞭で正確な古典的ドイツ語である。
共通するのは、ある種の「異邦人」性という…
そもそも「抵抗対象の死」は概ね「それへの抵抗だけが存在意義だった」抵抗者の死を伴うもの。そしてその空隙を埋める形でジョン・スチュワート・ミル「自由論」やカール・マルクス「経済学批判」やダーウィン「種の起源」が注目を集めたという流れ。https://t.co/RaHsonx9Ad
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
これが私の歴史観「1858年革命があった」説の出発点。
しかし産業革命導入に伴う社会変化に追随するのにそれだけでは充分でなく、その最前線たるフランスとドイツに社会学が誕生します。
ここで「旧闘争世代の対消滅」の間隙を埋めた存在として(サド侯爵やエドガー・アラン・ポーを再紹介したボードレールの批評を嚆矢とする)象徴主義を上げる向きもありますが、要するにそこにある種の「断絶」が存在するのがむしろ歴史的必然という…https://t.co/3Gw7gtmxJg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
そんな感じで以下続報…